北丸雄二×川本直が考える「LGBTQ+」をめぐる議論の最新動向 「ジェンダーとセクシュアリティは民主主義の問題」

 ジャーナリストの北丸雄二氏と批評家・小説家の川本直氏の青山ブックセンター本店トークイベント「LGBTQ+』と文学と──虚構と現実とが鬩(せめ)ぐ」採録記事の後編をお届けする。

 前編では、日本文学のクィア・リーディング的読解、フィクションとノンフィクションの境界などが話題に。後編ではLGBTQ+ムーブメントの歴史、日本と欧米の意識の違い、ジェンダー・セクシュアリティと民主主義の関係性について語り合った。(小沼理) 

若い世代の意識が変わりつつある 


川本:『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』には歴史小説としての側面もありますが、書くうえで現代的な感覚を取り入れる必要を感じていました。実際、私ですら認識がもう古いんですよ。10代や20代の学生と話していると、同性が好きな人が当たり前のように周りにいるから「どっちの性別が好きでも構わない」という感覚の人が多いんです。北丸さんは先日「バイセクシュアルやノンバイナリーが主流になっていくのでは」とTwitterでおっしゃっていましたが、本当にそんな印象ですよ。  

北丸:「ギャラップ」の2021年調査ではアメリカのZ世代(1997-2002生まれ)ではLGBTの自認率は16%(約6人に1人)に届こうという数字です。イギリスの同世代ではさらに高く、「IPSOS」の調査では自分は「もっぱら異性愛者(exclusively heterosexual)」であると答えたのは66%にとどまっているのです。つまり自分は伝統的、あるいはこれまで”正常”とされてきたセクシュアリティ/ジェンダー・アイデンティティとは違うと答えた若者が34%にも達している。 

川本:気をつけなければいけないのが、それはそういった人たちが増えたのではなく、もともと隠れていた人たちが公に言うようになって、可視化されただけだということ。抑圧があるなかで、匿名ですら自分のセクシュアリティやジェンダーアイデンティティを正直に言うのが憚られる時代がありましたから。  

北丸:当事者にとってのボキャブラリーやロールモデルがなかったという事情もありますね。  

 もう一つここで言いたいことは、文学では古くからテーマになってきた性的少数者の問題が、男性が主流研究者であった人文分野ではほとんど話題にされてこなかったという「伝統」です。『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』はいろんな批評家、学者たちに読まれて取り上げられていますが、人文書ではLGBTQ+やゲイネス、クィアネスの話はほとんど取り上げられていません。良い本はたくさんあるけど、メインストリームに出てくることがない。今回、紀伊國屋じんぶん大賞に『愛と差別と友情とLGBTQ+』がランクインしましたが、LGBTQ+関連書籍ははじめてだったそうです。文学では扱っても、リアリズムやノンフィクションではまだきちんと扱われていないんですね。  

川本:政治的なものだと捉えられているんでしょうか。  

北丸:もしくは、ものすごく個人的なものとして処理しているということでしょうか。『愛と差別と友情とLGBTQ+』も、取り上げてくれたのは女性記者が多かったんですよ。ずっとそうで、『フロント・ランナー』の時も読者は8割が女性でした。僕は80年代のエイズの時代から、「ゲイの話を取り上げた方がいい」と身内の同僚や仲の良い人に言いつづけてきたけど、男性たちは「ホモの記事なんて新聞記事にならないよ」「自分もホモだと思われそうで嫌だな」と忌避してきました。つまり男性記者の中では「私」の問題が「公」の問題に繋がっていない。 


 『ジュリアン・バトラー』は男性の書評家が多く取り上げてもいますが、それは文学だからでしょうか。僕の本については書評欄ではほぼ取り上げられていないんですよ。新聞はだいたい著者紹介みたいなコラムで、内容そのものより私の個人史に興味があるみたい(笑)。それはまだ、男性主流の社会あるいは分野では、新聞社なんかはまだその最たるものですが、性的少数者の問題、ジェンダーやセクシュアリティの問題は「個人」の問題で、「社会」的な問題にはなり得ないという刷り込みが残っているような気がします。 

