藤原さくら、再び大きく開けた地平へ 自分を守るための思考を手放す――アルバム『uku』と武道館公演を語る
『wood mood』から一年。藤原さくらの音楽は、静かな深呼吸を経て、再び大きく開けた地平へ向かおうとしている。
石若駿ら気鋭のミュージシャンとの出会い、Jane Jadeとしての活動、そして“自分の声をどう扱うか”という葛藤と手放しを通じて、彼女はたしかな変化を手にしてきた。
新曲「Angel」「scent of the time」には、その歩みのなかで生まれた“導き”のような感覚が結晶している。落ち込みや迷いも含めて「全部つながっていた」と語る藤原は、今制作が大詰めを迎えるニューアルバムで、再び大きな一歩を踏み出そうとしている。
来年2月には10周年の締めくくりとなる日本武道館公演も控えるなか、藤原は今何を感じ、どこへ向かおうとしているのか。制作の過程、近年の変化、そしてこれからの表現についてじっくりと話を聞いた。(黒田隆憲)
ようやく自分はひとりなんだと実感できた
――まずは『wood mood』以降にリリースされた楽曲についてお聞きしたいです。「Angel」と、次の「scent of the time」はどのようにして制作されたのでしょうか。
藤原:どちらも石若駿さんをはじめ、ここ数年で出会ったすごく楽しい仲間たちとのつながりが土台にあります。石若さんがつないでくれたご縁の大きさは、改めて感じていて。ジャズの方たちって本当にフットワークが軽く、すぐ仲間になれる雰囲気があるんですよね。みんな、私を導いてくれる「エンジェル」みたいな存在だなって思います。
人だけじゃなくて、本だったり、誰かにすすめられていたのに見るのを後回しにしていた映画だったり。あるタイミングでふと手に取ったものが、全部同じメッセージを伝えようとしているように感じる瞬間があって。「全部つながってるんだ」と思うことがすごく多いんですよね。「あれってこういう意味だったのか」とか、「あの時に読まなかった/観なかったのには理由があったんだ」とか。今の自分に必要だからこそ現れたんだ、というセレンディピティのような感覚。起こる出来事も、ふりかかる困難も、もしかしたら全部エンジェルなのかもしれない――そんな気持ちで作った曲です。
――この曲は、これまで以上に藤原さんの声の低い帯域の魅力が引き出されているなと感じました。
藤原:今回はラテンっぽいパーカッションのニュアンスもあって、声の表情をいつもと違う角度から出してみたいという意識がありました。レコーディングも自宅での歌録りを混ぜたり、普段なら採用しないようなデモの音をあえて残したり、とても実験的な作り方をしましたね。スタジオ録音のきれいな音だけにこだわらず、すごく自由度の高い制作でした。
――「scent of the time」も美しい曲ですね。童謡のようにシンプルなメロディなのに、スピリチュアルで儚い印象があります。
藤原:「scent of the time」は湖のそばで書いた曲なんです。どこか南のほうを思わせるような、懐かしさのあるサウンド。音を緻密に積み重ねるというより、もっと解放していきたい、呼吸できる余白を残したいという気持ちで作りました。ピアノは、石若さんが小学生の頃から一緒にバンドをやっている石井彰さんにお願いしています。スタジオのブースで石井さんがソロで弾き始めた瞬間、みんなうっとりしてしまって。石若さんも「涙が出てきた」と言っていたほど、想いの乗ったテイクになりましたね。
――『スター・ウォーズ:ビジョンズ』Volume3「BLACK」(Disney+)のテーマ曲「Two of Me」も石若さんプロデュースでした。
藤原:「Two of Me」は『wood mood』を作り終えた頃に制作しました。監督から絵コンテをいただいてから制作に取り掛かったのですが、作品自体が説明的ではなくジャズなつくりなんですよね。でも、絵コンテや監督の“描きたいもの”を受け取った瞬間、自分と強く重なる部分があると感じました。
――それは、どんなところですか?
藤原:「戦っていた相手は実は自分だった」というテーマが、まさに当時の私そのもので。耳管開放症と機能性発声障害を患い、何をやってもうまくいかない時期は、もうひとりの自分が自分の言うことを聞いてくれないような感覚があったんです。「なんで言う通りに動いてくれないの?」と自分自身を何度も問い詰めて。でも、そのうちに「私は自分の声をちゃんと聞けていなかったのかもしれない」と思えるようになりましたね。本当にやりたいことや、本当に楽なこと、嬉しいことに向き合おうとしてから、ようやく自分はひとりなんだと実感できたんです。それまではずっと、自分のなかにふたりいるような感覚だったんですよ。
――なるほど。
藤原:そんなタイミングでこの作品に関わることになり、今の自分と重ねながら曲や歌詞を書くことができたのは、とても大きかったですね。描いている途中で浄化されたような感覚もありましたし、「この作品がなかったらこの曲は書けなかった」と思うほど、大事な巡り合わせだったと思います。
――デビュー10周年というタイミングでもありますし、これまでどんな音楽をやりたいと思っていて、どのように変化してきたのか、あらためて振り返っていただくといかがですか。
藤原:デビューしたばかりの頃は、まだミュージシャンというものを深く把握できていなかったんですよ。好きな洋楽のアーティストはいたけど、誰が演奏しているかまでは意識が向いていなかった状態で上京して。当時のディレクターさんが「さくらがやりたい音楽なら、この人たちが合うと思う」とさまざまなミュージシャンを紹介してくれて。そのなかにはSPECIAL OTHERSのYAGI&RYOTAさん(柳下 "DAYO" 武史と宮原 "TOYIN" 良太)などもいて、本当に最高の座組みを整えていただきました。そこで出会ったメンバーとは今でも親交がありますし、人としても素敵な方ばかり。あのタイミングは最初の大きなターニングポイントでしたね。
――当時は今よりもオーガニックかつアコースティックなサウンドでしたよね。
藤原:そうですね。その後、Ovallの皆さんと一緒に作るようになって、曲のアプローチがガラッと変わりました。HIPHOP的なビートメイクや音のレイヤーの重ね方など、新しいエッセンスにたくさん触れて、打ち込みや電子音も「こういうのもやってみたい」と思えるようになった。音楽の幅が一気に広がった時期です。
――DAWを用いてアレンジも含めたデモ制作を始めたのは、mabanuaさんがトータルプロデュースしたミニアルバム『green』『red』がきっかけともいえますか?
藤原:そうだと思います。それまではギターで曲を作って、「あとはお任せします」という感じだったんです。でも、mabanuaさんとご一緒して、全体像が見えるようになったのが本当に大きかった。どんな世界観を作りたいのか、そのためにどんなサウンドが必要なのか――そういう視点で考えられるようになったのは、あの経験のおかげだと思います。プレイリストを作って「こういう方向にしたい」と自分のビジョンをまとめるようになったのもその頃からですね。
――なるほど。
藤原:当時は、アイデアをとにかく詰め込んで一枚の作品にまとめ上げるような作り方だったんです。だから、『SUPERMARKET』や『AIRPORT』のように、いろんなジャンルの音楽をぎゅっと詰め込んだ作品が多かった。でも、今は「これを伝えたい」という軸をしっかり持った状態で制作する楽しさを感じています。『wood mood』もコンセプトのある作品でしたし、次の作品もすごくコンセプチュアルで。もちろん、手当たり次第にいろんなことを試す時期もまたくると思うんですけど、この10年でたくさん挑戦してきたからこそ、今は的を絞る面白さを強く感じていますね。