“流し”のシンガー 田内洵也、桑田佳祐との運命的な出会い 『深川のアッコちゃん』制作エピソードに迫る

“流し” 田内洵也、桑田佳祐との出会い

 11月19日に、タワーレコード限定シングルとして田内洵也『深川のアッコちゃん』がCDリリースされた。プロデュースは“夏 螢介 a.k.a. KUWATA KEISUKE”。そう、あの桑田佳祐である。聞けば、“流し”のシンガーとしてバーで歌っていた田内の「深川のアッコちゃん」を聴いた桑田が曲に惚れ込み、自らプロデュースを買って出たという。

 しかも田内は10月12日、桑田が中心となって日本武道館で行われたライブイベント『九段下フォーク・フェスティバル'25』において前座に大抜擢。武道館のステージで「深川のアッコちゃん」を披露するという異例づくしの展開を迎えた。

 いったい田内洵也とは何者なのか? そして東京・深川を舞台に繰り広げられる人情劇とも言える「深川のアッコちゃん」は、どのように生まれたのか? 音楽の目覚め、“流し”の活動、桑田との出会いや今回の制作エピソードを田内に聞いた。(内田正樹) 

The Beatlesと桑田佳祐の音楽に衝撃を受けて

――先日の『九段下フォーク・フェスティバル’25』での前座はいかがでしたか?

田内洵也(以下、田内):もう、本当に夢みたいな舞台で。今でも夢だったんじゃないかと。こうして音楽メディアから取材を受けている今この状況も、ちょっと信じられない感じですね(笑)。

――田内さんのプロフィールを拝見すると、中学時代はタイで暮らしていたそうですが。

田内:はい。父の仕事が新聞記者で、その赴任先だったんです。中学1年から3年ほどバンコクで暮らしていました。タイが舞台の『The Beach』(2000年/主演:レオナルド・ディカプリオ、監督:ダニー・ボイル)という映画があるんですが、まさに当時のバンコクはあの劇中の世界そのもので。世界中から訪れたバックパッカーがひしめいていて、街中のバーやレストランでは、いろんな人がOasisやMR. BIGの曲をギターで弾き語りしていたんです。しかも、タイのバンドって結構演奏が上手いんですよ。僕は小学生の頃からThe Beatlesが好きだったんですが、彼らが生で演奏するThe BeatlesやEaglesを聴いて“生の音楽の圧”にやられまして。それでギターを始めて、曲を覚えると路上に出ては歌っていました。

田内洵也(撮影=林直幸)

――田内さんは1989年生まれですから、当然The Beatlesは追体験ですよね。

田内:小学3年生の時、親が運転する車のラジオから流れてきて、初めて知りました。決定的な体験となったのは、その後に姉が買ってきた『The Beatles 1』のCDアルバムを聴いた時でした。

――2000年にリリースされた『The Beatles 1』は、The Beatlesが1962年から1970年までに英米でチャート1位を獲得したシングル曲のみで構成されたベストアルバムでしたね。

田内:改めてちゃんと聴いて、ひっくり返るほどの衝撃を受けまして……。その後タイに渡ると、当時はバンコクにもタワーレコードがあったので、貯めたお小遣いで毎月1枚ずつThe Beatlesのオリジナルアルバムを買い揃えて。さらにThe Rolling Stonesやエリック・クラプトンのCDを買ってブルースを知ると、そこからB.B.キングを経て、ルーツミュージックを買い漁る沼にハマっていきました。

――そういえば、今回の「深川のアッコちゃん」のシングルCDは、奇しくもタワーレコード限定発売ですね。

田内:そうなんです! それも僕的にはとてもドラマチックですね。

――桑田さんの音楽との出会いは?

田内:バンコクにいた頃、日本から叔母が遊びに来たんです。ちょうど友人にサザンオールスターズのファンがいて、ちょっと聴かせてもらったことはあったんですが、「僕もちゃんと聴きたいから何かサザンのCDを買ってきて」と頼んだら、サザンのオリジナルアルバムの『世に万葉の花が咲くなり』(1992年)と、桑田さんのベストアルバムの『TOP OF THE POPS』(2002年)を買ってきてくれて。叔母は特に音楽に詳しい人でもなく、本当にたまたまこの2枚だったんですが。自分にとって最初に衝撃を受けた日本の音楽との出会いで、The Beatlesと同じような衝撃を受けました。

――つまり、田内さんの中では、洋楽のロックやブルースと桑田ナンバーが並列したルーツとして存在しているんですね。

田内:はい。まさにそうですね。

――その後、タイから日本に戻られてからは?

田内:地元、愛知の路上で歌っていました。高校時代は、サザンや桑田さんのほかに、当時流行っていたBUMP OF CHICKENやB’z、Mr.Childrenなどを聴いてはカバーして路上で歌っていて、18歳でオリジナル曲を書くようになりました。先日の武道館ライブには、桑田さんだけではなく、Mr.Childrenの桜井(和寿)さんまでいらしたので、何だか、「人生、こんなこともあるんだなあ……」という感じで。とんでもない経験をさせていただきましたね。

田内洵也 - 深川のアッコちゃん (produced by 夏 螢介 a.k.a. KUWATA KEISUKE) [Live at 日本武道館, 2025]

“流し”一本で、日本から海外まで

――20代前半から、いわゆるインディーズでシンガーソングライターとしての活動を始められたそうですが。ちなみに、これまでに就職されたことは?

田内:それが一度もないんです。特殊な芸歴かもしれませんが、音楽だけでどうにかやってきまして。

――それはすごい。

田内:バーとかで演奏していたら、いつか音楽業界の人に偶然お会いできるかな? なんて甘い気持ちでいたら、そんな機会もないままで(笑)。自分で仕事をとって、機材を運んで、地方へ行く時は運転もして、必要な時は地元の新聞の取材なんかも自分でお願いしたりしながら、桑田さんがおっしゃるような、いわゆる“流し”の状態で活動してきました。

田内洵也(撮影=林直幸)

――2009年からは東京をベースに、国内はもとより、アメリカはオースティンやメンフィスほかさまざまな州、フランスはノルマンディー地方、アイルランドはダブリンなど海外でも演奏されてきたそうですが。

田内:旅への興味は、まさに中学の頃に観た『The Beach』と、バンコク時代に見たバックパッカーたちへの憧れが起点でした。当時のバンコクには、本当に若者が街中どこにでもいて、彼らはバンコクでチケットを買ってカンボジアやインドに向かう。沢木耕太郎さんの『深夜特急』さながらの空気に音楽がプラスされたような場所でした。そして多くのバックパッカーたちがそうだったように、僕にとっても旅と音楽は互いに必然というか、最初から切っても切れない関係としてセットでした。あと、僕はとにかく好奇心が旺盛でして。その土地の音楽や風土、文化に興味が湧くと、どうしても自分の目で見に行ってみたくなってしまう。それで、ギターを持って旅をしては、訪れた先々で歌ってきました。

――昨年インディーズで発表されたアルバムは『Traveling Man』というタイトルでしたが、まさに“トラベリングマン”な人生だったんですね。

田内:そうですね。桑田さんにはそういうことを特に詳しくお話ししたことはないのですが、おそらくいくつかの会話から僕の人生を察して、その総称として“流し”という明快な言葉を与えてくださったみたいで。

田内洵也(撮影=林直幸)

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