Sparksの創作意欲はなぜ途切れないのか? “新しさ”を絶えず探究してきた50年間とこれからを語る
「僕らが作り上げたスタイルをどのように目新しく変えていけるか」(ラッセル)
ーー創作上の危機を感じたことは? 例えばこれまでレーベル契約がなくなってしまったり、活動が停滞した時期もあったりしました(※5)。今振り返って、「この時期は辛かったな」というのはいつでしたか。
ロン:外からは活動していないと思われている時でも、実は何かとやっていて、Sparksとしてアルバムを出していない時期も、『Mai, The Psychic Girl』(※6)という映画の音楽を手掛けたりしていたんだ。映画やミュージカルの世界に進出することによって、それまでのトラディショナルなポップソングの作り方を変えていけるんじゃないかという気持ちがあった。その時期は表舞台からは消えていたかもしれないけれど、僕たちが活動を辞めたことは一度もないんだよ。
音楽をやっているとチャレンジすることはいくらでもある。決して安定的な状態ではないけど、逆にその不安定さが引き起こすポジティブなこともあってね。不安定な状態だと、毎回毎回、自分たちが逆境の中でも必ずできるっていうことを証明しなきゃいけない。外にも証明したいし、自分たち自身にも証明し続けたいという気持ちになる。それが創作の大きなモチベーションになっているんだよね。
ーーラッセルはどうでしょうか。
ラッセル:ロンが言った通り、(辛いことがあったとしても)全てがチャレンジだっていう気持ちだよ。基本的に自分たちが心を込めてやることに関しては、何にでも挑戦的な要素が必ずあると思ってる。
ロン:そう、辛い時も「抜け道」を探し出すことが重要だね。僕たちが『No.1 in Heaven』(1979年)を出した時もそうだった。バンド形式でやる形はもうやり尽くしたんじゃないかと思っていて、新しいミュージカルフォーマット、それも自分たちのためのフォーマットを探していこうとしていた時に、たまたまラジオでジョルジオ・モロダーがプロデュースしたドナ・サマーの「I Feel Love」(※7)を聴いた。それでちょっと方向性を変えてみようと思ったんだ。行き詰まった時に落ち込むのではなく、そこから新たに何ができるかを前向きに考えていくことが重要だと思う。そう、肝心なのはエスケープ。そこから脱却することなんだ。
ーー音楽的に進化するということは、あなたたちにとってまだ重要ですか。例えば、新しくなくても非常に質の良いものはありますよね。
ラッセル:進化するというよりも、僕らが作り上げたスタイルーー僕のボーカルだったり、ロンの書く曲やユニークなリリックーーそういうものをどのように目新しく変えていけるかを重視している。まず何より自分たちのために、過去の繰り返しにはならないように。そしてリスナーにとっても退屈にならないように心がけているんだ。もちろんボーカルがなくなったり、ロンの曲やリリックがなくなったらSparksじゃなくなっちゃうけど、そういったSparksならではの要素を扱いながらも、それにどう新しいコンテクストを与えていくか。それを考えるのは僕らにとって制作上の楽しみでもあるし、一つのゴールでもあるんだ。
Sparksがこれから挑戦したいこととは
ーーそうして生み出してきたたくさんの曲の中で、特に「これを作ることができてよかった」と誇りを持っている作品はありますか?
