「十二国記」シリーズ、なぜ新潮文庫から発売? 少女小説/ライトノベルの一般文芸化を考察

 小野不由美による「十二国記」シリーズで、 18年ぶりとなる新作長編『白銀の墟 玄の月』が発売された時、これは落丁ではないかといった話が広まった。文庫本の上の小口、「天」の部分がそろっておらずギザギザになっていたからだが、これには理由がある。新潮文庫では、天アンカットと呼ばれる製本手法が使われているからだ。

 1814年の創刊で、国内で最も古くから続いている文庫レーベルならではの伝統が息づく部分とも言え、そうした伝統の中に、講談社ホワイトハートX文庫という少女小説のレーベルから誕生した「十二国記」のシリーズが、組み入れられた証と見ることもできる。

 「十二国記」のシリーズで紡がれる架空の国々の物語は、政治があって軍事があって、社会があって人々の営みがあってと、世界をかたち作るすべてが詰め込まれていて、読む人たちの人生に語りかける。ファンタジーだからといって絵空事だとは思われないディテールの濃さで、ホワイトハートX文庫の時代から性別を問わず、年齢も幅広い読者を集めた。

 より広い範囲に届く物語だという判断が、少女小説のレーベルから一般向けの講談社文庫への展開を誘い、文庫の殿堂とも言えそうな新潮文庫への移籍へと至った。シリーズの源流とも言える『魔性の子』を刊行したレーベルに里帰りしたとも言えるが、天アンカットの話題はそのころからすでに出ていた。待望の新刊となって改めて読み返そうとした人や、これを機会にと新しく手に取った人が手に取ったことで、話題が可視化されたのだろう。

 少女小説やライトノベルのレーベルから出ていようと、そして表紙絵がコミックのようであろうと面白ければ気にしないという人も大勢いる。一方で、中身は気になっていても手に取りづらいという本好きも少なからずいたりする中で、新潮文庫版の『十二国記』では、講談社文庫が避けたホワイトハートX文庫時代からの山田章博が、表紙絵やイラストに起用された。

 これはおおいに歓迎すべき部分だ。少女小説にしてもライトノベルにしても、イラストが物語世界への没入感を高め、キャラクターへの感情移入を強くしてくれる。山田章博のイラストに絵画的な雰囲気が色濃いとしても、それすらも嫌がる読み手をねじ伏せ手に取らせているのだとしたら、イラストとともにライトノベルを楽しんでいる読み手には「してやったり」という感慨も浮かぶのではないか。

 それというのも、ティーン向けとされるライトノベルとして刊行されて、上の世代の関心を誘ってレーベルが移ったり、広がったりする中で表紙や中からイラストがなくなってしまう場合があるからだ。大好きな小説の物語性が評価されたというのは歓迎すべき部分ではあっても、同じくらい大好きなイラストを避けられてしまったという思いは、結構苦い。

 ライトノベルのレーベルから、一般文芸という流れでまず浮かぶのが、桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』だろう。父親による少女への虐待というセンシティブなテーマを扱ったこの小説は、2004年に富士見ミステリー文庫から刊行されるやミステリー界にとどまらず、一般文芸からも関心を呼んで桜庭一樹という名前を強く印象づけた。

 後に、そうした方面からの依頼に応えて小説を執筆するようになり、2008年に『私の男』で第138回直木賞を受賞するに至ったきかっけとも言える作品。ただ、文庫版では、むーによる少女たちが抱き合ったイラストが使われていたものが、2007年に単行本化された際にも2009年に角川文庫入りした際にも、イラストは外された。

 桜庭一樹によって2003年に富士見ミステリー文庫でスタートした『GHOSIC-ゴシック-』シリーズも、角川文庫入りした際には当初の武田日向のイラストとは違った、シルエットによる表紙絵で発売されたが、ここですばらしかったのは、富士見ミステリー文庫の店じまいとともに移った角川ビーンズ文庫で、武田日向のイラストがそのまま使われたことだった。

 2017年に武田さんが亡くなった時、桜庭一樹はブログで「もう一人の作者」としてその死を悼んだ。第一次世界大戦後のイギリスに暮らすヴィクトリカと、日本から留学していた九条一弥が遭遇する不思議な事件を描いたシリーズでは、かわいらしいキャラクターや嘆美なファッション、瀟洒な背景が物語世界への没入感をどこまでも高めてくれた。だからこその支持だったという意識を強く抱いていたからこそ、ビーンズ文庫版で引き続き、武田日向の世界を使ったのだろう。

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