なぜ、未来を思い出すことはできないのか? 『時間は存在しない』がいざなう、未知の世界

 『時間は存在しない』(NHK出版)の著者、カルロ・ロヴェッリはイタリア生まれの理論物理学者である。プロフィールには「量子重力理論の研究チームを率いており、『ループ量子重力理論』の提唱者のひとり」だとある。とはいえ、このように説明している私自身、本書を読み終えた後でも、「量子重量理論」の定義は何か、著者が提唱する「ループ量子重量理論」が何かを正確に説明することはできない。しかし、この本を手に取るにあたって予備知識は不要だ。確かに著者はきわめて高度な研究をしており、理解困難な未知の世界を探索する研究者にして思索家であるが、『時間は存在しない』は、数学や科学に疎い一般の読者にも伝わりやすい親切なテキストである。これまでの物理学の研究成果、そして著者が研究する理論が目指す先には、時間に関する固定概念を揺さぶる事実が存在し、読者をしばし途方もない思考の領域へと連れていってくれる。そのエッセンスを感じ取ることは決して難しくないはずだ。

 物理学の描き出す時間の概念には、独特の魅惑がある。かつて映画『インターステラー』(2014年)が公開された際、とある映画批評家の「昨日ブラックホールの本を初めて読んで興奮した中学生が撮った映画のようだ」という冗談めかした感想を聞いた記憶があるが、この意見はいみじくも作品の美点を的確に言い当てている。『インターステラー』には、この世界の仕組みに畏怖し、驚愕する初々しい視線があるのだ。滅亡の危機に瀕した人類が、居住可能な星を探して宇宙を探索するというあらすじは、ノーベル賞を受賞した物理学者(キップ・ソーン)の協力で作られており、相対性理論や量子力学が重要な要素となっている。わけても、宇宙のある場所で経過する1時間が、地球での7年に相当するという劇中の展開には、『インターステラー』が描こうとする物理学の驚きが凝縮されている。主人公が数時間の惑星探索を行うあいだに、地球では23年以上の時間が経ち、子どもだった家族はすでに父親と同い歳になっている──。われわれが考えている時間の概念が非常に限定されたものでしかないと、観客は物語を通して知るのだ。

 「宇宙全体にわたってきちんと定義された『今』という概念が存在するというのは幻想で、自分たちの経験を独断で押し広げた推定でしかない」とカルロ・ロヴェッリは述べる。彼曰く、遠い宇宙の果てにいる誰かへ向かって、「今そちらは何時ですか」と質問することには意味がない。なぜなら、宇宙のあちらこちらで時間はさまざまに流れており、「今」として参照できる絶対的な基準がないためである。ことほどさように、時間に対してわれわれが抱く数多くの固定概念を取り払い、圧倒的に広い視点を与えてくれるのが本書最大の魅力だろう。「空間の各点に、異なる時間が存在する。唯一無二の時間ではなく、無数の時間があるのだ」という記述に読者は唖然とするが、読み進めるうち、しだいに著者の伝えようとする時間の概念が飲み込めてくる。著者は理解を容易にするため、非常に正確な時計を使用すれば、高い山の上で測った時間と、平地で測った時間は異なっているという事実を例に挙げる。なぜなら「地球は巨大な質量を持つ物体なので、そのまわりの時間の速度が遅くなる。山より平地の方が減速の度合いが大きいのは、平地の方が地球(の質量の中心)に近いからだ」。こうしてていねいに説明されていくため、一般の読者にとっても、時間の真の姿を理解するのはそう難しくない。

 それにしても、このような理論を研究する物理学者とはどのような人びとなのか。本書でもっともすばらしいと感じたのは、著者が大学生のころに「プランク長」という概念に出会い、この概念の追求を生涯の目標と定めるエピソードだ。プランク長とは、物理学的な長さの概念である。長さの単位を細かく区切っていくとする。1cm、0.1cm、0.01cm、0.000001cm……。こうしてどこまでも区切っていくと、やがて「この最小限の長さより短いところでは、長さの概念が意味をなさなくなる」最終的な段階にたどり着くという。その段階が「プランク長」と呼ばれ、長さは「1cmの10億分の1の10億分の1の10億分の1の100万分の1」、すなわち「10マイナス33乗」だという。これ以上の短さは存在し得ない、という行き止まりのような単位だ。

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