『BLARE FEST. 2026』DAY1総括:coldrainが体現する“自由”の核心 ONE OK ROCK、SiM……型を刷新してきた猛者たちの狂宴

責任とリスペクトを持って各々が自由に遊ぶ――coldrainの一貫した精神性
「NO RULES ONLY MORALS」。これは、『BLARE FEST.』の開催発表とともに掲げられ、まだ出演アーティストが発表されていない時点から『BLARE FEST.』のホームページトップに置かれていたスローガンである。ルールはなくモラルだけがある場所だと先立って伝えることはつまり、観客一人ひとりの善意と良識によって成立するフェスであるというメッセージだ。そしてそれは、各々の責任で遊び、各々の責任で助け合うからこそルールに縛られない自由を獲得できるのだというストリートカルチャーの根本理念でもある。つまりフェスの方針というよりも、俺達の遊び場の作り方を提示することから始まったのが今年の『BLARE FEST.』であり、2020年、2023年に続く3回目の開催にして、『BLARE FEST.』が不定期開催の巨大なお祭りから自由な遊び場として成熟してきたことが「NO RULES ONLY MORALS」という標語からは窺える。また、この言葉はcoldrainが2023年以降にセルフマネジメントとなって以降の太い軸になってきたものでもあるはずだ。自由という幻のような概念を追い求めて突き進むからこそ、ルールではなく良識を指針にするべきだという意識をより一層強固にしてきたのだろう。単にピットでの過ごし方を伝えるものではなく、この音楽の根本姿勢としてモラルの交感をcoldrainは求めている。


そう考えると、『BLARE FEST.』史上でも最高にラウドなタイムテーブルになったことは単なる里帰りではないだろう。ストリーミングサービス台頭以降の価値観でEvanescenceを再構築して「女性によるニューメタル」を更新して見せたAmira Elfekyがキャンセルになったことは「現行のラウド」をプレゼンテーションし続けるフェスにとって惜しい事態だったが、パンクロックやオルタナティブロックも含めて、ストリートに根を張り自治の精神でもって転がってきた音楽を一斉に招聘したこと自体がこのフェスからのメッセージだったはずだ。coldrainが始まって間もない頃に地元・名古屋でしのぎを削っていたものの、その後別々の道を歩んでいたSPYAIRが初出演したり、『BLARE FEST.』の前身であるイベント『BLARE DOWN BARRIERS』以来初めての共演となる[Alexandros]がいたり、ラウドミュージックのフェスだとひと言では言い切れないミクスチャー性はそのまま、しかしあくまでcoldrainがどこから生まれ、誰と交わって生きてきたのかを率直に表すことで自治の精神・サポートの精神・正しさではなく優しさを選ぶ精神を伝えようとしたのだろう。一見ラウドミュージック/ヘヴィミュージックの枠に収まらないアーティストもまた、ジャンルとは異なる意味で自分達の場所を耕してきたプライドを鳴らすためにこのステージに立っていた。そういうライブばかりだった。


そして言わずもがな、そんな縦横無尽なラインナップを実現できるのはcoldrainだからこそだ。
『BLARE DOWN BARRIERS』の発起から現在に至るまでを振り返ったスペシャルインタビュー(※1)でも語られていた通り、2007年に結成された当時のcoldrainは居場所がない状態だった。2000年代の日本のシーンは「ラウドな音楽」といえばメロディックパンクが第一に挙がる状況であり、当時のアメリカのヘヴィロックやニューメタル、ポストハードコアに憧れて始まったcoldrainが両足で踏み締められる土壌はなかったのだ。ヘヴィミュージックの村に行けばポップ過ぎると言われ、メロディックパンクの2ビートがモッシュを巻き起こしていたライブハウスで闘ってもヘドバンは浸透しない。そんなシーンに己のオルタナティブな音楽性を持ち込むために立ち上げられたのが『BLARE DOWN BARRIERS』であり、当初は対メロディックパンクの意識で対バンを組んでいたのだという。そもそも「誰よりもポップで、誰よりもラウドな音楽を」という欲張りな志で始まったcoldrainであるがゆえ、カテゴライズしにくい中途半端な存在として見られることもあっただろう。それでもメロディックパンクの畑に飛び込み、その熱く痛切なライブに喰らい、このまま負けてはいられねえという意気で『BLARE DOWN BARRIERS』を立ち上げ、ヘヴィなビートも2ビートも自由に行き来する音楽性を獲得し、Dickiesを履いたあなたも黒スキニーを履いたあいつも一気に喰らい尽くしながら巨大化していったのだ。いわばcoldrainの音楽自体が日本のラウドミュージックの曼荼羅であり、他ジャンルに飛び込みながらラウドロックを定着させてきた旅の証明なのである。ゆえに『BLARE FEST.』は、ラウドロックをプレゼンテーションするだけに留まらない百花繚乱なラインナップを実現し、coldrain自身が言うように「他では見られないタイムテーブル」を描き出しているのだ。苦闘の歴史、負けた経験、だからこそシーンの線を超えて混ざろうとしたトライの数々。その旅の結果としてのミクスチャーなロック絵巻が『BLARE FEST.』であり、線を取っ払って混ぜてしまおう、そしてお互いに敬意を払って手を取り合おうという精神性こそが「ストリート」の根幹にあるものだ。


