デスマッチファイター葛西純自伝『狂猿』

葛西純自伝『狂猿』第6回 ボコボコにされて嬉し涙を流したデスマッチデビュー

 葛西純は、プロレスラーのなかでも、ごく一部の選手しか足を踏み入れないデスマッチの世界で「カリスマ」と呼ばれている選手だ。20年以上のキャリアのなかで、さまざまな形式のデスマッチを行い、数々の伝説を打ち立ててきた。その激闘の歴史は、観客の脳裏と「マット界で最も傷だらけ」といわれる背中に刻まれている。クレイジーモンキー【狂猿】の異名を持つ男はなぜ、自らの体に傷を刻み込みながら、闘い続けるのか。そのすべてが葛西純本人の口から語られる、衝撃的自伝ストーリー。

第1回:デスマッチファイター葛西純が明かす、少年時代に見たプロレスの衝撃
第2回:勉強も運動もできない、不良でさえもなかった”その他大勢”の少年時代
第3回:格闘家を目指して上京、ガードマンとして働き始めるが……
第4回:大日本プロレス入団、母と交わした「5年」の約束
第5回:九死に一生を得た交通事故、プロレス界の歴史は変わっていた

どうしてもデスマッチがやりたかった

 俺っちが入門してデビューした頃、大日本プロレスのエースとして活躍していたミスター・ポーゴさんと中牧昭二さんが離脱した。そのあとに「デスマッチ新世代」と呼ばれた、本間朋晃、シャドウWX、山川竜司、ジ・ウインガーが台頭して、新たなスタイルのデスマッチを作りあげていた時代だった。

 俺っちは、大日本プロレスでデビューしたからには、いつかはデスマッチをやるものだと思っていた。そもそも、どんなタイプのお客さんにも有無を言わせない、痛みの伝わるような試合をしたいという想いがあったからね。その気持ちは、連日連夜セコンドについて、間近でデスマッチを見ても変わらなかった。デスマッチアイテムを作るのは下っ端の仕事で、よく伊東竜二と一緒に有刺鉄線ボードや蛍光灯ボードを作ったりしていたけど、それでも恐怖感は無かったし、「いつになったら俺もデスマッチやらせてもらえるんだろう」と思っていた。ただ、当時の自分はデビューはしたけど、第一試合に出ては負け続けてるだけ。そんな結果も何も残してない人間が「俺にもデスマッチやらせてください!」なんて、口が裂けても言えない雰囲気だった。

 本間さんや、シャドウWXさんにメシに連れて行ってもらったときに「葛西はデスマッチやりたいのか?」って聞かれることがあって、そこで「やりたいです!」と答えてはいた。たぶん、それがいつのまにか会社に伝わって、俺っちはようやくデスマッチデビューできることになった。逆に、伊東は「デスマッチはしない」とハッキリ言っていたと思う。時期は前後するけど、俺っちはそんな伊東のデビュー戦の相手を務めている。

 伊東は、気は利かないけど、仕事はすぐに覚えるし、練習でも教えられたことは何でもできるから、先輩たちから気に入られていた。俺っちと入門した時期も3カ月くらいしか変わらないし、ほぼ同期みたいなものなんだけど、真逆のタイプだなと思っていた。ただ、身長があるぶん、体が細かったから、山川さんから「こんなガリガリ、リングに上げるな!」って言われ続けてデビューが遅れていて、ようやく組まれた初試合の相手が俺っちだった。試合内容はあんまり覚えてないんだけど、こっちはいつもの第一試合みたいな感覚で、普通に勝ったと思う。伊東はデスマッチをやらないということもあって、俺っちとしてはライバルとも思ってなかったし、やがてコーナーの向こう側に立つ人間という認識すらなかった。

デスマッチ・デビュー

 葛西純、待望のデスマッチデビューは、後楽園ホール大会の休憩前に組まれた、あまり注目もされてない試合だった。俺っちがジ・ウインガーと組んで、松永光弘・山川竜司組に挑むという図式だったんだけど、ハッキリ言って、このカードが発表されたときは、試合形式もハッキリしてないし、お客さんの誰一人として期待してなかったと思う。どうせ葛西っていう新人が普通にやられて負けるんでしょって、誰もが予想していた。でも俺っちは、せっかくデスマッチデビューするんだから、何か爪痕残してやろうと思ってワクワクしてたし、実際に試合開始まで楽しみでしょうがなかった。とはいえ、俺っちの武器は、若さと勢いしかない。ガムシャラに挑んだけど、すぐ返り討ちにあって、もうボッコボコにされた。松永さんと山川さんが相手だから、それは当たり前なんだけど、こんなにも差があるのか思うほど何にも通用しなくて、見事に半殺しにされた。でも、その俺っちのやられっぷりが良かったのか、後楽園ホールのお客さんがこの試合でドッカンドッカン沸いてくれたんだよ。

 試合には負けたけど、俺っちが1番インパクトを残したという手応えはあった。そのことが嬉しくて、試合後に思わず涙が出てきた。お客さんからみたら、あの葛西とかいう新人は、ボコボコにされて、血だるまになって、痛くて、悔しくて泣いてるんだろうっていう感じで受け止めたと思うけど、自分の中では「ようやく求めていた試合ができた」っていう嬉しさで泣いていた。あのときに感じた気持ちは、いまも忘れていない。

 この試合を境にして、会社の評価もちょっと変わってきた。それに、松永さんが俺っちのことをえらく気に入ってくれた。それまでは、まともに話したこともないというか、雲の上の存在だったけど、この頃から色々とアドバイスをくれるようになった。

関連記事