Toi Toi Toi 山田せいあ「自分もまだ夢を追えるかもしれない」 30歳だからこそ見える景色 波乱万丈のアイドル人生を語る

「“商品”になったほうが自分を守れると思っていた」

――一度はアイドルを辞めて就職していた山田さんですが、またアイドルに戻りますよね。どんな理由で?

山田:大きかったのはお声がけをいただいたということですね。今思うと、私はいちばんノっているときにアイドルを辞めちゃったんですよ。翔さんに取り上げていただいて、メディアに出始めていたし、“橋本環奈さんのライバル”という記事を書いていただいたこともあったので。

――世間から注目を集めていた時期だったんですね。

山田:「今辞めるのはもったいない」と言われるタイミングでした。当時の私からすると「これ以上売れたら戻れなくなる!」と思ったから辞めたんですけどね。

――でも、各所から「復帰しないか」という声がかかっていたと。それだけ求められているとわかると、心も動くでしょうね。

山田:ずっと連絡をもらっていましたからね。ただ、その声を受けて始めたのは、アイドルではなくてバンドでした。東京のアイドル仲間から「バンドをやろう」と誘われたのがきっかけで2019年に始めました。でも、いろいろあって続かなかったんですよね(笑)。

――活動期間はどのくらいだったんですか?

山田:半年くらいです。ギターは弾けるようになったんですけどね。

――バンドの活動拠点は、東京だったんですよね? このタイミングで上京を?

山田:そうです。最初は実家を離れたくなくてホテル暮らしをしていたんですけど、さすがにキツくなって、泣く泣く上京しました。

――なのに、バンドが解散してしまったんですね。

山田:そうです。もう、「どうしよう!」ってなりました。

――地方出身者にとって、上京というだけで不安ですからね。そのうえ活動の場を失ってしまった。

山田:もともと、上京したばかりの頃はすごく孤独を感じていたんです。こんなに人がいて、こんなに物であふれているのに、孤独になるんだ、って。そのうえ仕事もなくなったので、用もないのに竹下通りやラフォーレ原宿を歩き回っていました。「何かをしている」と思い込みたかったんですよね(笑)。

 いっそ、北海道に帰ろうかなとも思っていたんですけど、ありがたいことにこのタイミングでもいくつかお声がけをいただいて。2019年のうちに、シャカデリックというアイドルグループに加入したんです。でも、今度はコロナ禍とぶつかりまして。活動がままならなくなり、2021年にはみんながそれぞれの人生を大事にする方向へ進んでいきました。

――2022年には、新たなアイドルグループ スーパーベイビーズのメンバーとして活動をスタートさせますよね。

山田:シャカデリックからスーパーベイビーズ立ち上げまでの期間は、アイドルを辞めたというよりリセットという感じでした。所属している事務所自体は変わらず、次のグループが始まるという流れだったので、完全に途切れていたわけではないんです。

――シャカデリックとスーパーベイビーズに所属していた2019年から2025年までの6年間で、アイドルとしてどんな変化がありましたか?

山田:それでいうと、SNSですかね。本格的にSNSの時代に入ったことで、SNSに入り浸るアイドル人生が始まりました。

――チェックも怠らないし、投稿もマメにするし。

山田:そうするとアンチが増えるんですよ。怖かったのでどうにか対抗しようと思って、反抗期みたいな態度を取っていました。正直、この頃の私は黒歴史です(笑)! 大人を信用できなくて、変な大人に騙されないように、女性としてもアイドルとしても強く生きようと、かなり過激なスタンスをとっていました。シャカデリックの頃がとくにひどかったかな。

――具体的にはどういう?

山田:「私はアイドルとしてこう思っています」という発信を逐一していました。長文でつらつら語るというよりは、口語体で言いたいことをズバッと言う感じ。しかも、絵文字は使わず、媚びないアイドルを演じていました(笑)。

――それが本来の自分ではなかったのに。

山田:はい、真逆でした。過激なアイドルという“商品”になったほうが、自分を守れると思っていたんですよね。あと、運営さんに対してもナメられちゃいけないという感覚があったので、強気に出ていました。

――尖っていたんですね。

山田:そうなんです! 若かったんですよ、本当に。すみませんでした……。だけど、スーパーベイビーズの頃には反抗心も薄まっていて。アイドルとして「このままじゃダメだ」と思い、自主的にダンスレッスンに通うようになりました。

 昔から、ダンスは好きだったんです。小学生の頃にも習っていたし、アイドルになってからもステージでのパフォーマンスに楽しさを感じていたんですけど、だからこそ今一度基礎から学び直して、これまでやってこなかったジャンルのダンスも経験して、パフォーマンスの幅を広げたいと思ったんです。おかげで、この期間でずいぶん成長したと思います。

――ここまでのアイドル人生で、現実を突きつけられた瞬間はありますか?

山田:SNSがどれだけ伸びても、実際にライブ会場に足を運んでくれる人はごくわずかだとわかった瞬間、ですかね。バズってもそれで終わり。だからもっとバズらせなきゃいけないという繰り返しになるところは厳しいです。あとは金銭面ですね。東京で生活しながらアイドルを続けるのは本当に大変です。

――アルバイトできるほど時間もないですもんね。

山田:そうなんですよ。それこそ、スーパーベイビーズの頃はお金がなくなって、ギターを売ったこともあります。あと、詐欺にも遭いました! スーパーベイビーズ卒業後に。

――SNSで見ました(※1)。30万円もの被害にあったと。

山田:しかも、それ以外にもあるんですよ。お金がなくなって「案件をいっぱい受けなきゃ!」と焦っていた時期だったので、とくに騙されやすかったんだろうなと思います。この期間は事務所にも入っていなかったので、事務所に守ってもらうことも大事なんだなとあらためて気づきましたね。

――ここまでの活動のなかでアイドルへの情熱が消えかけた瞬間はありましたか?

山田:実は、スーパーベイビーズに入る前に、とある事務所から「新グループを結成するので、初期メンバーになってもらえませんか」と声をかけていただいたんです。でも、断ってしまったんですが、そのグループがわりとすぐにバーンと売れたんですよ。このときは結構きましたね。「本当だったら、あそこにいたかもしれないのに」「もう、運は使い果たしたんだ」と思いました。以降は、「今が楽しければいいんだ」と思って活動するようになりました。諦めたわけではないんですが、心のどこかで「もう、(売れるのは)無理かも」と思っていましたね。

 あと、YouTubeやTikTokを個人で始めた結果、山田のファンがめちゃくちゃ増えたんですけど、それがグループ全体の成長には全然繋がらなくて。メンバーのモチベーションが下がってしまうこともあり、アイドルって難しいなと思うことが増えていました。

――山田さんのモチベーションも下がっていた?

山田:そうですね。どんどん下がっていきました。上がることはまずなかったです。

――スーパーベイビーズを卒業したのも、モチベーションによるところが大きいのでしょうか?

山田:はい。そのときは「もう、絶対にアイドルをやらないぞ」と思って卒業しました。北海道に帰るつもりで。

――でも、そこでToi Toi Toiに加入しないかと声がかかる。

山田:いくつかお声がけはいただきました。もうすぐ30歳なのに、まだ需要があるんだと正直ビックリしましたし、うれしかったです。だけど、またアイドル人生に労力を使うことに抵抗があったんです。「またか……」という気持ちでした。

――もう、疲れていたんですね。

山田:アイドルを始めた日から卒業までの活動をまとめた動画を作ったくらい、覚悟を決めていました。なので、まさかまた始めるとは思わなかったです。

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