『鬼滅の刃』伊黒小芭内の奮闘はなぜ胸を打つ? 悲劇の少年が運命を乗り越えるまで

「鬼への生贄」として育てられた存在

※本稿には『鬼滅の刃』のキャラクター、伊黒小芭内についてのネタバレが少なからず含まれています。原作を未読の方はご注意ください(筆者)

『鬼滅の刃(22)』

 『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)のコミックスの累計発行部数が、ついに1億部を突破したらしい。先ごろ発売された22巻では、鬼殺隊の剣士たちと宿敵・鬼舞辻󠄀無惨との息もつかせぬ壮絶な最終決戦の様子が描かれているが、この巻で最も印象に残るのは、「柱」(=鬼殺隊剣士の最高位)のひとりである伊黒小芭内の奮闘ではないだろうか。

 伊黒小芭内は、「水の呼吸」から派生した「蛇の呼吸」を極めた「蛇柱」である。蛇のようにうねる変幻自在の太刀筋で、曲がりくねった奇怪な形状の日輪刀を操る彼の物語初登場は第6巻。その時は、「信用しない 信用しない そもそも鬼は大嫌いだ」などといって、主人公・竈門炭治郎と鬼化した妹の禰󠄀豆子のことをいっさい認めようとはしなかった(それどころか、妹を守ろうとする炭治郎の動きを奇妙な体術を用いて封じたりもする)。

 その後も、秘かに想いを寄せている「恋柱」の甘露寺蜜璃と親しい炭治郎に嫉妬して、「柱稽古」の際にはひときわ厳しい稽古をつけたりもするのだが、陰では「音柱」(宇髄天元)らとともに強敵である「上弦の鬼」を倒した炭治郎のことを、一人前の剣士として認めているフシもなくはない。だが、特に彼らの心の交流が描かれることもなく、物語は鬼舞辻󠄀無惨との最終決戦に突入していくのだが、その戦いの中で見せる伊黒と炭治郎の息のあった“バディ感”は、多くの読者の胸を熱くすることだろう。

 また、その「無惨戦」では、それまでベールに包まれていた伊黒の過去が明らかになる。他の柱たちも多かれ少なかれ、それぞれなんらかの壮絶な過去を背負ってはいるのだが、短い間だったとはいえ“家族の愛”を知っているぶん、彼のそれと比べたらまだマシなほう、といえるかもしれない。

 なぜならば、この伊黒小芭内という青年は、もともと「鬼への生贄」として座敷牢で育てられた存在だったからである。そう――彼が生まれた家は、「下肢が蛇のような女の鬼」が人を殺すことで得た莫大な財によって繁栄していたのだが、その“汚い仕事”を鬼にしてもらうために、一族内で生まれた赤子を定期的に食料として差し出していたのだ。伊黒が生まれてすぐになぜ食べられなかったかといえば、彼がその家で370年ぶりに生まれた男子で、かつ珍しい目を持っていたために重宝されたようだ(つまり、「蛇鬼」は伊黒がもう少し成長して、「喰える量」が増えるのを待っていたのだ)。

 そのことを知った伊黒は、盗んだ簪(かんざし)で座敷牢の格子を秘かに削り続けて、ある時、生家からの脱出に成功する。格子を削っている際に、牢の中に迷い込んで来た白蛇の「鏑丸」だけが、彼の信用できるただひとりの友だった(この鏑丸は、「無惨戦」で視力を失った伊黒の目となって共闘する力強い存在ではあるのだが、そもそも「なぜ蛇が伊黒になついたか」ということを考えた時、少し怖い思いがしなくもない。つまり、蛇鬼の餌として生まれた伊黒の体からは、自然と蛇を惹きつけるフェロモンのようなものが分泌されているのではないだろうか)。

 話を戻すと、生家からの脱出に成功した伊黒だったが、結局、蛇鬼に追いつかれてしまう。その時、運よく「当時の炎柱」(おそらくは煉󠄁獄杏寿郎の父)が現れて鬼を斬って助けてくれたのだが、たったひとり生き残った従姉妹は彼をこう罵る。「五十人死んだわ あんたが殺したのよ 生贄のくせに!! 大人しく喰われてりゃ 良かったのに!!」(※)

(※)伊黒の逃亡に怒った蛇鬼は、家にいた50人の女たちを虐殺していた。

 その後、生きていく場所も目的もない伊黒は、鬼殺隊に入隊して柱にまで登り詰める。時には鬼に襲われた人を助けて感謝され、自分が“いいもの”になれた気がすることもあったが、「恨みがましい目をした五十人の腐った手」が、彼の体を掴んで離さない妄想が消えることはなかった。また、伊黒が常に顔の下半分を包帯で隠しているのは、かつて蛇鬼が「口の形を自分と揃えろ」といったために、親族の女たちから口の両端を大きく切り裂かれた跡があるからだった(『鬼滅の刃』の公式ファンブックを見ると、伊黒の好物は「とろろ昆布」とあり、一見かわいい好みにも思えるが、もしかしたら固形物を食べるのが困難な口にされたからでは、と考えたら辛いものがある)。

関連記事