新潮社 中瀬ゆかり氏が語る、編集者として追い求めてきたこと「人間というのが永遠のテーマであり、永遠の謎」
「自分が読みたい雑誌をつくる」
––––2001年に「新潮45」編集長に就任します。編集長という立場はどのような違いがありましたか?
中瀬:上の立場にいくと現場から離れてしまって、出版部部長の今はちょっとつまらないんですけど。ただ雑誌の場合は編集長は王様なので、めちゃくちゃ気持ちよかったですよ(笑)。こんなに編集者と編集長が違うのは、雑誌ならでは。やっぱり王国をひとつ受け継いだ。そんなに大きくない王国だったとしても、私にとってはものすごく愛情のある雑誌でした。
––––どのような編集方針でしたか?
中瀬:まず、事件を深く追求するということ。事件には人間の業が渦巻いていて、文学とリンクすると思いました。ノンフィクションやルポは取材力と同時に文章力もないと読んでいて辛いし、そこに横たわるのは全部同じ、「人間」なんですよね。人間というのが永遠のテーマであり、永遠の謎です。一番好きなのも人間だし、一番怖いものも人間。それを研究するのにこんなに面白い雑誌はない。テレビやラジオや週刊誌には速報性では敵わないので、深さで勝負したいと思いました。
もうひとつは女性の欲望に素直になる雑誌をつくること。当時、女性が人前で性欲について赤裸々に語ったり、下ネタをバンバン話すのはタブーのようなものでした。でも女性にも性欲があってスケベなことを考えたりしている。女性はコスメやファッションや占いを扱うだけで喜ぶわけじゃない。それ以外にも仕事、性、家庭においていろいろな欲望がある。そのドロドロを扱った女性誌がないと思いました。
当時考えていたのは、新潮社の天才編集者だった斎藤十一が言った「自分の読みたい雑誌をつくれ」ということでした。誰かが読みたいであろう雑誌を考えるんじゃなくて、自分が読みたい雑誌をつくれば、自分と似た人間が何万人もいるだろうと。
私にとっては、事件を深く追求することと、女性のための知的かつ痴的な内容にすること。そういう触れ幅のある人間の業を描いた、黒い「文藝春秋」×暗黒の「婦人公論」みたいな雑誌にしようと思ったんですね。 それで岩井志麻子さん、中村うさぎさん、西原理恵子さんなどの濃い系女子たちを集めて、女性の欲望にまつわるいろいろな企画をしました。
––––特に思い出深い企画はありますか?
中瀬:いくつもあるんですけど、たとえば中村うさぎさんにデリヘル嬢を体験してもらった記事がありました。うさぎさんと話したのは、男は成功者になってお金を稼いだら、その人と属性が一体化して「あの人すごいよね」と素直に言われる。でも女は成功して名をなしてお金を稼いでも「でもブスじゃん、ババアじゃん」みたいなことを言われて、否定されてしまう。そんななかで47歳のうさぎさんが女としての価値が一番試されて厳しいのはある意味、風俗の世界だよね、と。「私、デリヘル嬢になってみる!」というすごい決意表明をされて。
まず、風俗ライターの人にお店の情報を聞きました。そしたら熟女デリヘル界の東大みたいな店を教えてくれて、そこに受かろうとしたんですよ。最初に店に電話するんですけど、うさぎさんが「自分はガラガラ声だから、中瀬は声だけは可愛いから電話してくれ」と言うんですよ。それで私が電話したら、最初に洋服のサイズを聞かれて、うさぎさんが隣で教えてくれる。私のサイズだったら絶対に受からないと思うとガーンときたり。
面接からはうさぎさんにバトンタッチして、当日は整形のクリニックのメンテナンスでプルプルの顔に仕上げてもらって。それで面接に見事合格して……という手記があります。こんな伴走は会社では誰にも褒められないと思ったんですけど、作家と二人三脚でやり切った感はすごかったですね。あのときの変なテンションは、ちょっともうこれからはないかなというくらい。ギリギリをやった感じがしています。この体験記は『私という病』(新潮文庫)という著作になり、素晴らしい一冊なのでぜひ読んでいただきたい。
––––編集者の仕事をしていて、一番楽しさを感じるのはどういうときでしょう?
中瀬:自分が送り出した新潮社の本を読んだ方が「素晴らしかったです」「救われました」と感想を言ってくださるときです。著者サイン会で、読者の方が作家の目前で緊張しながら訥々と感想を述べるんですけど、目が本当にうるんでいる。その姿に少女時代だった自分がふーっと乗り移ってしまう。あの時の私に教えてあげたいと思います。私は今、物語の送り手のほうになってるよって。
イチから生み出されたものが、きっとこの子の何かを変えたんだろうなと。この子が人生を歩んでいく上で忘れられない一冊になったら、こんなにすごいことはない。伴走者として、黒子としてなんだけど、本の影から私は見てますよ、と言いたくなりますね。この仕事をやっていてよかったと思う。鳥肌が立つ瞬間です。
––––新潮社出版部の最近の自信作をいくつか教えてください。
中瀬:まず、川村元気さんが人間の「信」「不信」というテーマに挑戦した勝負作『神曲』。そして、西加奈子さんの『夜が明ける』。これ今の若者の問題を全部描いていて、胸が痛くなるんですけど、最後に「あなたの夜が明けるように」という著者のメッセージが届きます。
朝井リョウさんが「多様性」に迫った『正欲』もすごいです。読み終わったときに「朝井リョウまじ天才!」って言っちゃったんですけど。どうもあまりに感動しすぎると咄嗟にヤンキー言葉になる(笑)。「まじ天才っすわ」みたいなアホなことしか言えないんですよね。
そして、林真理子さん『小説8050』。やっぱり林さんという作家のすごさ。作家は見てきたように嘘をつくと言いますけど、本当に林さん自身がご体験もされたんじゃないかと思うくらい。家族のことを書かせたら、こんなにリアルな作家はいない。本当に素晴らしい小説で、どの世代の方にでも読んでもらいたいです。他にも小池真理子さん『神よ憐れみたまえ』や貫井徳郎さんの『邯鄲の島遙かなり』など力作がたくさんあり、紹介しきれません。欲深くてすみません(笑)。