「親が子を愛すというのもそんなに簡単なことじゃない」 作家・町田そのこが考える、虐待問題の難点
“声”を聴き落とさないように、耳を澄ますしかない
――本作では、母と娘というのが大きなカギになってきます。実母に愛されなかった貴瑚。実母に出ていかれてしまった過去をもつ52の母・琴美。そして物語の後半では、母親にセクシャリティを認めてもらえずに苦しんだ女性も登場します。
町田:母と娘って、同性ならではの奇妙な連帯感があるなと感じていて。互いに理想を託しすぎると、ねじれてしまうんじゃないでしょうか。貴瑚の母親は、妾だった自分の母親(貴瑚にとっては祖母)のことを嫌っていて、自分だけはそうなるまいと思っていたのに、同じ道をたどってしまった。だから、妾の子となってしまった貴瑚のことも許せない。再婚して、夫とそのあいだに息子をもうけたから、なおさら。もしかしたら貴瑚が息子だったら、お母さんももう少し愛しやすかったのかもしれないな、と思います。もちろん、だからといって貴瑚の受けた仕打ちが許されるわけではないけれど……お母さんにはお母さんなりの苦しみと歪みがあったんだろうというのも、無視はできない話ですよね。
――逆に琴美は、父親に溺愛されすぎたゆえの歪みを孕んだ女性です。自己肯定感が高すぎるせいで、現実でうまくいかないことがあったとき、上手に対処することができなくなってしまう。
町田:貴瑚の弟もそうですけれど、愛されすぎるというのもやはり歪みではあるんですよね。なんでも許されて、正しく教育してもらえないのも一種の虐待なんじゃないかと思います。声を聞いてもらっているようで、実は、本当に必要なことは何一つ聞き届けられていないというか……。私自身は自己肯定感が低い方なので、琴美のような人にはもともとすごく憧れていたんですよ。私もそんなふうに自分に自信をもちたいし、自信を裏打ちする何かがほしいとずっと思っていた。でも、大人になった今は、自己肯定感が高くても低くてもその人なりに苦しいことはあるんだということがわかってきた。貴瑚の母親や琴美を毒親と断じるのは簡単だけど、親が子を愛すというのもそんなに簡単なことじゃないというのもわかる。人は、子供を産んだ瞬間に母親になれるわけじゃないですからね。母親になりきれなかった彼女たちの、そうならざるをえなかった背景も、もうちょっと書けばよかったかなというのは反省点ではあるんですが……。
――でもそこは、貴瑚の物語なので、書かないままでよかったと思います。読みながら、きっとこの人たちにも何かあったんだろう、というのはじゅうぶん伝わってきましたし、彼女たちに何があろうと、貴瑚と52が人生をつぶされかねない苦しみを負ったのも事実なので……。
町田:そう言っていただけると、嬉しいです。琴美は「私はお母さんに捨てられた。だから私も自分の都合で子供を捨てたっていい」と思っている部分があるんじゃないかと思うんですよ。そうすることでしか、自分の受けた傷を正当化できないんじゃないかな。彼女がシングルマザーになったのも、しなくてもいい苦労をすることになったのも、自業自得の部分が大きいんだけれど、お母さんや息子のせいにすることでしか自分の傷を正当化できなかったし、生きていく気持ちのバランスがとれなかったんじゃないのかな、と。
――気持ちのバランス……難しいですよね。ラストで登場した、娘のセクシャリティを認められないお母さんの姿にとても胸が痛くなりましたが、人が生きていくためにはそれぞれ必要なよすがというものがあって、それを守るために他者を決定的に傷つけてしまうこともある。何があっても加害は許されることではないんだけれど、コントロールのきかない現実のなかで、じゃあどうすればいいのか……というのは本作を通じて本当に、考えさせられました。でもたぶん、まずは“声”を聴き落とさないように、耳を澄ますしかないのだろうな、と。
町田:本当にそうですよね。物語だから一つの終わりは迎えるけれど、はっきりとした答えが出るわけじゃない。だから私も、とくべつ何かを届けようという強い意思では書いていなくて、読み終わったあとに「もう少し頑張ってみようかな」と背中を押してあげられるぐらいの物語になっていたらいいな、と思っているんです。だから「私もちゃんと“声”を聞こうと思った」という感想が想定していた以上にいただけて、驚くと同時にとても嬉しく思っています。