『逃げ恥』海野つなみが語る、現実の“曖昧さ” 「2人は子どもがいない夫婦になる選択肢もあった」

笑える愚痴と笑えない悪口、そのラインから話せる“繋がり”を

――百合ちゃんや平匡さんを見ていて、自己責任の強い人達こそピンチのときに「周りに甘えられない」、「誰を頼ったらいいかわからない」というのも、個人を尊重する時代ならではの新しい呪いのように感じました。それを打破するヒントとして、沼田会や愚痴の採点などユニークなアイデアがありましたね。

海野:沼田会については、スペシャルドラマでは野木さんがオンラインにしていたのは、「なるほどなー」と思いました。どんな形であれ大事なのはこういう“繋がり”だよな、と。

――愚痴の採点は、どこから浮かんだアイデアでしたか?

海野:愚痴って人によってその深刻度がまちまちじゃないですか。大層なこととして話しているけど、実はそんなに重くなかったり、逆に「大丈夫」って言ってるけどすごくしんどい内容だったり。聞いている方はわからないし、受け取ったまま接していると、あとから温度差があることに気づいて「あわわ……」みたいなことがあるので、点数で「どのくらいだよ」って言ってくれたら、コミュニケーションにズレがなくなるんじゃないかなと思ったんですよね。 「今週の愚痴、ベスト・ワンはジャジャジャジャン!」みたいな感じで発表できたら、笑えるかなって。

――ポップに共有できたら、例え嫌なことがあっても「いいネタ掴んだぞ!」って、楽観的な気持ちになれる気がしますね。

海野:楽しくなりますよね。実際、学生時代にそれに近いことがあって。いつもイヤなことを言ってくる人がいたんですけど、最初はダメージを受ける一方だったんですが、気のおけない友だちと「こんなこと言われたよ」って吐き出せるようになったら、「うわ、またイヤなこと言ってきた。これはひどい! 心にメモメモ!」って面白くなってきたんですよ。

――むしろ「レベル5を期待していたのに、今日は4で終わったー」みたいな謎の落胆がありそうですね(笑)。

海野:そうそう! もっと言うかと思ったのにーって。何を期待しているんだってね。そういう意味では、自分の中で勝手に楽しくなるように工夫はできるかもしれない。

――それを共有して笑える“繋がり”がやっぱり大事ですね。北見くんの愚痴は単なる悪口で終わってしまいましたし。悪口で終わるか、ちょっと笑いのネタになるかみたいなのは、すごく難しいなっていつも思います。

海野:そうなんですよね。聞いてる方が愛想笑いしているけど、「この人悪口ばっかりで疲れる」みたいなこともありますからね。それこそ、いじりの文化とかと一緒で、そのいじりによって悩みが解消することもあれば、いつまでも心に残って「嫌だな嫌だな」みたいなのもあるので、本当難しいですよね、コミュニケーションは。

――なので沼田会のように、フラットに「今のはやばい」みたいなのを言い合える空間は、理想だと思いました。

海野:それぞれが遠慮なく「いや、今のはセーフ」「じゃあ、このラインまではOKってことで」って確認し合えたらいいですよね。一方的に誰かの尺度で判断されるんじゃなくて、それぞれが基準をアップデートしていくみたいな。日本ではそういうディベートは慣れていないですし、ジャッジメントだけが残って「切る」「切らない」みたいな感じになりがちですからね。もっと曖昧なコミュニティで繋がれたらいいなと思います。

複雑な味を楽しめる、女性漫画を描いていきたい

――少女漫画と言えば現実逃避のようなイメージを持つ方が少なくないと思いますが、『逃げ恥』は現実を疑似体験できるリアリティがあります。描く上で意識していることはありますか?

海野:漫画を描いていても「好き」とか「ときめき」とか描いてしまえば、わかりやすくて、読んでいる人にも伝わりやすいかもしれないんですけど。個人的にもっと複雑に描きたいという気持ちがあるんですよね。例えば、甘さもただ「甘い」だけじゃなくて、甘さの奥にある苦味とか酸味とか香りとかがあるんですよね。そこにその人なりのこだわりとか、なんだかわかんないけど他の「甘い」より美味しく感じるとかあるんじゃないかなって。

――そうですね。『逃げ恥』のドラマもムズキュン展開で多くの人を魅了しましたが、その奥にあるコミュニケーションの難しさを考えるきっかけにもなりました。

海野:「キュン」もそうだし、恋愛要素も、笑いも、シンプルに楽しいと感じるその根底にある複雑な面白さがわかる人には伝わったらいいなって思っています。「キュン」と呼ばれるもののなかには、すごく繊細な心の動きがいくつもあるはずなんですよ。今は心の琴線に触れることを全部「キュン」と言っているところがあるかもしれません。

――「キュン」の因数分解をしたくなります。最近、そうした心の動きはありましたか?

