伏見 瞬がつづる「Plastic Treeを聴く」ということ 今、再評価するべき異質な存在
いつかのある日のこと。ヘッドフォンをした僕が歩いている。リュックを背負って、人で混み合った渋谷駅のホームをなんとか抜けて、周りより遅いペースでスクランブル交差点を歩いている。とても暑い一日で、頭の中がふやけそうだ。胸のひかりは冷たいのに、汗が止まらない。そんな今にも溶け出しそうな僕を、遠い青空の上から、僕が見ている。
僕はどうして二人になっているんだろう? 自分でも、理解はできないけど。わかるのは、僕の物語が壊れていて、視界がぼやけて、どこに向かえばいいかわからないことだけ。そして、渋谷の陸上を歩く遠い僕のヘッドフォンから流れているのが、Plastic Treeの音楽だってことだけ。
僕と僕が二人に分かれる感覚によって、僕は生き延びた。この感覚に縋って、僕は生きていた。足元の靴を見るように、空中から僕は僕を見る。そんな空白の距離を作り上げる音楽が、巷では“シューゲイザー”と呼ばれたりするらしい。
最近はシューゲイザー的なバンドが話題になっていて、羊文学をはじめ、kurayamisaka、揺れるは幽霊、Moon In Juneが人気を集めているということだ。少し前には、kurayamisakaがシューゲイザーか否かの議論が、X(旧Twitter)で話題になっていた。でも、今の僕には、自分が遠くなっていく感覚を与えてくれるかどうかが大事だ。名前はなんでもいい。僕にとっては、kurayamisakaも羊文学もRoyel OtisもParannoulもThe CureもThe Smashing Pumpkinsも、一つのカテゴリーのなかにある。壊れた感情を、遠くから眺めるための音楽。僕を遠く逃がすための音楽。その感覚の中心を射抜いたバンドが、Plastic Treeなんだと思う。
V系シーンのなかにあった異色のサウンド
Plastic Treeは1993年に結成され、1997年にデビュー。彼らは“ヴィジュアル系”のバンドの一部だった。確かにデビューした頃の彼らはあきらかに化粧をしていたし、ヴィジュアル系っぽい曲もあった。でも、なんか変だ。ほかと違う。まず、ボーカルがギターを弾いているバンドはシーンのなかにほとんどいなかった。歌詞の言葉遣いはなんだか具体的で、これもほかのバンドとは違う。なにより、音が違う。海外のバンドみたいな音を出している。
「ロケット」(2000年)という曲のギターは、ワーミーのエフェクターによって音程が急に上がったり下がったりする。これはThe Smashing Pumpkinsの「Rocket」(1994年)によく似ているし、タイトルも同じだ。「絶望の丘」(1998年)のミドルテンポの轟音はRadioheadみたいだし、人形みたいな化粧をしたMVはThe Cureみたいだ。デビュー初期から、彼らは異端なほどに洋楽志向のサウンドを持っていた。その後も、「不純物」(2007年)のようなNirvana風グランジソングや、「Thirteenth Friday」(2011年)のようなmy bloody valentineの高次元オマージュを残している。
「バンビ」においては、The Smithsの「This Charming Man」(1983年)のフレーズを明確に引用していたりする。ゴリゴリしたベースの音も、キックを強く響かせるドラムの音も、淡々としたなかでダイナミズムを示すリズムワークも、すべて1980年代から1990年代の、欧米のオルタナティブロックを譲り受けている。なのにメロディはJ-POPみたいで、やっぱり変なバンドだ。音がオルタナでメロディがJ-POPという組み合わせは、kurayamisakaやMoon In Juneのような最近のバンドに近いのかもしれない。
ナカヤマアキラの音、有村竜太朗の言葉が描く風景
Plastic Treeほど本格的なオルタナの感覚を残存させている日本のバンドはほとんどいない。特に、ナカヤマアキラのギターの音。再録ベストアルバム『Cut 〜Early Songs Best Selection〜』に収録されたバージョンの「絶望の丘」を聴いてほしい。Bメロのキメ。天から降り注ぐ罪のような轟音に出会うたびに、僕は遠くに飛ばされる。「ザザ降り、ザザ鳴り。」におけるギターの土砂降りを前にすると、心が真っ白になる。
なかでもサウンドで特筆すべきは、2002年のアルバム『トロイメライ』だ。「理科室」冒頭の、三拍目を休符にして刻む多角形のストローク。「グライダー」における、病気の風船乗りみたいなトレモロギターの揺らぎ。「散リユク僕ラ」の、空間を血だらけに引き裂くディストーションカッティング。このアルバムにおいて、生々しさと轟音の悲しい快楽を同居させるナカヤマアキラの音響プロダクションは、日本にも欧米にも類を見ない。しかも、ヌーノ・ベッテンコート譲りの速弾きテクニックも持ち合わせている。日本の音楽界屈指の、不世出のギタリストだといって間違いない。
そして、当然ながら有村竜太朗(Vo/Gt)がいる。ぼんやりした薄明かりのような彼の声を通して届く言葉は、いつだって僕の心を遠くに飛ばした。
〈衛生的な青すぎる空 そして遠すぎる僕〉
(ロケット)
〈水槽で泳ぐ金魚/(さっきからあおむけで ういてみたり、しずんだりして、まるでぼくのまね?)〉
(まひるの月)
〈目覚めたら願いが叶って おかしくなれて 絶望の丘で立ちつくす〉
(絶望の丘)
存在感覚が希薄になって幽体が離れていく感覚を、彼の歌はいつも演じていた。僕は空から遠すぎて、僕は金魚の死体だ。おかしくなった僕が、壊れたマリオネットみたいに笑ってる。人形劇のように、パレードのように、僕は僕の幻を見ている。
こういった離人症の言葉は、100年前の詩人の言葉と遠く呼応している。
遠夜に光る松の葉に、
懺悔の涙したたりて、
遠夜の空にしも白ろき、
天上の松に首をかけ。
天上の松を戀ふるより、
祈れるさまに吊されぬ。
(萩原朔太郎『月に吠える』より「天上縊死」)
天上に縊死した自身を幻想する萩原朔太郎の幽体は、有村竜太朗の歌唱に乗り移る。まるで大正期の日本と今の日本の風景が二重移しで現像されたような、そんな情景が有村の歌から浮かんでくる。そして、僕の心はどちらの時空にも居場所を持たず、上空を遊歩するしかない。
〈バラバラにちらばって/あたしはテーブルの下〉(少女狂想)
〈腐乱してるバナナの束。ドロドロの液体の下/焼け焦げたセルロイドの人形がつぶれてる〉(リセット)
君も、君から離れてるんだろうか。僕を見ている君は、本当に君なんだろうか。わかりあうことが愛だって聞いたけど、それが本当ならみんなずっとひとりぼっちだ。僕の物語はこわれて、ばらばらに散らばった。冬の海で、二人きりだった記憶。それはすべて嘘だった。僕らはどこにもいなかった。物語が膿みきって腐乱したあとも、僕は生きるしかなかった。わかり合えない愛だとしても、物語を一からやり直すしかなかった。
そのために、僕は僕を遠くから見つめていた。いつの間にか僕は、Plastic Treeを何度も何度も聴いていた。その音と言葉を浴びて僕と僕を二つにできたから、ばらばらの僕は生き延びた。天上で祈る僕を吊るして、僕は生き延びた。
そうした“僕”をたくさん生み出したから、Plastic Treeは特別になった。ほかの音楽にも彼らの幽体は乗り移った。僕らは呼吸を整え、再びヘッドフォンをつけて、人混みのなかを歩き出してゆく。今日も空は青く遠い。


























