オスマン帝国のハレムは本当に「酒池肉林」だったのか? 研究者が語る、謎多き組織の実態

 「ハレム」という言葉を聞いて、女性に囲まれて酒池肉林の宴に耽るような、いかがわしいイメージを抱く方は少なくないだろう。実際、ネットで「ハレム」と検索すれば、そのようなイメージを補強する画像がいくらでも見つかるはずである。しかし、600年あまりに渡って存続したオスマン帝国の後宮・ハレムの実態は「性愛と放蕩」ではなく、世襲の君主制国家を安定的に維持するために作られた極めて合理的なシステムだったという。一体なぜ「ハレム=酒池肉林」のイメージが形作られたのか。そしてハレムとはどんな役割を担ったシステムだったのか。オスマン帝国史の研究者で『ハレム―女官と宦官たちの世界―』(新潮選書)の著者である、小笠原弘幸氏に話を聞いた。(編集部)

※メイン画像=ドミニク・アングル作「奴隷のいるオダリスク」

ハレムの女官や宦官たちは官僚や公務員に近い

九州大学大学院人文科学研究員イスラム文明史学講座准教授の小笠原弘幸氏

――「ハレム」という語のイメージは、日本ではいかがわしいものになっていると言わざるを得ない状況だと思います。しかし、本書『女官と宦官たちの世界』を読むと、本来のハレムは「女性に囲まれて乱痴気騒ぎを繰り広げる」というものではなく、大帝国を支えるための極めて合理的なシステムとして、人類の統治の歴史において極めて重要なものだったことが見えてきます。小笠原先生が本書を著すことになったきっかけを改めて教えてください。

小笠原:もともと私は博士論文でオスマン王家の系譜と王位継承の問題ーー特に伝説となっている自分たちの祖先について、彼らがどのように捉えていたのかを研究していました。そこから実際のオスマン帝国の王位継承についても調べるようになったのですが、そうなると必然的に後継者を育成するシステムとしてオスマン王家を裏で支えたハレム/後宮と向き合うことになります。また、トルコ共和国ではここ10年ほど、自国の歴史を再評価する機運が高まっていることもあり、歴史学的なアプローチでのハレム研究が非常に盛んになっていました。その研究成果を見て、これは非常に面白いテーマだと思い、担当編集者と相談して本書に取り掛かることになりました。

 そもそも現在のトルコ共和国は、オスマン帝国を滅ぼして成立した国なので、特にエリート層ではハレムを前近代的な悪しき風習として捉える向きが強かった。しかし、現在のエルドアン大統領率いる公正発展党が与党になった2002年以降、オスマン帝国を自分たちの偉大な歴史の一部として捉えようという雰囲気が定着していきました。そうした中で、組織としてのハレムに注目が集まるようになったのです。

――ハレムにまつわる「性愛と放蕩」のイメージは、近代以降の西洋人から向けられた偏見と憧れがないまぜになった眼差しであり、その実態とは異なるものだったという指摘は興味深いものでした。

小笠原:西洋人がオスマン帝国のハレムに注目するようになったのは17世紀くらいからで、特に文学においてエロティックなイメージが形作られていきました。19世紀になると、オリエンタリズム絵画の定番の題材としてハレムが描かれるようになります。私は美術の専門家ではないので詳しいことは言えませんが、芸術家たちはヨーロッパ圏では描きにくい題材を、東洋世界に投影して描いていたのかもしれません。

――しかし、実際のハレムはただ「性愛と放蕩」に耽っていたわけではなく、女官たちには秩序も職階もあり、建物の構造まで極めて合理的に作られていた、と。

『ハレム―女官と宦官たちの世界―』より、トプカプ宮殿の図版

小笠原:トプカプ宮殿のハレムは、一見すると無秩序に増築されたように感じる迷路のような建物ですが、実はそれぞれの部屋やブロックには明確な役割が割り振られています。時間をかけて考え抜かれた設計で、すごく機能的です。ハレムはまず第一に、スルタン(君主)が後継者を育成する場でした。オスマン帝国のような巨大な国家を、世襲の君主制で安定して治めるには、後宮制度は避けて通れません。スルタンもまた人間であるがゆえに、生物的な特徴を踏まえているので、性愛にまで厳格な管理が必要だったというのがハレムの実態だと思います。もちろん、後宮制度は現在の価値観からすると問題がありますが、世襲の君主制国家においては世界中で見られるシステムであり、その歴史を知ることには意義があるでしょう。

――日本にも大奥がありましたし、一夫一婦制の規定が強いキリスト教圏以外では、むしろ歴史的に長く存続してきた制度だと思います。また、ハレムの女官はイスラム教の教義に基づき、奴隷階級の出身であると書かれていましたが、奴隷の概念も現在とは大きく異なっていると感じました。

小笠原:奴隷というと、現在ではアメリカの黒人奴隷制のイメージが大きく、非人道的な制度として捉えられる向きが強いと思いますが、イスラム世界の奴隷制はギリシャ・ローマ世界の奴隷制の流れを汲んでいるものです。主人の身分によっては一般人よりはるかに権力を持っていたりしますし、ハレムの女官となった奴隷については7年から9年で解放されるのが一般的でした。しかも、ハレムには芸事を習ったり教養を養ったりする機能もあり、解放後の生活も比較的豊かなものだったそうです。19世紀にヨーロッパで奴隷解放運動が進んだ際に、オスマン帝国は非難を浴びるのですが、自分たちの奴隷制度はアメリカの奴隷制度とは違うと反論するケースもありました。もちろん、人身売買の側面もあったのは否めないのですが、現代的な感覚で考えると実態を捉え損なってしまうでしょう。私自身は、ハレムの女官や宦官たちは、現在の感覚でいうなら官僚や公務員に近いものだと捉えています。

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