渡辺美里、デビューから40年の時を経た“歌とメッセージの深み” 21stアルバム『Birthday』をライター3氏がクロスレビュー

「歌声で楽曲を染めるのではなく、“完成させる”シンガー」(伊藤亜希)

 昭和から平成にかけて、西武球場(現ベルーナドーム)には、特別な夏の風物詩があった。1986年から2005年まで20年連続で開催された渡辺美里のスタジアムライブである。1990年からはライブ当日に池袋駅から西武球場前駅までを結ぶ臨時特急「MISATOトレイン(美里列車)」が運行されていた。筆者は何度か、その列車に乗り西武球場のライブに足を運んだことがある。西武球場へ向かう列車の中は、同じライブを目指すファンがあふれ、その会話を耳にするだけで、ライブが始まっているような高揚感を覚えた。そして渡辺美里は今年、その聖地へ帰ってくる。21年ぶり21度目の西武球場公演だ。

 昨年、デビュー40周年を迎えた渡辺が、7年ぶりに21枚目のオリジナルアルバム『Birthday』をリリースした。そのジャケットは、デビューアルバム『eyes』(1985年)をオマージュしている。原点を思わせるモチーフはそれだけではない。収録曲の「Deep Breath」はアルバム『BREATH』(1987年)を想起させる。「でっかい愛を抱きしめながら」の〈本当の夏と/虹を見つけたよ〉というフレーズは、シングル曲「虹をみたかい」(1989年)を思い出す。「BITTER☆SWEET ROCK'N'ROLL」で綴られた〈10年先も一緒に〉というフレーズは、シングル曲「10 years」(1988年)を思わせ、長年のリスナーへ向けたさりげないメッセージとして響いてくる。だが、これらは思い出の引き出しを開けるためのトリガーではない。40年という時間を経た現在の歌声で、次の未来へつなぐための仕掛けとして機能している。

 デビュー当時を思わせるフレッシュさと、40年歌い続けてきたボーカリストだけがたどり着ける円熟した包容力。この2つの魅力が自然に共存していることこそ、渡辺美里が辿り着いた、ひとつの境地と言える。

 デビュー当時から、歌唱力に定評のあった渡辺。デビュー前に受けたあるオーディションで、その歌唱力で急きょ新設された「最優秀歌唱賞」を受賞したというエピソードもある。改めて振り返ってみれば、渡辺の歌声はデビュー当時から実年齢以上に成熟していて、80年代の女性ボーカリストに多々見られた、可憐さや甘さ、張り上げるような高い音を武器にしていなかった。レンジの広さ、中低音域~低音域のこもらない発声、安定した声の密度、どの音域でも響きの軸がブレない歌声は、凛とした響きを宿していた。その本質は40年経った今も変わらないが、人生を重ねた深みが加わっている。もともと大人びた歌声だったからこそ、年月は衰えではなく深みとなったのだ。

 渡辺の歌唱を語る上で重要なのは、声色の演出に頼らず、ストレートなアプローチを軸としているところだ。そのため、どんな楽曲を歌っても声の印象は変わらず、渡辺美里の歌になる。メロディに対して実直でストレート。ロングトーンでも音程をほとんど揺らさない。力で張り上げるというより、声を解き放つような高音域は、広がり続けながらも、倍音で密度を増していく。

 例えば本作の「夕暮れシンドローム」の随所で見せる、一音だけのファルセットも、技巧を披露するためではなく、夕暮れの淡い情景や心の揺らぎを描くために用いられていると考察する。高度な技術を持ちながら、それをあえて見せないことこそ、渡辺美里というボーカリストの真骨頂である。さらに彼女は、メロディだけでなく、言葉も大切に歌う。感情を優先して発音を崩すことがない。一音一音、丁寧にメロディに日本語を乗せ、歌詞と旋律が互いを引き立て合うように歌っていく。本作を通して言えば、子音に丸みを持たせ、母音に自然なクレッシェンドをかけるようなアプローチからも、より言葉を大切にしようという意識が伝わってくる。だからこそ、聴き手は言葉で情景を思い浮かべながら、美しいメロディに浸ることができるのだ。

 「折りたたみ傘」で、槇原敬之の繊細でどこか牧歌的なメロディと歌詞が、同時に自然に心に落ちてくるのも、渡辺が歌うからこそだろう。低音域から始まり、高音に展開する本曲では、音域が変動していく中でも、声の太さが変わらない。低音では必要以上に重くならず、高音でも細く鋭くならない。どのレンジでも同じ密度を保っているため、歌声によってメロディラインが1本の線として自然につながって聴こえる。

 新作『Birthday』は、木根尚登、槇原敬之、川村結花、斎藤有太など、豪華な作家陣を迎えて制作されている。渡辺は一音一音を端正に積み重ねることで、作曲家が託した旋律の魅力を最大限まで引き出していく。その魅力は、ミディアムテンポの楽曲でひときわ輝く。ミディアムの曲をメインに据えるのはデビュー当時からの渡辺のアルバムの作品性にも通じており、テンポ感が似ているのに、曲ごとにまったく異なるキャラクターを立ち上げていくのが歌声である。「さくらムード」では春の穏やかな空気を宿し、「そして歌がはじまった」では低音の包容力を見せ、軽やかに歌い出す「Deep Breath」では明るい希望が顔を出し、サビ前の早口になるアプローチにデビュー当時の渡辺を垣間見る「でっかい愛を抱きしめながら」では“でっかい”開放感を加える。

 渡辺美里は、歌声で楽曲を染めるのではなく、歌声で楽曲を完成させるシンガーだ。作曲家が書いたメロディを、作詞家が紡いだ言葉を、1曲の作品として完成させる最後のピースが、渡辺の歌声なのである。だから彼女が歌うと「歌がうまい」という印象よりも先に、「いい曲だった」と記憶に刻まれる。渡辺の歌声があるからこそ、楽曲は名曲へと昇華される。

 『Birthday』には、『eyes』を思わせる瑞々しさがある。しかし、それは40年前を再現したものではない。40年間、自らの歌声を信じ、メロディを慈しみ、言葉を大切に歌い続けてきたボーカリストだからこそ生まれた、新たなフレッシュさである。原点回帰と円熟。この相反する魅力を違和感なく響かせる歌い手は、今の日本でも決して多くない。

 40年という時間が育てた渡辺美里の歌声が、今なお新しい名曲を完成させる力を持っていることを証明したのが『Birthday』である。(伊藤亜希)

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