ラッセル:一つの歌とか一つのアルバムには絞ることができないけど、それぞれの曲やアルバムで、自分の中で印象的なものっていうのは存在するね。例えば、最初のアルバム(『Halfnelson』)の「Wonder girl」は初めてレコーディングした曲だから印象に残ってる。「This Town Ain’t Big Enough for Both of Us」(※8)は大ヒットして、Sparksが人々に認知されるようになったきっかけの曲だったっていう意味で、これも印象的だ。『No.1 in Heaven』はシングル曲だけじゃなくて、アルバム自体が本当にチャレンジングだった。「Sparksはロックを捨ててエレクトロニックミュージックに走った」と批判されたこともあっただけに、それが(良い作品として結果を残したことは)とても良かったね。
そんな感じで、どの曲もどのアルバムも僕らの生きた時代、自分たちのその時のシチュエーションや考えていたことを象徴するような表現になっている。でも「この曲が素晴らしかったから、また同じような曲を作りたい」っていうような気持ちには絶対にならないんだ。僕らはそもそもそういう考え方はしないので、作ったら次々とまた新しいものを作っていきたいんだよ。
ーーそれこそが、Sparksが「今」のバンドである一番の理由ですね。
ラッセル:強いて言うなら、新しいアルバムを最も誇りに思っている。こんなに長いキャリアの中で、こんなに新しくてエキサイティングなものを作り上げることができた。それがすごく嬉しいからね。過去に作ったアルバムもたくさん聴いてもらっているけど、最新の『MAD!』をこれだけたくさんの人に聴いてもらえていることは本当に誇りだよ。
ーー最後に、まだ試していないけど、やってみたいことっていうのはありますか。
ロン:一つは映画音楽だね。『アネット』を作っていた時は、ミュージカル映画をやりたいとずっと夢見ていたので、それが叶ってとても嬉しかったんだ。先ほど話した『Mai, The Psychic Girl』という映画の音楽は、途中まで進んでいたんだけど、最後までは仕上がらなかった。だから僕はもっと映画やミュージカル映画の世界に踏み込んでいきたいと思っているよ。実は今も新しいミュージカル映画を制作中なんだ。もちろん音楽活動も続けたいと思っているし、ポップミュージックへの愛は消えないけど、映画の世界には中毒性があるんだよね。今はそこにどんどん入り込んでいきたいという気持ちがあるよ。
※1:今まで『Kimono My House』(1974年)の全英4位が最高位だったため、約50年ぶりに自身の記録を更新したことになる。
※2:Sparksはトッド・ラングレンが見出しデビューさせた。トッドにSparksのデモテープを聴かせたのは当時のトッドの彼女で、のちにラッセルとも交際することになるThe GTOsのミス・クリスティーン。
※3:フリーメイソンなどの秘密結社で会員同士が行う特殊な握手のスタイル。言葉を交わさなくても握手の仕方でお互いが会員であることがわかる仕組み。
※4:きっかけの一つとして大きな役割を果たしたのが、ドキュメンタリー映画『スパークス・ブラザーズ』(エドガー・ライト監督/2021年)とミュージカル映画『アネット』(レオス・カラックス監督/2021年)。特に前者では、これまでカルト的な存在だった彼らの歩みを辿りながら音楽的・人間的魅力に迫った。後者はSparksが映画の原案・音楽を担当し、出演もしている。ちなみに両監督ともSparksの大ファン。
※5:1980年代半ばまではベアズヴィル、アイランド、RCA、アトランティックといったメジャーに所属していたが、1988年の『Interior Design』ではライノ傘下の自主レーベルで制作。ここから1994年に『Gratuitous Sax & Senseless Violins(邦題:官能の饗宴)』をリリースするまでには6年かかった。
※6:工藤かずやの漫画で『週刊少年サンデー』で連載されていた『舞』を元にした映画。ティム・バートン監督が一時映画化権を獲得したが、結局は頓挫してしまった。
※7:1977年発表のシングル。のちにハウスの原型となったと言われる歴史的重要曲。この曲を聴いたブライアン・イーノが『Low』(1977年)制作中のデヴィッド・ボウイに「これは未来の音だ。この曲は今後15年間、クラブでかかる音楽を変えるだろう」と言ったというエピソードもある。
※8:『Kimono My House』(1974年)に収録されたSparksの代表曲。2022年にApple「iPad Air」のCMに使われたり、2024年にThe Last Dinner Partyがカバーするなど今でも非常に人気がある。