藤本タツキ短編集『22-26』から探る、繰り返し描く“対立構造”の原点

 藤本タツキが22歳から26歳の頃に書いた短編漫画をまとめた『藤本タツキ短編集22-26』(集英社)が発売された。

 9月には漫画家を目指す小学生の少女を主人公にした漫画『ルックバック』(集英社)、10月には『藤本タツキ短編集 17-21』が発売されており、この3カ月は“月刊藤本タツキ”とでも言うような怒涛の出版ラッシュだった。

 短編集は作者の短編執筆時期の年齢がタイトルとなっているのだが、この2作の短編集と『ルックバック』を読むと、藤本タツキの作風がどのように変遷していったのかが、よくわかる。

 本書の収録作は以下の4作。

 『人魚ラプソティ』は海辺の街で暮らす少年と人魚の出会いを描いたファンタジー漫画だ。海の底に沈んだピアノを弾くことを日課としている少年が、セーラー服を着た人魚と出会って仲良くなっていく姿はとても幻想的だが、同時にライトなラブコメとしても楽しく読める。この世界の人魚は人間を食らう存在として恐れられていて、少年もいつ人魚に食われるのかわからない。それでも人魚と交流を続ける少年と人魚を恐れる世間との衝突は、その後の作品でも繰り返されている対立構造で、藤本タツキがもっとも描きたいことの一つだと言えるだろう。

 『目が覚めたら女の子になっていた病』はWEBに掲載された短編で、タイトルのとおりの主人公の少年・トシヒデが、起きたら女の子になっていたという性別入れ替わりモノ。性別が変わった理由を「目が覚めたら女の子になっていた病です」と医師が一言で語る場面を筆頭に、細かい説明を端折って話がグイグイと進んでいく。

 作劇手法としては『藤本タツキ短編集17-21』に収録された『佐々木くんが銃弾止めた』の系譜にある作品で、本作でも「セックス」という単語がやたらと連呼されるのがおかしい。性別が変わってしまったことに対する主人公の感情の整理がつかないまま状況がどんどん加速していく展開が藤本タツキらしい。女の子に変わったトシヒデが、恋人のリエの兄に「女の子が男の子を視る感じでカッコいいと思ってしまった」と告白すると、リエが戸惑い「セックスする」と唐突に言い出す場面にそれは強く現れており、『人魚ラプソティ』にあった自分を傷つけるかもしれない「怪物のような女とどう生きていくか?」というテーマが、女体化した身体に芽生えた性的欲望とどう折り合いをつけるのか? という形で描かれている。

 そして、この「怪物のような女とどう生きていくのか?」というテーマが、もっとも強く出ているのが『予言のナユタ』である。本作は、世界を滅ぼす災いの元凶と恐れられる妹のナユタを守ろうとする兄の物語。ナユタは角の生えた少女で、人の心を持たず世界を滅ぼす存在だと予言されている。動物を食い殺し、口にする言葉は「曇天暗黒吹雪殺戮…」「斬首内蔵」といった不穏な単語の羅列ばかりで、何を考えているのか全くわからない。か弱い妹であると同時に、いつ自分を殺すかもわからない怪物というナユタは、藤本タツキの描く女性の二面性が強く反映されている。

関連記事