90年代ゲイブーム、日本とアメリカの差

北丸:『愛と差別と友情とLGBTQ+』のなかで一番言いたかったことの一つは、「アイデンティティとは何なのか」ということなんです。アイデンティティって、困った時じゃないと必要ないんですよね。普通の人は困っていないから、あまり考えない。 「日本人」というアイデンティティだって、強く意識するのは戦争の時と外国に行った時くらい。つまり困った時なんです(笑)。あるいは、自分が周囲と違うと気づく時ですね。 

 先日車を運転していたら、ラジオでどなたかが『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネットのセリフを紹介していました。「人間って、不幸になった時に自分が何者かわかるのよ」ということでした。あ、これは俺が言っていることと同じだと思いました(笑)。困った時に自分が何者か知り、そこを足場に考えはじめると、社会の不具合やおかしさに気づくことができる。  

 そうすると、フェミニズムが「個人的なことは政治的なこと」と言いはじめたのは、実はアイデンティティの政治だったんだと。個人的な一つ一つの不具合が、ものすごく政治や社会構造に関わっている。女性たちは男性社会のなかで常に抑圧を受けている。だからLGBTQ+の問題も真っ先に女性たちが反応してくれるんです。  

 その不具合に性的少数者が気づいてしゃべりはじめたのは、日本では本当に最近のことです。僕がニューヨークに行った1993年はエイズ禍の最悪の時で、まわりでばたばた人が死んでいました。セントヴィンセント病院などエイズ診療の病院を取材しましたが、そこで働いていたのはほとんどがゲイの医者とレズビアンの看護師たち。そこでは、ものすごい数のカミングアウトが行われていた。  

 それはカミングアウトしないと戦えなかったからなんですよね。90年代のゲイブームは日本でもあって、青山ブックセンターや紀伊國屋書店にゲイコーナーが作られ、いろんな文献が置かれていました。だけどカミングアウトしている学者は、少なくとも僕が知る限り日本では誰一人としていなかった。  

川本:90年代のアメリカでは膨大な数のゲイ・スタディーズの研究書やゲイ小説が出版されていましたね。  

 歴史を遡ると、20世紀半ばまでは偽装戦略を取る人が多かった。ヴィダルは真っ向から同性愛を書いていたけど、ゲイという言葉で自分をくくられることに抵抗があったようですし、晩年にさしかかるまでカポーティは「わかる人にはわかる」という偽装的な書き方をしていましたね。カポーティは最初の長編小説『遠い声 遠い部屋』で、長椅子に寝そべって思わせぶりな目をしたポートレートを著者近影に使ってバッシングを受けていますが。  

 ヴィダルもカポーティもカミングアウトをしていないと言われるけど、方法が次の世代と違うだけなんですよね。晩年のカポーティは〈私はアル中である。私はヤク中である。私はホモセクシュアルである。私は天才である〉と露悪的に言っていますし、ヴィダルも1967年にカナダのCBSの『ホモセクシュアル』というテレビ番組に出て同性愛を擁護しています。  


北丸:(同性愛を描いた)『真夜中のパーティー』の初演が1968年で、「ストーンウォールの反乱」が1969年だから、機が熟してきた頃だね。当時は今とカミングアウトの意味合いも違ったんでしょうね。  

 エイズによってカミングアウトして、それを戦いにつなげていった人たちがいた。そこには数々の文学的な表象があって、そのなかで先駆者たちがフィクションを足場にしながら、たくさんの作品を書いていった。アメリカではその変化がゲイ・スタディーズや学者たちのカミングアウトにつながり、「私」から「公」、「個人」から「社会」に回路ができ、メインストリームの空気を変えていった。けれど日本ではそれが起こらないままだった。しかしそれもようやく、若い世代から変わりつつあります。 

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