『鬼滅の刃』19巻、バトルと同時に“人間を掘り下げる”作劇術 童磨との戦いで描かれた心の解放

 元々、鬼は人間だ。その多くは人間の時に悲しい経験をしており、それを理由に鬼となった者も少なくない。彼らは鬼である限り、人を襲い、その苦しみから開放されないのだが、戦いに負け、肉体が滅びる最後の瞬間に、やっと心が開放される。

 これは鬼滅隊に入った炭治郎たちも同様だ。特に「柱」と呼ばれる剣士たちは壮絶な過去を抱えており、それゆえに鬼以上の力を持った者もいる。もしかしたら、鬼を滅ぼすためなら自らの犠牲も厭わない鬼滅隊の方が怪物化しているのかもしれない。一方、話が進むにつれて、鬼も人間くささを見せはじめる。

 この19巻では、上弦の壱・黒死牟が「柱」の時透無一郎の先祖で「始まりの呼吸の剣士」だったことが明らかになる。上弦の陸・獪岳も、かつては鬼殺隊の剣士で善逸の兄弟子だったが、上弦の月の階級が上がるほど、鬼と人間の境界は怪しくなる。中でも、上弦の弐・童磨は、無惨に継ぐユニークな存在である。

 童磨は、洋風の着物を着た爽やかな好青年の姿をしており、笑みを絶やさない。しかし、童磨には喜怒哀楽といった感情が欠落しており、それゆえどんな悪事でも淡々とこなし、そのことに対して何とも思わない。童磨は万世極楽教という宗教団体の教祖だった。彼自身は極楽も地獄も信じておらず、自分を崇め奉る信者を見ては愚かだなぁと思いながら教祖として振る舞っていたが、鬼になってからは苦しみから開放するための善行として人間、特に女性を好んで食らうようになる。感情がない童磨は、他の鬼以上に不気味な存在感を漂わせているが、作者はそんな童磨を「感情がない」という欠落を抱えた悲しい存在として描いている。

 そんな童磨との戦いは『鬼滅の刃』が追求してきた戦いの中で過去の因縁を軸に人間を掘り下げるという作劇術が、もっとも際立ったエピソードである。童磨はもちろんのこと、鬼滅隊の胡蝶しのぶ、栗花落カナヲ、嘴平伊之助の心の開放まで描き切った。凄惨な戦いの果てに、数々の鬼と鬼殺隊たちを成仏させてきた本作だが、果たして、もっとも業の深い存在である無惨も成仏させることができるのだろうか?

 結末へ向かう中、鬼と人間の境界は曖昧なものになってきている。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■書籍情報
『鬼滅の刃 19 (ジャンプコミックス)』
著者:吾峠 呼世晴
出版社:集英社
発売日:2020年2月4日
価格:440円(本体)
https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-882204-4

関連記事