雇用、移民、SF、瞑想までーー『21 Lessons』は現代の諸問題への向き合い方を教えてくれる

 『サピエンス全史──文明の構造と人類の幸福』で、「虚構を操る力こそが人類を生き残らせた」という観点から過去を。続く『ホモ・デウス──テクノロジーとサピエンスの未来』では、生命の遠い将来を研究し、「これから先、人類は何に取り組むのか」と問いかけたユヴァル・ノア・ハラリの新作『21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考』は、ハラリがはじめて現代の諸問題を真正面から取り扱った一冊だ。

 これまでハラリが何千年に渡る過去、そして未来をその射程に入れてきたが、本書ではこの数十年、場合によっては数百年までの社会的、経済的、政治的危機を中心に取り扱っている。たとえば、雇用の減少、年々難しくなる教育、世界的な気候変動などなどである。ハラリはあいもかわらず明確な語り口で、複雑化する一方の現代の様相をわかりやすく描き出し、物事をじっくり考えるだけの糸口を与えてくれている。

 いつか起こり得るであろう非有機的生命体が社会をどれほど変えてしまうか、といったかなり空想の領域に入り込んでいる論調は(そっちはそっちで、もちろん魅力だったのだけれども)ナリをひそめ、地に足のついた問題を扱っている分、これまで敬遠していたり、ちょっと合わんなあと思った人でも楽しめる一冊であると思う。

取り扱われているテーマについて

 取り扱われているテーマは雇用や移民といったシンプルなものから、SFや瞑想のような意外なものまで、21個用意されている。本書の読みどころは、そうした諸問題に対して、大上段から答えを提示してあげよう、というのではなく、我々はこれから先そうした問題についてどう考えていけばいいのだろう? 考え始める前にどのような情報をふまえるべきなのだろう? と、そもそもの考え方の土台や、思考の余地を提供し、もっと立ち止まって困惑せよ、と提示してくれているところにある。

 たとえば、最初の「幻滅」の章では、いかにこの現代が自由主義に対する幻滅に満ちた世界であるかをまずは丹念に解説していく。2008年の金融危機以来、世界中の人々は自由主義の物語に次第に幻滅するようになった。イギリスでEU離脱が是認され、トランプが当選し、壁やファイヤウォール、移民や貿易への抵抗は増すばかり。

 とはいえ、自由主義が崩壊の危機に至ったのはこれがはじめてではない。第一次世界大戦の中、帝国による権力政治がグローバルな進歩の流れを中断した時も、ヒトラーが現れた時も、1930年代から40年代にかけてはファシストの嵐が吹き荒れ自由主義の流れは勢いを削がれた。続く50年代から70年代にかけては、世界は共産主義の方へと傾いているように見えた。そうした過去の事例と比較して、今の状況はどうなのだろう。相対的にマシなのか、そうではないのか。

 そもそも「自由主義」と一言であらわしたとき、それは具体的にどのようなものを指しているのか──と歴史的経緯を踏まえ土台を固めながら「幻滅」というキーワードを広げ・深堀りしていき、次第に「仮に自由主義体制が完全に崩壊するとしたら、他のどんなビジョンが自由主義の物語にとってかわるだろうか?」や、「(自由主義に)代替される物語がもはやないとしたら、そもそも単一のグローバルな物語という発想自体を捨てるべきなのか?」といったさらにその先の問いかけにたどり着くのである。そうした問いかけに対して、わかりやすい明快な結論は存在しない。

 現時点では、人類はこうした疑問に関して合意に達するには程遠い。人々が古い物語への信頼を失ったものの、新しい物語はまだ採用していない。幻滅と怒りに満ちた虚無的な時期に、私たちは依然としてある。では、次にどうすればいいのか? 最初のステップは、破滅の予言を抑え込み、パニックモードから当惑へと切り替えることだろう。パニックは傲慢の一形態だ。それは、私はいったい世界がどこへ向かっているか承知している(下へと向かっているのだ)という、うぬぼれた感覚に由来する。当惑はもっと謙虚で、したがって、もっと先見の明がある。「この世の終わりがやって来る!」と叫びながら通りを駆けていきたくなったら、こう自分に言い聞かせてみてほしい。「いや、そうではない。本当は、この世の中で何が起こっているのか、どうしても理解できないのだ」と。

 我々は難しい現代の諸問題について、わかったつもりをするのではなく、しっかりと座り込んで当惑すべきなのだろう。理解できないことをしっかりと「なぜ、まだ理解できないのか」と理解すべきなのだろう。こうやってハラリが描き出していく明快な歴史認識や論理、現状認識については賛同できない側面もあるが、明確であるがゆえに反論もしやすく、それ自体が(考えるきっかけになるので)また価値でもある。

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