『鬼滅の刃』鬼舞辻無惨、悪役史に残る問題発言を考察 “大人の正論”に込められた欺瞞
吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』(集英社)の最新刊となる第21巻では、いよいよ最強最悪の敵・鬼舞辻無惨との最終決戦が描かれる。
大正時代を舞台に、無惨を頂点とする鬼たちと人間の戦いを描いた本作は、鬼になってしまった妹の禰豆子を人間に戻すために、鬼を狩る鬼殺隊に入隊した竈門炭治郎の物語。すでに『週刊少年ジャンプ』での連載は終了しているが、10月16日にはアニメ映画『鬼滅の刃 無限列車編』の劇場公開が控えており、その勢いは未だ衰えることを知らない。
以下、ネタバレあり。
夢幻城での戦いは、いよいよ大詰め。無惨に仕える十二鬼月の上弦の壱・黒死牟を倒した鬼殺隊の柱(最高位の剣士)・悲鳴嶼行冥と不死川実弥、上弦の参・猗窩座を倒した炭治郎と柱の富岡義勇、上弦の弐・童磨を倒した嘴平伊之助と栗花落カナヲは無惨の元へと向かう。
一方、柱の甘露寺蜜璃と伊黒小芭内は琵琶女の血鬼術で足止めを食らっていた。そんな中、第一陣の隊士たちが、無惨の姿を発見する。お館様の産屋敷耀哉と無惨に敵対する鬼・珠世の攻撃で受けた傷を回復するため「肉の繭」に籠もっていた無惨だったが、隊士たちが攻撃しようとした瞬間に姿を見せ、隊士たちを攻撃。隊士たちは殺され、回復のための食料にされてしまう。父の後を継ぎ、新しいお館様となった産屋敷輝利哉は、悲しみの中で全戦力を無惨に集結させる。
最初に無惨の元にたどりついたのは炭治郎と富岡。そんな2人に対し「お前たちは本当にしつこい飽き飽きする」「心底うんざりした」と無惨は冷たく言い放つ。親兄弟の敵を討とうとする2人に対し「お前たちは生き残ったのだからそれで充分だろう」「身内が殺されたから何だと言うのか」「自分は幸運だったと思い元の生活を続ければ済むこと」と言った後、「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え」という悪役史に残る問題発言をおこなう。
無惨の振る舞いは炭治郎でなくても「お前何を言ってるんだ?」と唖然とするものだが、極めつけは、その後に続く「死んだ人間が生き返ることはないのだ」「いつまでもそんなことに拘っていないで」「日銭を稼いで静かに暮せば良いだろう」と言う場面。このコマの無惨の表情は、本当に冷たい。このやりとりが描かれた第181話「大災」は連載時に反響を呼んだ回だが、単行本で読むと新たな発見も多い。
まず「死んだ人間は生き返ることはないのだから、復讐なんてやめろ」という説得は、漫画やドラマによくあるもので、むしろ主人公が復讐心に囚われた人間を説得する時に使われるものだ。その意味で、復讐に囚われている炭治郎たち鬼殺隊を「異常者の集まり」だと無惨が言うのは、現代的な視点で言うと、あながち間違っておらず、大人の正論だとも言える。
これが、現代を舞台にした刑事ドラマなら、肉親を殺した殺人犯を殺そうとする遺族に対し「復讐は何も生まない」と、刑事が諭す場面になるのだろうが、無惨に言われると「お前が言うな!」と思ってしまう。「どれだけ人を殺そうとも天変地異に復讐しようという者はいない」という台詞に対しても同じことが言える。
おそらく、多くの読者は無惨の台詞を読んで、地震や津波、気候変動による大雨や台風、あるいは、現在起きている新型コロナウィルスによるパンデミックを連想するのではないかと思う。確かに無惨や鬼たちが振るう暴力は、天変地異に匹敵する圧倒的なものだが、彼らは自分の欲望と意思で、その行為をおこなっている。それを天変地異だと言うのは、自分自身の罪を誤魔化す卑怯な振る舞いであると同時に「自分たちは特別な存在だから人を殺しても構わない」という特権意識が滲み出ている。
その意味で、大人の正論に聞こえる台詞の中に、二重三重の欺瞞が込められているのだが、凄い台詞を書いたものである。ここでの無惨の台詞や描写は、今後、漫画やアニメに登場する悪役に、大きな影響を与えることは間違いないだろう。