月詠み、『それを僕らは神様と呼ぶ』で体現した“小説×音楽”の可能性 二部構成で見せた特別なライブ体験

 文筆家やボカロPとしても活動している作曲家、ユリイ・カノンが主宰する音楽プロジェクト、月詠み。小説と音楽が連動したプロジェクトであり、作品ごとに異なるクリエイターたちと物語と音楽を展開している。2020年10月に「こんな命がなければ」のMVを投稿してから5周年を迎えたタイミングで、今年2月にリリースされた2nd Storyの集大成であるミニアルバム『それを僕らは神様と呼ぶ』の名を冠したワンマンライブが東阪で行われた。本稿では、東京ではなんと“約2年ぶり”という待ちに待ったライブ、10月29日の東京・EX THEATER ROPPONGIの模様をレポートする。

小説と音楽が“連動”した月詠みならではのライブ

 EX THEATER ROPPONGIはチケットソールドアウトの満員御礼。ステージには透過性の高い紗幕が吊るされている。開演時間が過ぎ、場内が暗転すると、「あなたは……神様?」 瑠璃の問いかけに、彼女は静かに首を横に振って応える。」という朗読からライブがスタートした。紗幕には朗読の声の通りのテキストが映し出されていく。

 2nd Story『それを僕らは神様と呼ぶ』は宇栄原照那(ウエバルテルナ)と阿形千春(アガタチハル)というふたりの高校生を巡る生と死の物語である。ユリイ・カノンは昔から「自分はいつ死ぬんだろうか」ということをいつも考えていたという(※1)。昔の知人が亡くなったことをきっかけに「人が死ぬということを知った時に自分は何ができるだろうか」ということを考え、改めて死と向き合った小説を書きたいと思い、小説とそれに連動する楽曲8曲を収めたミニアルバム『それを僕らは神様と呼ぶ』が生まれることとなる。この日のライブの前半は、『それを僕らは神様と呼ぶ』の収録曲を順番に披露し、1曲が終わるごとに小説を凝縮した9つのMonologueの朗読が挟み込まれる形式で行われた。

 PrologueからMonologue1へ。学校の屋上にて。照那は飛び降り自殺をする寸前に、人が死ぬ予知夢を見る能力を持つ千春に話しかけられ、結果的に命を救われる。千春の「ねえ、まだ?」という苛立ちが滲む言葉が場内に響き渡った直後、「それを僕らは神様と呼ぶ」の1曲目「死よりうるわし」の演奏がスタート。紗幕の後ろには、ギター、ベース、ドラム、キーボードからなるバンドと照那役のJunaと千春役のmidoというふたりのボーカリストが佇む。全員顔は見えずほぼシルエットだ。

 紗幕には歌詞が映るが、視覚を刺激するように目まぐるしくフォントやデザインが変わっていく。アニメーションやイラストも混ざり、小説と音楽が連動した表現にアーティー且つハイクオリティな視覚表現が加わることで、より物語に没入できる体験が繰り広げられていった。〈今日死んだっていいとさえ言える/後悔ばかりだって生きている/明日は何か変わるだろうかと〉〈もう死んだっていいとさえ言える/充足が欲しかった/生きたこと全て有意に変わるものを〉――。Junaとmidoの切迫したツインボーカルが追い込まれた照那の心境を代弁し、バンドの躍動的なアンサンブルが後押しする。

 「夜明けのラズリ」「心燃ゆ」「ナラティブ」……楽曲演奏と朗読が進む中、照那と千春の距離は縮まり、千春の予知夢を見る能力の確信が語られた。ボーカリゼーションとバンド演奏は切れ味を増し、最初はじっと見守るようにして物語に心身を委ねていた様子のオーディエンスは、時折ハンドクラップをしたり、腕を上げるなどし始めると、客席から「最高!」という声も上がっていた。Junaとmidoは時に感情を溢れさせるように声を震わせ、楽曲及び物語の奥行きを広げてみせた。

 照那と千春の物語がフィナーレに近づき、前半のラスト曲「それを僕らは神様と呼ぶ」が演奏された。人はどう生きるのか? 生きるとは何なのか? 根源的な問いが、スリリングでパワフルな歌と演奏によって突き刺さってくる。凄まじい余韻の中、紗幕に「それを僕らは神様と呼ぶ」のロゴが映し出され、Monologueの朗読で前半は締め括られた。

 ライブだけでも小節の内容が深く伝わってくる構成だが、小説を読んでからライブを観るとさまざまな出来事が回収され、再び小説を読み返したくなるという、小説と音楽が“連動”した月詠みならではのライブだった。

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