『僕のヒーローアカデミア』デクとオールマイトは日米関係を照らし出すーー多角的な批評性を考察

プロヒーロー制度とシビル・ウォー

 戦後日米関係についての視座以外にも、『ヒロアカ』は特別な力をどう管理すべきかの日米の考えを相対化してみせる。

 本作では特殊能力を使って犯罪者に立ち向かってよいのは、免許を持つプロヒーローだけだ。特殊能力をみだりに使うのは犯罪行為であり、『スパイダーマン』のように特殊能力を使って街の平和を勝手に守っていはいけない世界なのである。

 ヒーローの免許制度で思い出すのは、マーベル作品におけるヒーロー同士の大戦「シビル・ウォー」のきっかけとなった「超人登録法」だ。(映画でのシビル・ウォーのきっかけは、アベンジャーズを国連管理化に置く「ソコヴィア協定」だった)

 超人登録法とは、ヒーローとして活動する者の氏名、住所などを国家に登録した上で訓練を受けさせ、国の管理化で任務を行うように義務付ける法律だ。この超人登録法を巡って、賛成派と反対派にヒーローが分かれ、内戦「シビル・ウォー」が勃発する。

 超人登録法の反対派と賛成派の言い分をかいつまんで説明すると、反対派はヒーローは自分の信念に従って正義をなすべきで、国がいつも正しいとも限らない。国が間違えた時にも止める必要だというもの。賛成派は、強大な力を野放ししておくこと自体が危険なことではないかという主張だ。

 『ヒロアカ』はこの法律が実現した世界と言ってもいいかもしれない。初期の頃には大きな混乱と議論があったようだが、少なくとも内戦が勃発するような事態にはなっていないのはなぜだろうか。もしかしたら、一般国民が巨大な力を制御する組織が必要と認識しているからかもしれない。それと、なんだかんだ法律を守るのは大切だよねという常識の支配、あるいはお上(政府)の言うことには従うべしという「お上意識」のせいかもしれない。

 対してマーベル世界では、政府を転覆させうる強大な力を政府の管理化に置くべきかという議論は、内戦が起きるほどの大事件なのだ。世界の警察、アメリカらしい発想だが、やはりそれは諸刃の剣だ。政府が腐敗していたら、それを止める力はたしかに重要だ。しかし、その力自体が世界に混乱をもたらすかもしれない。ヒロアカの免許制プロヒーローという設定は、力というものに対する日米の考えを図らずも浮き彫りにしている。

 アメリカのスーパーヒーローのあり方は自警団的であると言える(バットマンはその典型だろう)。アメリカには州兵という制度があるが、これは元々は自警団だったものを制度化したものだ。アメリカは元々、合衆国憲法修正項第2条で「武装する自由」が保障されている国で、自警団的な発想を日本よりも大切にしている。アメリカのスーパーヒーローは、その自警団的な精神の発露とも言えるだろう。

『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミアILLEGALS-』

 『ヒロアカ』も自警団とプロのヒーローの違いは何か、という点に言及している。作中屈指の存在感を持つヴィラン、ヒーロー殺しのステインは、プロヒーローを堕落した存在と言い、ヒーローは全て内面の高潔さで自発的に振る舞わねばならないと語っている。人気取りのために行動するのではなく、国家に管理されるべきでもないという主張なわけだが、それは自警団の発想と相性が良い。しかし、自警団は現実には暴走することもあるのだ。その暴走が問題になったからプロヒーロー制度が生まれたのだ。このあたりの自警団とヒーローのあり方については、本編よりもスピンオフの『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミアILLEGALS-』が掘り下げている(ステインが自警団として活動していた過去も描かれている)。このスピンオフの第0話の1ページ目は非常に批評的だ。「自警団はヒーローの原点だ」と言いながら、今は法律違反で犯罪だと言うのだ(https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049550348)。

 『ヒロアカ』は明確に法律は遵守すべきという考えに貫かれている。まだ学生でヒーロー免許を持たないデクたちが、力を行使せずに状況を切り抜けるエピソードなども描かれる。(時に脱法的に力を振るうこともあるが)暴力を使うのはヒーローもヴィランも一緒、ならばその両者を分けるのは法律なのだ、という考えである。対してアメコミでは、法律ではなく内面の高潔さによってヴィランとヒーローが分かれる。

 その他、『ヒロアカ』世界では、ヒーローが災害救助も行うのだが、これは災害大国である日本らしい発想と言える。日本においては悪人よりも自然災害はより身近な脅威である。外敵からの防衛力である自衛隊が今日、最も称賛を集める時は災害救助の場面であることを思わせる。災害救助のエピソードが本格的に描かれたことはこれまでにないが(災害救助を想定した演習のエピソードはあった)、災害救助を題材にした魅力的なエピソードをいつか読んでみたい。

 ここに挙げた以外にも、『ヒロアカ』には数多くの批評的視座がある。ヴィランのあり方や、主人公デクの母親が描かれることなど(ジャンプのヒーローで生きた母親が登場することは稀なのだ)、現代社会とのリンクにとどまらず、多角的な批評性も備えた非常に稀有な作品なのだ。

■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

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