人工知能、監視社会、加速主義……中村文則『R帝国』はコロナ禍の現実とシンクロする

 政府と国民をつなぐ情報テクノロジーを関して現在、現実世界で注目される人物に台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンがいる。コロナ対策でのIT活用に手腕を発揮したタンは、政治的論点に関するオンラインディベートのプラットフォーム「vTaiwan」の構築でも知られる。そうした試みの延長線上に『R帝国』とは反対の、テクノロジーを活用した逆のユートピアが、夢見られているのだろう。

 世界的ベストセラー『サピエンス全史』を執筆した歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが、オードリー・タンと対談した際、興味深い問いを投げかけていた。自分の行動を分析したAIのアルゴリズムが母よりもはるかに自分のことを知っている時、アルゴリズムとはどのような関係性になるのか。アルゴリズムが民主主義を乗っ取った場合、それはどういうことなのか。(参考:Newsweek / ユヴァル・ノア・ハラリ×オードリー・タン対談(2/3)──母親より自分のことを知る存在にどう対処すべきか

 SFでは以前からテーマにされてきたハラリの問いに対し、タンは説明責任と透明性の大切さを述べ、返答はあまり歯切れのよいものではなかった。

 一方、『R帝国』では、HPが知能だけでなく感情らしきものまで示し、人間に匹敵する人格を有するように描かれる。また、作中では、人間は自分の意識でこうしようと考えているつもりだが、実際は脳の反応を遅れてなぞるだけだ、脳もプログラミングされているとする仮説が紹介される。アルゴリズムが先行するという着想が、同作にもみられるのだ。

 『R帝国』には、政権の黒幕・加賀が登場するけれど、特定人物の悪意によって世界が歪められている設定ではない。彼はむしろ、現に動いている社会システムを追認し解説する役割を作中で負う。戦争やテロが当たり前である資本主義リアリズムのプログラムをいかに円滑に遂行するか。それを考える加賀の思考もまた、あらかじめ社会のアルゴリズムで決定されているのかもしれない。

 L側の人物に対し加賀が「党」の立場を説く終盤の章は、〈プロとコントラ〉と題されている。ラテン語で肯定と否定、すなわち賛否両論を意味するこの言葉は、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(1880年)の章題からとられている。この章で加賀は、「人々が欲しいのは、真実ではなく半径5メートルの幸福なのだ」と指摘する。そのうえで一部の犠牲者に対する国民の罪悪感に「党」が許しを与え、両者が罪でつながるのだと、支配を正当化する主張を展開する。

 一方、『カラマーゾフの兄弟』の〈プロとコントラ〉では、カトリック教会を支配する大審問官が復活したキリストに対し、人々は天国での自由ではなく地上のパンを求める。だから、自由をさしだし奴隷になってもいいから食べさせてくれと求める彼らに対し、労働を与えるのだとうそぶく。

 一般の民の欲求に応じる形で支配が成立している。テクノロジーの発達を織りこんだ『R帝国』は、そんな必要悪としての支配をめぐる問題意識を19世紀の名作から受け継いでいる。古くて新しい物語なのだ。同作では、矢崎、栗原と登場人物が漢字で表記され、R帝国と日本になんらかの関係があることが暗示される。また、物語のなかではナチ、第二次世界体制、ルワンダ虐殺、9.11といったこちらの現実世界の出来事が、小説として伝えられている(正史がフィクションとして流通する設定は、フィリップ・K・ディックのパラレル・ワールドSF『高い城の男』と同様)。そして、Y宗国に攻撃されたコーマ市の犠牲が、小説「沖縄戦」の犠牲と重ねて語られる。同種の悲劇が反復されているというわけだ。

 つまり『R帝国』のRは、戦争やテロの歴史の繰り返し(Repeat)から脱することができるのかというテーマも象徴しているのかもしれない。救いの出口を求める登場人物の叫びは、我々の声でもある。

■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『ディストピア・フィクション論』(作品社)、『意味も知らずにプログレを語るなかれ』(リットーミュージック)、『戦後サブカル年代記』(青土社)など。

■書籍情報
『R帝国』
中村文則 著
本体:720円(税別)
出版社:中央公論新社
ISBNコード:ISBN978-4-12-206883-4
公式サイト:https://www.chuko.co.jp/bunko/2020/05/206883.html
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