海野:私は、かわいい動物を見たときに「キュン」に近い感覚になりましたね。そのときの感情を、別の言葉にするなら「ッ!」って「息が止まる」かなと思います。ちなみに、私の担当編集さんは「動悸がする」って言ってましたね(笑)。

――それはいいですね。トクントクンか、バクバクか、そのあたりでもまた細かく表現ができそうです。

海野:少女漫画は基本的に学生時代のものがメインではありましたけれど、人生はやっぱり学生時代以降が長いので。制服を着なくなった先も、一緒に成長していける漫画があったらいいなと思っています。最近は、男女の恋愛だけじゃない愛情のあり方みたいなものを主題にした作品も多く生まれているので、女性漫画の世界はこれから広がっていくんじゃないでしょうか。

――でも、『逃げ恥』で様々な立場にいるキャラクターについて詳細に描いたことで、「これはどう思いますか?」と専門家のように聞かれることが多くなったと描かれていましたね。

海野:「私、そこらの一般人です。毎回調べまくって描いているだけです」って。だから識者みたいに見られると困っちゃうなっていうのは、正直なところです。

――それだけ調査がしっかりされているという信頼感からだと思いますが。

海野:だから、『逃げ恥』を描くのは本当に大変なんです。「それは少し古い情報ですよ」「これはこの地方だけが適用される法律ですよ」みたいな結果になることも多くて、逆を言えば、それだけ複雑な情報をみんな妊娠がわかってから、調べていくんだと思うと、大変だなって。

――そういう意味では「育児休暇=試行と実践と訓練の期間だ」と描かれていたのは目から鱗が落ちました。たしかに、職場で新しいポジションやミッションに移行したら研修期間のようなものがあるのだから、妊娠・出産にもそうあるべきだと。休暇ではないってことですよね。

海野:休暇ってつけると、のんびり過ごすイメージがありますが、トライ&エラーの期間ですからね。「育休の間に本をたくさん読むぞ」なんて男性がいて、研修期間だと思うと「いやいやいや、本業!」ってなりますよね(笑)。

――『逃げ恥』の、さらなる続編の構想はありますか?

海野:ありがたいことに、みなさんからは「子どもが成長した姿を見たい」みたいな声をたくさんいただき、TBSさんからも「長期シリーズにしましょう」というお話もありましたが、一旦は「無理です〜」ってお話しているんです。子育てはもう人によって本当に違いますし、「私はこうです」「こっちの地方ではこうです」というズレが生まれやすい。背負うものが重くなっちゃったので、これ以上は健康と引き換えに描かねばならないなと……。

――ファンとしてはずっと読み続けたいという思いもありますが、そこは海野先生の健康が第一です。

海野:たぶん、もうみなさんの中に「こういう状況だったらみくりちゃんたちはこうしていくんじゃないか」みたいなものが根付いているんじゃないかと思うんです。物語ってそういうものじゃないですか。自分が好きになったキャラクターたちは、連載が終わっても自分の横でいつも一緒に体験をしてくれて、凹んだときには「あの人ならこう言ってくれるだろう」って思える。そういう存在になってくれたら嬉しいなと思います。

――『逃げ恥』に限らず、今後描きたい作品のテーマはありますか?

海野:そうですね。さっきお話ししたことに通じるんですが、恋愛だけではない、いろんな形の愛情を描く作品を描いていきたいですね。同性同士の繋がりでも、人間以外のものでも、愛情って世の中にたくさんあって、恋愛がないと幸せに生きられないわけではないので。いろいろな形の愛情の物語を描けたらいいなと思っています。

――そうですね。愛情と健康が大切ですね。

海野:楽しみを見つけながら、みんなで健康で生きましょうね。私は、とりあえず三谷幸喜さんの大河ドラマを見届けるまでは生きようと決めたので(笑)。あれを見るまでは、あれを食べるまでは、あの人と会うまでは……そうした楽しみを胸にみんな穏やかに生きましょうねって思います。それがないと日々の繰り返しになって辛くなりやすいので。自分が幸せかどうかは、自分が決めるもの。「これがあれば幸せ」を見つけながら、2021年を過ごしていけたらなと思います。

(C)海野つなみ

■海野つなみ(うみの・つなみ)
兵庫県出身。1989年、『お月様にお願い』でデビュー。代表作は『Kissの事情』、『デイジー・ラック』、『回転銀河』、『逃げるは恥だが役に立つ』など。2015年、『逃げるは恥だが役に立つ』で第39回講談社漫画賞(少女部門)を受賞。同作は2016年、TBSでドラマ化されて大ヒットした。

■書籍情報
『逃げるは恥だが役に立つ』11巻(完結)
著者:海野つなみ
出版社:講談社
発売中
講談社コミックプラス内『逃げ恥』ページ

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