古市憲寿が語る、小説を書き続ける理由「この時代に何があったかを残しておきたい」

 古市憲寿が新作小説『アスク・ミー・ホワイ』を上梓した。『平成くん、さようなら』『百の夜は跳ねて』『奈落』に続く4冊目となる本作は、4月18日から7月31日まで“ツイッター連載”という形で発表。オランダ・アムステルダムを舞台に、日本料理屋で働くヤマト、スキャンダルで芸能界を引退した俳優・港颯真の関係を、ドラッグ、セクシャリティの問題を絡めながら描いている。

 現実に起きた出来事、自身の価値観や思想を投影し、フィクションとして集約させる手法はこれまでの3作と共通しているが、主人公たちのキャラクター、ストーリー展開を含め、かなり“ポップ”な仕上がりと言えるだろう。「物語でしか描けないことがある」という古市に、『アスク・ミー・ホワイ』執筆に至ったプロセス、小説家としてのスタンスなどについて聞いた。(森朋之)

「この街を舞台にした小説を書きたい」

ーー新作小説『アスク・ミー・ホワイ』は、緊急事態宣言中の4月18日にツイッター連載という形でスタートしました。この小説の構想はいつ頃からあったのでしょうか?

古市:構想を思いついたのは、2018年の冬ですね。『アスク・ミー・ホワイ』の物語はアムステルダムが大寒波に襲われるシーンからはじまるんですが、僕が旅行したときもまさにそういう状況でした。友達に会うのが目的だったんですが、寒いなか、いろんな場所に行ったり、脱出ゲームをやったり(笑)。日本におけるアムステルダムのイメージはドラッグやセックスが中心かもしれないけど、実際は全然それだけではないんですよね。いろんなルーツの人が暮らしていて、新しいカルチャーやエンターテインメントが次々と生まれている。そのときに「この街を舞台にした小説を書きたい」と思ったのが最初です。ちょっとずつ書き進めて、コロナ禍のタイミングで連載をはじめました。

ーーこれまでは文芸誌で発表することが多かったですが、違うメディアで発信したいという気持ちも?

古市:そうですね。これまでの小説は初出がすべてオーセンティックな文芸誌だったんです。自分では自由に書いているつもりでしたが、今から振り返るとやはり何らかの意識はしている。そこで次は違う場所で発表したいと思ったんです。出版社もマガジンハウスだし、Twitterで連載することも含めて、いままでとは違いますね。

ーーツイッターで発信することで、読者の反応や感想もすぐにチェックできたと思いますが、それが執筆に影響を与えたところもありますか?

古市:物語の大筋は決めていたんですが、Twitterのリプライを見ながら「ここに反応してくれるんだ」とか「こういうふうに読み間違えられることもあるのか」ということもありました。それを参考にしながら、表現を変えていきました。文芸誌で発表するときは全文掲載するし、書いている時には読者の意見を聞けないので、そこはまったく違いましたね。文字数も決めてなかったし、制約もまったくないので、書いていて楽しかったです。自然と内容もこれまでの作品とは違ったものになりました。今までの3作はすべて“死”をモチーフにしていたんです。『平成くん、さようなら』は安楽死、『百の夜は跳ねて』は、死と隣り合わせの仕事がテーマで、主人公は身近な人を亡くしている。『奈落』は、死にたくても死ねないミュージシャンが主人公。

ーー『アスク・ミー・ホワイ』はむしろ、“どう生きるか”がモチーフになってますよね。

古市:誰のために書くか?ということにも繋がると思うのですが、今回はコロナのタイミングということもあって、暗い話にしたくなかったんです。現実の世界が不安に満ちていて、辛い、苦しい、明日が見えないという気分に苛まれているときに、暗い話は書きたくなかったし、読者も読みたくないんじゃないかなと思ったんです。現実が不安だからこそ、優しいストーリーというか、「こうだったらいいな」という世界を描きたかった。

ーーコロナ禍の社会の雰囲気も反映されている、と。

古市:世の中が明るいときは、みんな現実直視型の厳しい物語を読む余裕もあると思うんですが、いまはそうじゃない。せめてフィクションの世界だけでも優しく、愛情深くありたいなと思ったんです。あと、海外に行けなくなった時期だからこそ、海外を舞台にした小説を書き上げたくなったのかも。ツイッターで連載をしていたときは「うちで旅する」というハッシュタグをつけていました。

“今”の物語を残したい

ーー『アスク・ミー・ホワイ』のストーリーは、アムステルダムの日本料理店で働くヤマト、スキャンダルが原因で芸能界を引退した俳優・港颯立を中心に展開されます。“ドラッグ、ゲイ疑惑で引退に追い込まれる”という港の設定は、誰が読んでも現実の出来事を思い浮かべると思いますが。

古市:いつかは全くのファンタジーを描くかもしれないですが、この世界と地続きの物語、“今”の物語を残したいと思っています。社会学関連の本はもちろん、平成が終わるタイミングで『平成くん〜』という小説を書いたのも同じ理由です。固有名詞を入れるのも、この時代に何があったかを残しておきたいからなんです。

ーー社会学者としての視点も入っている?

古市:たぶん、そうだと思います。今回の作品でいえば、たまたま自分の身近に有名人・芸能人も多いので、彼らのことを描きたいという思いもありました。画面の向こうにいる芸能人は華やかだし、多くの人が手にしにくい幸せを手にしているように見えるかもしれない。だけど一方で、多くの人にとっては当たり前の幸せを享受できないことも多い。ふらっとカフェやレストランに入るだけでニュースになっちゃう人もいますからね。

ーー物語のなかに、セクシャリティの要素が含まれているのも、『アスク・ミー・ホワイ』の読みどころだと思います。繊細なテーマですが、港、ヤマトの関係を通してセクシャリティの問題を描くにあたり、どういうことを意識していましたか?

古市:たとえば “男か女か”“ゲイかストレートか”って二分法で考えがちですよね。でも実際はスペクトラムというか、グラデーションだと思うんです。『アスク・ミー・ホワイ』でも、セクシャリティは大事なテーマですが、港くんとヤマトの関係をあまり特別なものとしては描いていません。セクシャリティを繊細なテーマとして扱いすぎることに疑問もあるんです。たとえば味覚って、自分で変えることは難しいけど、いつの間にか変わることもあるじゃないですか。セクシャリティもそれと似た部分がある気がします。たとえば女性が好きな男性は、たまたま今「男性」をしていて、「異性愛者」をしているだけとも言える。学問的にはパフォーマティビティと言ったりもしますけど。

ーーヤマトのセクシャリティが、物語のなかで少しずつ変化していくのも印象的でした。

古市:その人のアイデンティティに関する多くのことがらは、属性ではなく、状態だと思うんです。たとえば“サラリーマン”“社会学者”“コメンテーター”といった職種は、生まれ持った属性ではなく、たまたまその状態にあるだけと考えられますよね。セクシャリティも似たように考えていいと思うんです。今回の小説を書きながら意識していたのは、“好き”という感情の在り方ですね。アムステルダムで有名人の港くんと知り合ったヤマトは、「この人と仲良くなりたい」と思う。有名人だからそう思ったのか、それとも彼自身に惹かれているのか。つまり“好き”という感情もきっちりは分けられない。それは僕たちの日常にもよくあることですよね。誰かに好意を持った時、本当にそこに利害はないのか。実際は “仕事ができる”“才能がある”“顔が好み”など、いろいろな理由が混然一体となって好きという感情が生まれることも多い。この小説は、そういう感情のグラデーションに戸惑っているヤマトの話でもあるんです。

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