新宿二丁目はなぜ、世界的なLGBTタウンになったのか? 『新宿二丁目』著者が語る、街の成り立ちとその変化
世界でも有数のLGBTタウン、新宿二丁目。誰もが聞いたことがありながら、その街がどのように成り立ったのか、歴史を知っている人がほとんどいない不思議な街。伏見憲明の著書『新宿二丁目』では、膨大な資料と関係者へのインタビュー、そして実体験を元に、新宿二丁目がどのようにして形成され、広がり、変化してきたかが事細かに書かれている。今回、その著者である伏見憲明に執筆のきっかけや新宿二丁目の歴史、そしてLGBTを取り巻く環境の変化についてまで詳しく話を聞いた。
昔から様々な人を受け入れる街だった
――著書『新宿二丁目』の執筆は、何がきっかけだったのでしょうか?
伏見:最初に、新潮社から「LGBTの入門書を書いてほしい」という依頼がありました。ただ、そういうのは90年代にいっぱい書いているし、入門書のような若い世代が読むものは、世代が近い人が書いたほうが言葉が伝わる。それを56歳のおばさんというかおっさんがやってもしょうがないんじゃないかなと(笑)。それで、僕は二丁目でバーをやっているから二丁目のことなら書けるかもしれないと考え、初心者向けの二丁目ガイドブックを書こうと思い立ったんです。それから古い資料や取材メモを読み直したり、新しい資料や追加の取材をしているうちに、だんだん二丁目の歴史物としてまとまっていきました。「こことここが繋がっていたのか」とか、新しい発見もたくさんあって。
ーー最初に点と点が繋がったのは、どの部分だったのでしょうか?
伏見:戦後の新橋(のちに銀座に移転)にできた喫茶店・バー「ブランスウィック」について調べていたときです。この店はいわゆるゲイバーの源流のような存在なので、ちゃんと洗い直そうと思って、古い取材のメモをネットで照合していたら、戦前から今日に至るまでの流れが見えてきた。ジャズ喫茶の文化とゲイバーの文化がそこで交差していたことがわかって、「これはすごい!」と。マスターだったケリー氏の稀有な才能に惚れこみました。「ブランスウィック」の背景に関しては新発見、誰も知らなかったことだったので、この章だけでもこの本の価値はあると思います。
――二丁目には、もともと外国人を受け入れる土壌があったという話も出てきますね。
伏見:今回改めて古い町会の冊子を見ていたら、戦前にロシアから亡命してきた人の店があったこともわかりました。外国人というより、元々よそ者に寛容な土壌がある街なのだと思います。
――町会の本など、ソースを漁るのも結構大変だったのではないでしょうか。
伏見:そうですね。今回はゲイの人たちと同じくらい、住民の人や、街でご商売をされている人への取材を頑張りました。みなさん色々協力をしてくださって。今の二丁目の町会の中心になっている人たちは、年長の方でも団塊の世代くらいなんです。売春防止法が施行された昭和33年は、団塊の世代が10歳ぐらいだった頃で。みなさん、その頃の記憶をそんなにはっきり持っているわけじゃないから、おそらくは「いつの間にかゲイの街になっていました」というのが正直な実感なのかと。僕の店が入っているビルのオーナーさんも町会の婦人部長で、古いことを教えてくれたり、取引のある酒屋さんが取材に応じてくれたり、よく行く飯屋の主人が細かな情報をくれたり……。むしろゲイより優しいですよ、ノンケの人の方が(笑)。
――そういったゲイじゃない方の視点も取り入れられているのが、とても興味深かったです。
伏見:90年代にやはり二丁目などゲイの歴史を雑誌に書いた時に、なんでゲイじゃない人たちを取材しなかったのか、いまになってみれば自分でも不思議なんですよね。当時は「町の住民の方なんて壁の向こうの別世界の住人だ」っていう風に認識していたのかもしれない。それくらいゲイバーの二丁目と昼間の二丁目は隔てられていた。でも時代が変わって、あるいは僕がこの街で仕事をしてきたおかげで、酒屋さんとか不動産屋さんたちと関係ができてきたところで、そっち側も調べられた。やっぱり年月と経験を経て、今の時代だからこそ書けたところはありますね。
――二丁目を引退された方の話も感慨深いものがありました。お店を辞められた後のことは、意外と誰も知らなかったりするのでしょうか。
伏見:そうですね。水商売の方は、消息が分からなくなっちゃうことが多いです。最初、92年ごろに二丁目の歴史の本を書こうと思ったんですが、その時に、この辺りに初めてゲイバーを出店した「イプセン」のマスターを探し出したんですよ。でも古いマスターたちに聞いても、誰も明確に住所を知らない。そこで誰々と同じマンションに住んでた、なんていう断片的な情報を組み合わせて「このマンションかな?」とあたりをつけて大久保の街を歩いていたら、たまたま同じ名字の部屋があって「見つけちゃった!」ということもありました。
――もはや探偵ですね(笑)。
伏見:そうなんですよ(笑)。ただ、古い世代のゲイバーの人は、時代が時代ですから「ゲイバーなんて人様に言えないような仕事」という思いもあるんですよ。だから僕がかしこまって「インタビューを」と切り出すと、「うちは結構です」みたいな感じになっちゃうから、菓子折持参で三顧の礼を尽くして、よもやま話のなかで少しずつ話を引き出していくような感じでした。どんな取材もそうだと思うんですけど、喋りたい人ばかりじゃないので。この場合はむしろ喋りたくない人ばかりなので、話を引き出すまでが大変でした。こっちもすごく疲れるし、申し訳ない気持ちもするし。今回は、多くの人が協力的だったんですけど、けんもほろろな場面もありました。トントンとドアを叩いたら、ぺろっと喋ってくれる人ばかりじゃないから、精神的にも消耗しました。
――そういった苦労もあると思いますが、昔からこの辺にいた人の話というのは、本当に貴重ですよね。
伏見:新宿自体が流動性の高い街で、昔から住んでいた人がどんどん出て行ってあまり残ってないんです。でも、それがゲイの人たちが入ってきやすかった大きな理由のひとつだとは思います。あんまりコミュニティがしっかりしている地域だと、新参者は入っていけないじゃないですか。
――周りの目が気になりますからね。やはり二丁目のような地域は世界的にも珍しいのでしょうか?
伏見:サンフランシスコに行ったって、ここまで密集している地域はないでしょう。アメリカだと、スナックみたいな小さな飲み屋自体がないですし。飲み屋っていっても、たいていもうちょっと大きい規模のショットバーです。だから、小さい店がここまでワーッと集まっているのは、二丁目独特のものなんじゃないですかね。そこが面白いです。