千葉雅也が語る、自己破壊としての勉強と痛みとの共存 「生きることは、プリミティブな刺激を快楽に変換すること」
痛みを享楽に変えるのが人間
――『勉強の哲学』では、人間は基本的にマゾである、痛みを享楽するものだという主張も重要で、これは千葉さんの小説『デッドライン』でも描かれていると思います。しかし、世の中的には痛みをどんどん取り除いて「快適」にしようとする動きばかりが加速しているように感じます。人間が本来マゾであるなら、なぜ社会はそれを取り除く方向に流れるのでしょうか。
千葉:結局、痛みが嫌だからでしょう。二律背反で、痛みは享楽にできるけれど、それでも痛いのはやはり嫌なんです。先ほど話した自己破壊も要するに痛みですから、そういう無理なことをしたくない人も多いわけです。でも、痛みを減らそうとしても完全にゼロになることはない、だから少しでも痛みを快楽に変えようとする傾向が人間にはあります。
――どれだけ痛みを取り除いても、痛みはなくならないのですか。
千葉:そうです。あらゆる外部刺激は本来すべて苦痛であり、光が見えるのだって痛みですから。アメリカの文学理論家のレオ・ベルサーニなどはそういう根本的なレベルでなぜ人間にはマゾヒズムがあるのかを考えていますし、ブッダだっておそらくそうだと思います。生物が生きていくということは、プリミティブな刺激を快楽に変換することなんです。痛みを減らそうとしても減らしきれないので、本当は痛みとは共存しないといけません。もし完全に痛みをなくせると考えている人がいるならば、それは鈍感だし、愚かなことです。この問題は、様々な暴力の問題などともつなげて考える必要があると思います。二村ヒトシさん、柴田英里さんとの共著『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』では、そのレベルで痛みを考えています。
――痛みと共存する、あるいは享楽として受け入れるためにはどんなことを実践すべきでしょうか。
千葉:自分の中で、実は嫌だけど楽しいと思えることを発見することでしょうか。例えばスポーツなどは、肉体的に苦しいことをやっているのに、楽しみにしている人も多いですよね。あとは仕事とか。エクセルにデータを入力する作業だって苦痛だと思いますけれど、やり始めると楽しくなってきてしまうことがあるでしょう。人間は物事に集中すると、ある種の自閉症的なプロセスに入っていき、うまくいくと楽しさにつながっていきます。重い腰を上げるのは大変ですが、一度やり始めてしまえば、閉じられた中でのルーティンが回り始めるので、ハムスターがぐるぐる回るのと似たような奇妙な享楽が発生します。
――嫌だけど楽しいと思えることを発見するのは、無意味に思えることにこだわるという話ともつながるのでしょうか。
千葉:つながります。我々が有意味だと思っている仕事も、パーツごとに分けると実はすごく無意味なプロセスの組み合わせから出来ているんです。無意味なプロセスを肥大化させると、非効率な組織になります。書類を馬鹿丁寧に作るとか、きちんとした順序ではんこを押すとかは、まさに苦痛を享楽化したために起きることで、そのほとんどは無意味です。
――手続きの肥大化は基本的に好ましくないことですよね。
千葉:そうですね。でも、無意味で非効率であることが必ずしも悪いわけではありません。例えば新型コロナウイルス対策に関して、手続きなんて飛ばしてすぐに緊急事態宣言すべきだと言っていた人もいますが、それはファシズムにつながる危険性があります。無駄な手続きの肥大化には、ファシズムの防波堤という側面もあるんです。無駄な手続きによって生じるリスクはもちろんありますが、だからといって手続きなしにリーダーが決断すればいいわけではない。
これはすごく重要な観点で、日本ではリーダーがリーダーらしく振る舞っていないとの批判もありますが、民主主義のあり方として間違っているとは言い切れない部分があります。欧米各国では、国のトップがかなり強いリーダーシップを発揮していますが、ああいうところに欧州文化の暴力性が出ているとも言えるでしょう。一見すると無意味なことによって守られているものもあるという観点があると、痛みと共存する道も見えやすくなるのではないでしょうか。
『勉強の哲学』から「制作の哲学」へ
――『勉強の哲学 増補版』で加筆された補章では「制作の哲学」というプロジェクトを温めていたと書かれています。それはジャンル横断的に「ものを作ることの原理的考察」であり、『勉強の哲学』も根本的には「いかにして何かを作る人になるか」を考えていたとのことでした。例えば小説『デッドライン』を書かれたのは、その「制作」の実践なのでしょうか。
千葉:そうですね。「制作の哲学」というプロジェクトネームで、ここ数年は色々と実践してきました。小説を書いたのもそうですし、俳句を作ったり、漫画を描いてTwitterに載せたりしているのも全部そのプロジェクトの一環です。
――補章で「勉強しながら何かを制作することは、生活を楽しくするための間違いないやり方」と書かれています。生活を楽しくすることの根本的な大切さとは何なのでしょうか。
千葉:これも苦痛を快楽にするようなひねりのある話になりますが、人間は本能的な必要性を満たすだけでは生きていけないんです。必要だから栄養を取り、眠り、繁殖するだけでは人間らしくいられない。脳神経がすごく複雑に発達したために、腹が減ったとか眠いといった本能的に必要なこと以外にも、余計なことを考えてしまうようになった。人間の知性の余った部分が余計なことを考えてしまうので、何か意味ありげなことをして適当になだめていかないと人はおかしくなってしまいます。それがこの世界に文化が存在する理由なんだと思います。創造的なことをして楽しく生活することは、人間の過剰な認知能力に対する日々の対処なんです。
――新型コロナウイルスで不要不急とは何かと問われる中で、文化の重要性についてこの上なく明快な解答を得た思いです。ありがとうございました。
■千葉雅也
1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。現在は立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。
■書籍情報
『勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版』
著者:千葉雅也
発売:3月10日
価格:700円+税
出版社:文藝春秋(文春文庫)