『テスカトリポカ』が克明に描き出す「麻薬カルテルの論理」 一級のノワールを堪能せよ

 自分でも悪趣味だと思うが、メキシコ麻薬戦争を題材にしたコンテンツを見たり読んだりするのをやめられない。ドン・ウィンズロウの『犬の力』シリーズや、映画『ボーダーライン』シリーズ、各種のドキュメンタリーや書籍などなど。1970年代の源流から、80年代のミゲル・アンヘル・フェリックス・ガジャルドとグアダラハラ・カルテルの興隆、そして巨大になった麻薬ビジネスが分割され、90年代以降の激烈な抗争へと至る歴史には、(本当に困ったことだが)惹きつけられるものがある。

 なぜ麻薬戦争に興味を持つのかと言えば、おれや日本の常識とは大きく異なるようで、実は地続きになっている論理の存在が大きい。カルテルが自分たち以外から商品を仕入れた麻薬密売人や敵対カルテルの人間を、信じられないほど残虐な殺し方で殺すのは、別に趣味でもなんでもない。残虐に人間を殺して晒し者にするのが、彼らの商売にとって一番都合がいいからだ。デモンストレーションとしての殺しの効果を最大化するため、カルテルは凄まじい殺し方をした死体を街中に晒す。極めて残虐に見える殺しは、極めて論理的な行為でもあるのだ。

 政治家や警察に高額の賄賂を渡し、軍隊のような重装備を整え、麻薬をアメリカに運ぶための潜水艦まで用意する。「そこまでする!?」といいたくなるような行動も、よくよく考えれば理屈は通っている。そして理詰めで決定されたそれら全ての行動は、「麻薬密売で得られる利益を最大化する」という目的へと通じている。

 商売による利益をより大きくすることを目的とするのは、資本主義社会の大前提だ。麻薬カルテルの行動や論理は、資本主義の理屈から倫理のブレーキを取り除いたものである。どう考えてもやりすぎに見える、残虐極まりないカルテルの行動や論理は、我々が暮らしているこの社会の屋台骨になっている論理とつながっている。だからこそ、おれはメキシコ麻薬戦争のことが気になってしまう。自分の知らない世界の凄まじい殺し合いが、自分たちの社会を支える論理と地続きになっていると思えば、無視するわけにはいかない。

 佐藤究の『テスカトリポカ』は、こういった論理の重なり合いを描いた小説である。主人公は2人。1人は川崎に逃れてきたメキシコ人密入国者の女と日本人のヤクザとの間に生まれ、巨大な体躯と極めて強い筋力を持つ少年土方コシモ。そしてもう一人は、メキシコでカルテル「ロス・カサソラス」のボスとして君臨したカサソラ兄弟の三男であり、敵対カルテルのドローンを用いた空襲(!)で全てを失った男、バルミロ・カサソラ。敵対カルテルへの復讐を誓ったバルミロが資金を貯めるため、日本人の闇医者と結託して日本にやってきたことで、この2人の物語が動き出す。

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