ぜんぶ君のせいだ。如月愛海「生きてる=ライブ」――47都道府県ツアーを越えて海外にも届ける“全身全霊の楽しさ”
2015年5月に活動をスタートし、2025年にグループとしては10年を迎えたぜんぶ君のせいだ。
この10年で何度ものメンバー交代はあったが、周りに馴染めないひとりぼっちや、不器用に孤独をこじらせてしまう人に、ポップにかわいく手を差し出してくれたり、あるいは一緒にとことん堕ちてくれたりする姿勢や音楽は変わることなく、初期からのファンはもちろん、新たなファンの裾野も広げ続けている。2023年3月15日には日本武道館でのワンマンライブ『ぜんぶ君のせいだ。日本武道館単独公演“この指止まれ”』を開催。その後無期限の活動休止に突入したが、武道館から1年後の2024年3月に、如月愛海、メイユイメイ、寝こもち、むく、煌乃光という新体制で再始動となった。
昨年6月からは、『??カ国 ??都市 日の本も飛び出し~増変侵喰愛rosion~TOUR』と銘打って、本数も終わりも決めないツアーをスタートした。もはやぜんぶ君のせいだ。のデフォルトとなった47都道府県をまわるのはもちろん、海外、アジアや欧米へも精力的に足を伸ばし、この10年の中でも最も身軽に、アグレッシブに“ライブ”を行っている。会場の大小に関わらず、国や言語の違いも超えて、患い(ぜんぶ君のせいだ。ファンの呼称)のいるところに会いにいくライブ。グループとして名を成すとか、セールスを上げるとかではなく、もはやライフワークのような楽しさに溢れ、メンバーもフロアの観客も全身全霊でぶつかり合うライブへシフトし、さらに動員を上げている。今、ぜんぶ君のせいだ。として何を思い、どんな道のりを描いていこうとしているのか。グループ唯一のオリジナルメンバーであり、精神的な支柱ともいえる如月愛海に自身の10年を語ってもらうとともに、今のぜんぶ君のせいだ。の話を聞いた。(吉羽さおり)
47都道府県ツアーは“当たり前”──コロナ禍前からの夢だった海外ライブ
ーーぜんぶ君のせいだ。(以下、ぜん君。)が現在行っているツアー『??カ国 ??都市 日の本も飛び出し~増変侵喰愛rosion~TOUR』は期限や本数を決めていないこともあり、文字通り国内外でライブが増えている状況ですね。
如月愛海(以下、如月):伸びてますね。延々とツアーをしてる感じです。
ーー特に海外公演はアジア各地やヨーロッパなど続々とライブが決まっていますが、海外でのライブの感触はどうですか?
如月:このツアーの前に中国とかにライブで行ったんですけど、以前、日本でぜん君。のライブに来ていた方が、今はプロデューサーになったりアイドルを立ち上げたりして、それでぜん君。を呼んでくださることも多くなったんです。今はそのライブを観てくれた、また違う関係者の方に呼ばれることも増えていますね。
ーー実際にライブを観て、来てほしいと言ってくれるのはすごくいい広がり方ですね。
如月:そうですね。海外のファンの方も、コロナ禍で日本のライブに来れなかったとか、武道館に行けなかったと言ってくださる方もいて。その方たちはずっとぜん君。を好きでいてくれて、知り合いに広めてくれたりとか、あとはサブスクとかの影響で聴いてくれる方の幅も広がっていますね。最近の曲ももちろん聴いてくれているんですけど、2017、18、19年くらいの曲をライブでやってほしい、というファンの方がいっぱいいて。海外のファンは、昔の日本のファンに近い感じですね。全部吸収しようとしてくれるんです。今、日本の患い(ファン呼称)さんたちは、ぜん君。の活動に対して敬意というか、尊敬の眼差しで見てくれることも多いんですけど。全然そうじゃなく、曲がかかったから遊んでますみたいな。
ーー今、海外公演に積極的になっているのはなぜですか?
如月:海外にはもともと行きたかったんです。過去には台湾に行かせてもらったり、あとコロナ前にイタリアかどこかのライブが決まっていたりしたんですが、コロナの影響で行けなくなってしまって。そもそも、ぜん君。は“病みかわいいで世界征服!”と謳っていますからね(笑)。自分たちとしては、待っててくれる人のところに行きたいという思いが強いので。結成当時から海外の方からのコメントはあったんですよ。当時のTwitterとかでコメントをもらっていたので、「いつかあなたの地域でもやりたいと思ってる」と返して。その日本版は、結構まわることができたんですけど。
ーー国内では、47都道府県ツアーを何度もしましたしね。
如月:目標だった武道館を終えて再始動するとなったとき、自分は行けてない場所に行きたい、待っててくれる場所に行きたい、それがあるならば続けたいと思っていたから。(事務所から)海外に行こうと思ってるという話をいただいて「やっと行けるんだ」っていう。海外に行くのはもうひとつの夢ぐらいでした。
ーー2023年に武道館に立つまでは、まず武道館という目標の地があって、そこに向かっていく大事な時間であり、ライブだったという感じですかね。
如月:そうですね。日本の人にまず知ってもらいたかったですし、日本の方にすごく支えてもらって活動ができていたので。武道館に向けて、47都道府県ツアーを3回もまわっちゃいましたけど(笑)。私たちからしたら、47都道府県ツアーが当たり前のことすぎて。だから海外に行けるとなったときは本当に嬉しかったし。どこまでまわれるんだろうってワクワクしましたね。
ーー武道館公演と活動休止を経て、再始動してからグループとしてモードが変わった感がありますよね。
如月:そうですね。ここからはやってないことをやりたいよね、となりました。
ーーぜんぶ君のせいだ。って、アイドルという枠にもシーンにも染まらずここまで走ってきたグループだと思うんですが、そのマインドはどこからくるものだったんですか?
如月:なんですかね? 音楽メディアのインタビューなのに申し訳ないんですけど(笑)、私が音楽を知らないので。それは大きかったかもしれない。活動するまで誰かのライブを観に行ったこともなかったですし。まず、ライブが何なのかよくわかってなかった……すごい音痴でしたし、当時(笑)。
ーー事務所のコドモメンタルに所属したときも、愛海さんはアイドル志望、歌手志望で入ったわけではなかったそうですね。
如月:はい。俳優志望だったんですが、そこから音楽をやるとなったときに、誰かに何かを伝えようと思う感覚は一緒だなと思って。そこは今も変わっていないです。
ーー音楽やアイドルからほど遠かった人が、こうして10年、唯一のオリジナルメンバーとして活動を続けているのはすごいことですよね。結成時は、アイドルになりたいと思って入ってきたメンバーもいたんじゃないですか?
如月:そのときは、ぜん君。がまったくできてない状態だったので、みんなどんなグループなのかも知らないまま入ってきているんですよね。それがよかったのかもしれない。咎憐无(とがれん)や未来千代めね(みくちよめね)が入ってきたあたりには、パンクの気持ちが強そうな、でも“病みかわいい”と謳っている謎のアイドルみたいな像ができていたかもしれないですけど、最初は何もなかったので。集まったメンツも独りよがりな子が多くて、バラバラな5人で音楽シーンにも入り込んでいこうとはしたけど、それだけじゃないところの方が大きくなっていったのかなと思っています。