福嶋亮大が語る、平成文学の負債と批評家の責務 「灰から蘇ってくるものも当然ある」
だまし絵を描いてみせるのが日本の批評の役割
――『らせん状の想像力』では、柄谷行人が2004年に『近代文学の終り』を発表したことに触れていますが、それでいうと「近代文学の終り」と規定された時代に福嶋さんは文芸批評の道を歩み始めたことになります。
福嶋:確かにそうですね。ただ、ヘーゲルの「ミネルヴァの梟は黄昏に飛ぶ」みたいな話で、終わったことによって初めて考えられることはあるはずなんです。ホットに盛り上がっている時には、その現象自体をとらえるのは難しい。祭りが終って廃墟に佇んでいるときに、初めて了解されることもありますから、僕は特に悲観していません。むしろそんな状況を活かせるかがポイントだと思っています。
いずれにせよ、文学批評は文明批評でもなければならない。今はみんな業界を向いた作家主義みたいになっていて、新たな作家をほめるとかけなすとか、そういう次元でコミュニケーションしているけれど、それはむなしいことです。今はもっとマクロで自由な視点をとれるチャンスが到来していると思いますね。
――「近代文学の終り」の実感はありますか。
福嶋:結局、それは文学が文化の象徴というポジションから落ちたということでしょう。昭和の文学者は知識人でしたが、平成になると作家はもはや知識人とはみられなくなった。事件が起こっても、昔と違って、メディアが作家に意見を聞きに行くことはほとんどないですからね。小説家はもう知的職業ではないんです。
それはそれとして、国内の文芸市場はシュリンクしているのに、グローバルにみれば日本文学がかつてなく多く翻訳され文学賞をとったりしている。収縮と拡散が同時進行しているわけです。そのあたりは日本の評論家として説明する責任があると考えていました。村田沙耶香であれ多和田葉子であれ、真空地帯からいきなり出てきた作家ではない。ある程度歴史の裏打ちがあって出てきたわけです。僕の見立てだと多和田さんは古井由吉的な「内向」のエッセイズムにつながるし、村田さんは岡田利規や前田司郎のロスジェネ的風土を再起動したってことになるんですけどね。ともかく、コンテクストを再現しないと、まともな了解にはたどり着けない。
ちなみに、この本は今度、韓国語版が出るんですが、最初から僕は外国人の読者を想定して書いたところがあります。文学の業界に興味はなくても、作家たちがどんな関係性のなかから出てきたかを知りたい読者には、有意義な情報を提供できているはずです。
――柄谷は「近代文学の終り」と2000年代にいいだしたわけではなく、『日本近代文学の起源』や『反文学論』を書いていた1970年代末から自分は「近代文学の終り」の光景をみているといっていました。『らせん状の想像力』では柄谷にとって「日本近代文学とは二葉亭四迷に始まり中上健次に終わるものである」と書かれています。中上健次は「岬」で1976年に芥川賞を受賞しましたが、すぐ次の回で受賞したのが村上龍『限りなく透明に近いブルー』でしたから、その頃、1つの転換点があったのではないか。村上龍は『らせん状の想像力』でも論じられていますよね。また、舞城王太郎はデビュー時、家族というテーマ、特定地域へのこだわり(中上は紀州、舞城は福井)、暴力性の点でしばしば中上健次がひきあいにだされました。その意味では、中上から舞城へ「近代文学の終り」が反復したともいえる。
福嶋:人間の意識はすぐにハイジャックされてしまうので、勝手に過去へ飛んでいったり未来に飛躍したりする。文学のモダニズムはそういう意識の属性をむちゃくちゃに拡大して、時間とか空間を根本的にリプログラミングする技術を蓄積してきたわけです。中上健次も村上龍もそれを受け継いでいるし、それをアニメやマンガの文脈も借りてさらにシャッフルする形で舞城王太郎が出てきたりもする。
ただ、なんというか、文学は基本的にこの世界の片隅で生きていくしかないジャンルなんです。しかし、昭和の成功体験が忘れられなかったせいで、片隅で生きていくための撤退戦の組み立てかたがおそまつだった。結果として今は完全にポピュリズムに流れていて、ポリティカル・コレクトネスと芥川賞と村上春樹くらいしか話題がない。だから、べつの撤退戦もありえたんじゃないかというために、この本を書いたわけです。結局、終ったからといってゼロにはならない。灰になっているわけですけど、灰から蘇ってくるものも当然あるので、それを組織する責務が批評にあったと思っています。
――昭和から平成への移り変わりについて、個人的にはどんな記憶がありますか。
福嶋:やはり昭和天皇が亡くなったことと、ルーマニアのチャウシェスクが銃殺されたとか、あとはオグリキャップが有馬記念で突然復活したとか(笑)。そのへんの昭和の末端に起こったことはなんとなく覚えていますけど、それくらいですね。本当に昭和の黄昏の部分だけみていた感じです。
――昭和の終りから平成のはじめにかけて宮崎勤の幼女連続殺害事件があり、それとともに「オタク」という呼称が一般化しました。後にその呼称からはネガティブな印象が薄れ、日本を代表する文化のようになっていきました。ただ、『らせん状の想像力』はオタク文化的なものから距離をおいている印象があります。それは意図的なものですか。
福嶋:やはり2000年代前半にこの本を書くのと、2020年になってこの本を書くのでは当然違ってこざるをえない。2000年代前半のオタクやネットに関する議論の、ちょっと異様でホットな雰囲気は、未規定であるがゆえだと思うんです。ネットがなにものかまだわからない状態だったし、それが勝手にあれこれ言える土壌になった。でも、今はネットがどういうものか、みんな重々わかっている。2020年代には、未規定性が失われた状態で何かを書かないといけない。
ただ、やはり批評は大切だと思いますよ。僕は批評をフェティッシュ化するつもりは全然ないんですが、小林秀雄以来の批評のあり方は一応それなりに尊重しているつもりです。早い話が小林は、西洋近代のゲームは虚妄でインチキだけれども、この虚妄以外にプレイするものはないという二重の態度で動いていた。
小林の同世代に三木清という優秀な哲学者がいますが、彼はどちらかというと近代のルールのなかで100点満点をとろうとした人ですね。「近代の超克」にコミットしたけど、それも完全に西洋のコンテクストのなかでやっている。一方、小林秀雄は三木に比べたら無教養ですが、近代のゲームの虚構性を強く意識したうえでものを書いていた。与えられたゲームで100点をとったって自慢にならないということです。つまり、自分たちがプレイしているゲームボードそのものへの疑いがないと、批評にはならない。小林秀雄以降の日本の批評は、嘘と知りつつこの近代のゲームをプレイするしかないというきつい境遇のなかから生まれたジャンルです。逆に三木は優秀だけど批評家ではなかった。
べつのいいかたをすると、批評とは、だまし絵を作る作業です。ヴィトゲンシュタインがアスペクトの説明で例に出していますけど、アヒルにもウサギにもみえる変な絵があるじゃないですか。ああいうだまし絵を描いてみせるのが日本の批評の役割だと考えています。僕のこの本も、平成の作家たちはそれなりに面白いことをやってきたとも読めるし、すべてはむなしいとも読めるようになっているはずで、その二面性がないと評論にはならない。