『炎の蜃気楼』が30年間、熱狂的に支持された理由とは? 特異なファンダムを生んだ“中毒性”に迫る
長い歴史を有し、これまで数々のヒット作を送り出してきた集英社コバルト文庫。2020年にシリーズ30周年を迎えた桑原水菜の『炎の蜃気楼』も、レーベルを代表する人気作の一つだ。赤川次郎の『吸血鬼はお年ごろ』、氷室冴子の『なんて素敵にジャパネスク』に続くコバルト文庫内第3位の累計発行部数を誇る本作は(ラノベニュースオンライン調べ)、「ミラジェンヌ」と呼ばれる熱いファンに支えられ、特異なファンダムを作り上げてきたことでも知られている。
1990年から始まった『炎の蜃気楼』は、2004年に全40巻で完結した。だが本編の過去にあたる邂逅編・幕末編・昭和編という形で、シリーズは書き続けられていく。そして2017年刊行の昭和編『散華行ブルース』のラストで本編第1巻へと繋がり、物語は「環結」を迎えた。
シリーズ自体は終了したものの、30周年を記念し、書き下ろし番外編小説を含む『炎の蜃気楼セレクション』が2020年11月に刊行された。また本編挿絵を手がける浜田翔子によるコミカライズも『月刊ミステリーボニータ』で再始動し、『炎の蜃気楼R』第1巻が12月に発売されるなど、本作は今もなお新しい動きをみせている。今回はそんな『炎の蜃気楼』を取り上げ、ファンの動向にも目配りしながら、人気シリーズに迫っていきたい。
『炎の蜃気楼』は、ジャンルとしては戦国サイキック・アクションに分類される。武田信玄ゆかりの魔縁塚が破壊され、松本で暮らす高校生・仰木高耶の周辺では怪現象が頻発した。そんな高耶の前に、直江信綱という男が現れる。直江は高耶の正体が上杉景虎であり、自分たちは軍神・上杉謙信の命を受けて甦り、400年ものあいだ生者の肉体を奪いながら生き続ける「換生者」だと明かした。
敗北した戦国武将の怨霊が今もなお戦い続ける≪闇戦国≫。高耶こと景虎は、彼らを調伏する使命を受けた冥界上杉軍の総大将だった。だが彼は、30年前に直江との間で起きたとある事件が原因で、景虎としての記憶を失っている。いまだ力が目覚めきっていない高耶は、戸惑いながらも調伏に協力する。そんな高耶のもとに、換生した安田長秀、柿崎晴家、色部勝長ら上杉夜叉集が終結し、彼らは各地に出向いて怨霊を調伏する――というのが本作序盤の展開だ。
景虎は上杉謙信の養子になり、彼の死後、同じ養子の上杉影勝との家督争いに敗れ、御館の乱で非業の死を遂げた人物である。直江信綱はもともと景虎と敵対する景勝の臣下であり、生前は対立関係にあった2人が、今はともに怨霊調伏を行っている。作中でも景虎と直江のただならぬ因縁がほのめかされていたが、物語は5.5巻と呼ばれる『最愛のあなたへ』で転機を迎えた。この巻には直江の有名なセリフ「あなたの“犬”です」「“狂犬”ですよ」が登場し、物語の主軸が怨霊調伏から400年にも及ぶ景虎と直江の愛憎劇へとシフトする。
本編完結を記念して刊行された『炎の蜃気楼メモリアル』をみると、「高耶と直江の関係が急展開した頃からグオッと勢いがつき、読者も作者もヒートアップ。≪闇戦国≫より皆の興味は直高のほうへ!」というコメントが登場する。読者は直江と高耶の関係性に熱狂し、作者の桑原もその熱を煽るように、1992年から93年にかけて同人誌という形で直高の性描写が登場する番外小説を発表した(のちに『炎の蜃気楼メモリアル』に収録)。1993年冬のコミケ45から『炎の蜃気楼』単独ジャンルができるなど、本作は二次創作でも盛り上がりをみせた。
『炎の蜃気楼』は史実を下敷にしつつ、歴史上の人物に独自のキャラクターと物語を吹き込んでいる。読者は必然的に歴史に興味を持つことになり、いわゆる「歴女」の先駆けともいえるだろう。そして本作は「聖地巡礼」という言葉が生まれる以前から、物語ゆかりの場所や史跡をめぐる「ミラージュツアー」が盛んに行われた先駆的な作品でもあった。桑原によるトラベルエッセイ『「炎の蜃気楼」紀行』が1994年に刊行されており、読者はこうしたガイドブックを片手に高耶や直江の面影を求めて各地に旅立った。