僕が観させてもらったのは、1日目の2月7日。そこで感じたのがまさに上述したことで、ポートメッセの新第1号館に配されたFIRE STAGE/WATER STAGEに約2万人が大挙してピースフルな暴動を巻き起こす様はもちろん、第3号館のTHUNDER STAGEのライブの数々が『BLARE FEST.』の強烈なシグネチャーになっていると再認識した。第3号館には広大なフードエリアと協賛企業のオフィシャルブースがあり、そのエリアと黒幕1枚隔てた場所にTHUNDER STAGEがある。フードエリアでご飯を買って、それを食べながら超ブルータルな音塊に身を任せる観客の姿からは、日常をいかに遊ぶかを選択する姿勢というか、生活を愉快にぶっ壊していく面白さというか、そういうものを強烈に感じたのだ。どのライブを観るのかの選択はもちろん、遊び方にも垣根がない。まさに「NO RULES ONLY MORALS」を地で行く平和な勝手さに溢れていて、凄まじい音を耳で浴びながらも、ここは理想郷だと思った。自由にやろう。だから人の自由もまた尊重しよう。そうやってお互い勝手に笑おう。その笑顔がバラバラなまま集えば、最高の世界じゃないか。THUNDER STAGEは、そういうことを感じる場所になっていた。





そしてさらに自分が唸ったのは協賛ブースに出展していたAdobeの施策。Adobe Expressのアプリ上でオリジナルのタイムテーブルを作れたり、作成したタイムテーブルをその場でタトゥーシールにして体に貼れたり(いちいちスマホでタイムテーブルを覗かないでいいから便利!)、なんと『BLARE FEST.』のロゴに自分流のデザインを施せたり。通常、主催者の持ち物であるフェスのロゴを人に弄らせることはあり得ないわけだが、coldrainはそれすら遊びのツールとして観客に渡すのである。ここにもまた、各々の遊び方に任せますという姿勢が一貫していて、終始伸び伸びとした空気に貫かれている空間だった。冒頭で述べた「遊び場所としての定着」にも繋がることだが、フェスが場所として認知されるに従って、数年後にはサブステージからメインステージへ駆け上がるんだ、といったレースもまた生まれていく。


coldrainもそのことに自覚的で、Masato(Vo)と言葉を交わした際は「THUNDER STAGEからメインステージに行こうとするバンド達がもっと出てきてほしい。それを受けて立つバンドとしてcoldrainがどんなライブをするのか、それを俺自身も楽しみにしてる」という旨の発言もあったのだが(※2)、かつてcoldrainのライブでメンバーが出会ったことから始まったPaleduskが前回からの3年で己の土壌を耕し続けてメインステージへと赴いたように、このフェスならではのストーリーを描いていく上でも、ぬるくない遊び場として続いていく上でも、そして遊び場としての自由を表現する上でも、THUNDER STAGEが司っているものは大きい。そのストーリーに対する感慨と成長が詰まった「喰らわせに来たんじゃねえ、伝えに来たんだ」というKaito(Vo)のMCは、短いながらもロックバンドのライブとは何なのかを端的に表すものだった。「お前ら以外にTHUNDER STAGEのトリを任せられるバンドはいないって言われました!」と叫んだKnosisのライブはこの日の中でもダントツのヘヴィネスを放つものだったが、クラブのフロアもライブハウスのピットも同時接続してしまうミクスチャーにこのステージのトリを任せたことからもわかる通り、それぞれにとっての壁をぶっ壊さんと闘うバンドにこそ未来の地図を渡そうとするのが『BLARE FEST.』なのだ。

























