高度に発達した厨二病はドストエフスキーと区別が付かないーー斎藤環の『進撃の巨人』評

 稀代の傑作『進撃の巨人』は人類に何を問いかけるのかーー2021年4月に約12年に及ぶ連載に終止符を打った漫画『進撃の巨人』を、8人の論者が独自の視点から読み解いた本格評論集『進撃の巨人という神話』が3月4日、株式会社blueprintより刊行される。

 精神科医であり、漫画やアニメなどのサブカルチャーにも精通する斎藤環は、本書に「高度に発達した厨二病はドストエフスキーと区別が付かない」と題した論考を寄稿。この意味深なタイトルの真意とは。リアルサウンドブックでは、本稿より一部を抜粋してお届けする。(編集部)

フランクフルトの思い出

 『進撃の巨人』(以下『進撃』とする)といえば真っ先に思い浮かぶ記憶がある。

 2013年10月、ある出版社の招待で、国際書籍見本市として知られる「フランクフルト・ブックフェア」に参加した。日本で翻訳出版できそうな書籍を発掘することが目的だったのだが、コミック部門もあり、現地の若者に人気を博していた。参加者にはコスプレイヤーもいたが、この年は「立体機動装置」装着者が多かった。しかし一番目立っていたのは肉肉しい巨人コスの女子。言わずと知れた「進撃の巨人」を象徴する「超大型巨人」のコスプレである。一緒に行った編集者によれば、前年まではとにかく『NARUTO』一色だったのが、一気に世代交代が進んだとのことだった。

 思えば『進撃』はドイツとの因縁が深い漫画ではあった。エルディア帝国の145代フリッツ王カール・フリッツをはじめ、エレン・イェーガー(「イェーガー」は狩人を意味するドイツ語)、ミカサ・アッカーマンといったドイツ風の氏名をはじめ、城壁で囲まれたドイツの小都市ネルトリンゲンが「聖地」と目されたり、アニメ版のOP「紅蓮の弓矢」にドイツ語ナレーションが入ったりと、無国籍風ながらドイツ愛が随所に見て取れる。当時は『進撃』の連載が始まってまだ数年という段階だったが、すでに海外にもファンを拡げつつあった記憶として、ここに記しておく。

 『進撃』が2010年代の日本を代表するコミックの一つであったことに異論は少ないだろう。コミックは2019年12月時点では一億部を突破し、アニメ化も相まって、韓国やアメリカでもブームを巻き起こした。緻密な世界設定と立ちまくったキャラの活躍と成長(あるいは死)、巨人たちの異様な造形、謎めいた世界観が物語の進行と共に徐々に明かされていく語り口、悲劇の予兆と緊迫したムードを折に触れて脱臼させるシリアスな笑い。ただ、これだけでは人気が出るのも当然、とは思わない。

 私は2014年に雑誌「BRUTUS」誌上で作者の諫山創氏にインタビューを試みている(「BRUTUS」2014年12月1日号、マガジンハウス)。この時彼は次のように述べていた。「キャラクターや設定など、読者のニーズを細かくマーケティングして、「こういう作品がウケるだろう」みたいなやり方には反発があったんです。そういう方法に頼っていたら、いつまで経っても新しいものが生まれない」。そう、『進撃』には、通常の意味で「ウケる要素」はあまり見当たらなかった。もっとも、作中最大の「萌え」要員である戦闘美少女ミカサや、圧倒的な腐女子人気を誇るリヴァイ兵長などのように「計算」ずくのキャラもいるが、彼らはむしろ例外的な存在と言うべきだろう。事実かどうかはともかくとして、デビュー前の諫山がジャンプ編集部に作品を持ち込んでボツになったというエピソードは、「ウケる」ことを度外視していた以上はさもありなん、と感じる。

『進撃』世界のいびつさ

 今読んでもあらためて思うが、『進撃』は実に「異様」で「いびつ」な作品だ。アウトサイダー的と言っても良い巨人の造形センスからは、諸星大二郎や岩明均にも通ずるような独自の「筆跡」が感じられる。「気持ち悪い絵」しか描けないと彼は謙遜しているが、私たちは「自分にはこれしか描けない」という人の絵こそが見たいのではなかったか。

 以下、私は『進撃』世界のいびつさについて検討を試みるが、言うまでもなく、これはいささかも批判ではない。むしろこうしたいびつさあっての『進撃』ワールドであることは論を俟たないからだ。

 諫山は『進撃』の世界設定を半年かけて作り込んだと述べているが(前掲インタビュー)、それはおそらく「巨人の存在する世界」の漫画的効果を最大化するための設定であったのだろう。そのため、文明の発達史を考える場合に、いささかアンバランスな点が見て取れるのはやむを得ない。

 まず『進撃』における戦闘の形態である。銃や大砲が存在するが、主力は騎兵であり、通信には信号弾などが使われている。つまり、現実の世界史との対応関係で考えるなら、アメリカ南北戦争あたりの技術水準が想定されていると考えられる。ただ「立体機動装置」だけは例外中の例外で、巨人攻撃に特化した技術とは言え、この技術だけがあまりにも突出している。立体機動装置の中でも重要な位置を占めるのがアンカーの射出やワイヤーの巻き取りを行う動力源であるカートリッジ式ガスボンベだ。リアルな世界史においては密閉式のガスボンベが実用化されるのは20世紀に入ってからであり、立体機動装置が先史文明のロストテクノロジーではないとしたら、『進撃』世界の技術バランスはいささかおかしなことになる。

 文明史において、蒸気機関、鉄道、電気機器、電信、鋼鉄の大量生産などの技術は、相互に密接に関係しており、おそらくはどのような世界線においても同時的に開発される必然性があると私は考えている。私が感じるアンバランスさはそうした私なりの文明史観に依拠したものなので、もちろん異論もありうるだろう。『進撃』世界では憲兵団が技術の進歩を抑制しているという設定もあるため、このアンバランスはそれに起因するのかもしれない。

(続きは『進撃の巨人という神話』収録 斎藤環「高度に発達した厨二病はドストエフスキーと区別が付かない」にて)

■書籍情報
『進撃の巨人という神話』
著者:宮台真司、斎藤環、藤本由香里、島田一志、成馬零一、鈴木涼美、後藤護、しげる
発売日:3月4日(金)
価格:2,750円(税込)
発行・発売:株式会社blueprint
予約はこちら:https://blueprintbookstore.com/items/6204e94abc44dc16373ee691

■目次
イントロダクション
宮台真司 │『進撃の巨人』は物語ではなく神話である
斎藤 環 │ 高度に発達した厨二病はドストエフスキーと区別が付かない
藤本由香里 │ ヒューマニズムの外へ
島田一志│笑う巨人はなぜ怖い
成馬零一 │ 巨人に対して抱くアンビバレントな感情の正体
鈴木涼美 │ 最もファンタスティックなのは何か
後藤 護 │ 水晶の官能、貝殻の記憶
しげる │立体機動装置というハッタリと近代兵器というリアル
特別付録 │ 渡邉大輔×杉本穂高×倉田雅弘 『進撃の巨人』座談会

関連記事