女性狙撃兵の目線で地獄の独ソ戦を追体験ーー『同志少女よ、敵を撃て』が持つ“小説の力”

 正直言って、自分は未だに独ソ戦のことが全然わかっていない。どんな本を読んでも、規模感というか、「大体このような戦いだった」という大づかみの理解がとても難しい戦争だな……と感じている。

 1941年6月22日に、ナチス・ドイツはソビエト連邦に大規模な奇襲攻撃をかけた。これが、いわゆる独ソ戦の始まりである。結局この戦いの終盤にソ連軍がベルリンまで攻め込んだことでヨーロッパでの大戦は終わったわけで、独ソ戦こそが第二次世界大戦の本番、主戦場だったと言っていいだろう。

 第二次大戦の主戦場だっただけあり、戦闘自体も空前の規模である。例えば、1944年に開始されたソ連軍の大反攻作戦「バグラチオン作戦」がスタートした時の独ソ両軍の戦線は、北はラドガ湖から南は黒海沿岸に達している。ユーラシア大陸の西方を戦線が縦断しているのだ。この長大な戦線の全域にわたってソ連軍の大部隊が連携しながら西進し、ついにはドイツまで到達する。規模がデカすぎて、どうやってそんなことを可能にしたのか、説明を読んでもピンとこない。

 死傷者についても、全く実感の湧かない数字が並ぶ。第二次大戦でソ連が失った戦闘員の人数は、866万8000~1140万人ほどだという。ソ連の民間人の死者は450万~1000万人、ほかに疫病や飢餓で800万~900万人が死亡したと見られている。戦闘のみならず虐殺や略奪、捕虜の殺害も頻繁に発生し、今だに人類史上最大最悪の戦争として記憶されているのだ。「人間は、こんなに膨大な数の人間を殺すことができるのか……」と、呆然としてしまうような数字である。

 戦いの種類も多彩だ。装甲車両の群れが大平原を突っ切る戦車戦もあれば、壊滅した大都市を舞台にした過酷な市街戦もあり、歩兵同士の陣地戦も空挺作戦も上陸作戦も要塞攻略もある。そして、どれもが空前の規模である。しかも、他国とは異なりソ連は女性も兵士として動員し、最前線に放り込んでいた。ここまで大規模かつ苛烈な戦いに女性が参加するとは、一体どういうことだったのだろうか。「この地点からこの地点までこの部隊が戦いながら移動しました」という地図上の記述の裏では、どのような人々がどのような苦難にさらされたのだろうか。

 前置きが長くなったが、小説の力を使ってそういった疑問に答えるような作品が逢坂冬馬の『同志少女よ、敵を撃て』である。すでにむちゃくちゃ売れている作品だが、読んでみて「このネタを扱った小説がこんなに売れるのか!」とびっくりした。なんせ、主人公セラフィマは、独ソ戦に従軍した狙撃兵である。日本から遠く離れた、想像することすら難しい戦争で戦った女性狙撃兵の小説がヒットしたというのは、並大抵のことではない。

 セラフィマは、モスクワ近郊のイワノフスカヤ村に住む18歳の少女である。猟師である母とともに平和な村で狩りをして暮らしていたが、1942年2月、突如村にドイツ兵たちがなだれ込んでくる。村の人々を殺し、犯し、略奪の限りを尽くすドイツ兵たち。猟銃で反撃しようとした母も射殺され、セラフィマも絶体絶命のピンチに陥る。だが、そこにソ連軍の救援が駆けつけ、セラフィマはギリギリのところで救助される。

 憔悴しきったセラフィマは、ソ連軍部隊に同行してきた女性将校イリーナの激しい詰問を受ける。家を荒らし、さらに死んだセラフィマの母を足蹴にしつつ「お前は戦うのか、死ぬのか!」と迫るイリーナ。「ドイツ軍も、あんたも殺す!」と自らの意思を口にしたセラフィマは、イリーナに同行を命じられる。イリーナは中央女性狙撃兵訓練学校というスナイパー・スクールの教官であり、セラフィマはこの学校にスカウトされたのだ。ドイツ軍とイリーナに対する復讐心を燃やすセラフィマは、一癖ある訓練生たちと共に厳しい訓練を受けて卒業。卒業生たちは、早速1942年11月から開始されるソ連軍の反攻作戦「ウラヌス作戦」への参加を命じられる。

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