大森靖子は“日本の宝”であるーーポップからディープな音楽まで、縦横無尽に深化を続ける姿勢
2025年3月31日をもって、10年間所属したエイベックスとの契約を満了した超歌手・大森靖子。彼女の動きは早く、ふるさと納税運営事業などを手掛ける株式会社パンクチュアルに、自ら打診して所属することになった。パンクチュアルの代表は、高知県須崎市のゆるキャラ・しんじょう君の生みの親である守時健である。
オリジナルからセルフカバーまで、多彩な楽曲で観客を魅了
大森はライブの制作体制をエイベックス時代から維持し、2025年8月23日からは早くも9都市を回る全国ツアー『音羽楽園TOUR 2025』を開始した。2025年10月2日にZepp DiverCity (TOKYO)で開催されたのは、そのツアーファイナル公演だった。
この日のライブは、「おぢ限定エリア」が設置されたことがSNSで話題を呼んだ。しかし、最近の大森のライブの現場を見ていれば妥当としか言いようがない。TikTokで大森の楽曲が次々とバズることで、2024年の『大森靖子アルティメット自由字架ツアー 2024』には10代から20代にかけての女性が増え、2024年6月7日の大阪Yogibo META VALLEY公演では、若い女性が8割という印象を抱いた。2025年9月18日に恵比寿LIQUIDROOMで開催された『大森靖子生誕祭 2025』にも行ったが、気づくと入場時に「おっさん」は周囲に私だけという状況だ。若年層の増加が顕著となり、中高年層は佐渡島のトキのような状況になってきた。
そして『音羽楽園TOUR 2025』ツアーファイナル公演は、客電が点いているなかオープニングSEとして道重さゆみの「OK!生きまくっちゃえ」が流れだし、ゆっくりと客電が消えていくなか、大森がステージに走って登場。彼女がお立ち台で楽曲に合わせて踊ると、会場を埋めるピンクのペンライトが大きく振られた。そして、キーボードのsugarbeans、ギターの設楽博臣、ベースの千ヶ崎学、ドラムの張替智広、コーラスとパーカッションの宇城茉世からなる四天王バンドも登場。バンドメンバーも一緒に振り付けを踊った。
ライブは「ミッドナイト清純異性交遊」で幕を開け、「子供じゃないもん17」へと続いた。新しいファンを迎えるのにふさわしい選曲であり、フロアの高揚感も伝わってくる。「子供じゃないもん17」で四天王バンドが生みだす極上のシャッフルビートを若い世代に体験させていることも、大森の粋な計らいだ。「コミュニケイション・バリア」は四天王バンドによってソウルの要素が増しているように感じた。「フレンズレンズ」「ちーぎゅう▽(▽はハートマーク)」は、大森が道重に作詞作曲した楽曲のセルフカバーだ。
大森は「今日も自分の人生を精一杯楽しんでくださいね!」とファンに呼びかけて、「生kill the time 4 you、、▼(▼はハートマーク)」へ。四天王バンドはタイトにしてニュアンス豊かな演奏を聴かせる。「PINK -MONDO GROSSO Remix-」では、大沢伸一によるリミックスをバンド編成で再現。設楽のギターのカッティング、そして大森のボーカルが聴く者に鋭く刺さる。さらに、四天王バンドの演奏がジャズへと展開していったことには驚かされた。
「桃色団地」は向井秀徳が作詞作曲編曲を手掛けた楽曲で、sugarbeansはテクノ色をさらに尖らせ、続いて千ヶ崎のベースも太く生々しく響いた。大森は巻き舌で歌い、宇城のコーラスがそれに厚みを持たせる。張替がシンセドラムの音を響かせる瞬間もあった。「春の公園(調布にて)」からの「代替嬉々」も圧巻。セリフを語るかのような演劇的な要素もある幕開けから、ボーカルとバンドによるタフな演奏が楽曲の世界を描き出していった。「代替嬉々」は、大森が花譜に作詞作曲した楽曲のセルフカバーだ。
MCでは雰囲気が一転、「私立大森学園」の先生を演じる設楽がクイズを出し、続く「超天獄」のイントロでファンが回答するという趣向だ。「超天獄」は、アメリカ南部由来の音楽性を感じさせるアルバム『超天獄』を代表する楽曲である。
「だれでも絶滅少女」は、疾走感と爽快感をあわせもつロックナンバー。千ヶ崎と張替によるリズムセクションも強靭だ。新曲である「PUNKTUARY」も疾走感のあるロックナンバーにして大きなスケールを持ち、新たな宣言のように響く。「flop」は、大森がプロデュースしていた椿宝座への提供曲にして最大の名曲だが、2025年8月28日に椿宝座が無期限活動休止になったため、現在は大森のライブでしか聴くことができない。〈今年の春は別れと別れ 途中で死んだやつに勝てない〉という歌詞も鮮烈だ。
この夜のハイライトを飾った「死神」
大森がファンに「死ぬの失敗してくれてありがとう、おかえりー!」と叫ぶと、ファンが「ただいまー!」と返すコールアンドレスポンスを経て、「非国民的ヒーロー」へ。神聖かまってちゃんのの子が作曲した楽曲だ。
MCで大森が「ライブ初めての人!」と聞くと高い歓声が起き、「50回以上来た人!」と聞くと低い歓声が起きた。そして、大森が次の曲名を言うと、会場から小さな歓声が起きたのだ。それぞれが、この古い楽曲とともに日常を過ごしてきたのだろう。「君と映画」である。sugarbeansが響かせるオルガンの音色も心地いい。「呪いは水色」では、大森のアコースティックギターの弾き語りからバンド演奏へと展開。ここでも宇城のコーラスが光る。
MCで大森は、ステージ上のバックドロップについて語った。初期は大森の大事な友達に描いてもらっていたが、この世界でもう新作を見ることは叶わなくなり、自分で描いていると話し、大好きなアーティストが最後のツアーをした際に、大事な友達のデザインを使ってくれたことで、今もともに過ごすことができた……という大意だった。そして「流星ヘブン」へ。生と死が歌われるなかで、会場のファンを生のほうへ導こうとする大森の強い意志を感じた。
さらに「死神」へと続き、その冒頭ではメロディーを捨て、歌詞をセリフのようにして語り、次第に歌へとなっていった。強烈な緊張感がステージとフロアを包み、四天王バンドの演奏、そして照明も含めて、この夜のハイライトと言うにふさわしい瞬間を生みだした。本編ラストは「FLY IN THE DEEPRIVER」。大森がプロデューサーとメンバーを兼ねるZOC(現ZOCX)の楽曲である。
ファンの「靖子が一番かわいいよ!」というアンコールを受けて、大森と四天王バンドは再びステージへ。大森が「大森靖子のライブに行くと幸せになれる」というコールアンドレスポンスをファンとした後、来年の春から47都道府県ツアー『大森靖子のライブに行くと幸せになれる47都道府県ツアー2026』を開催することを発表した。大森は2019年にも『超歌手大森靖子2019 47都道府県TOUR”ハンドメイドシンガイア”』を開催しているが、再び47都道府県ツアーに臨もうとするエネルギーに衝撃を受けた。
そして、「お前が一番かわいいよ」「私が一番かわいいよ」という大森とファンのコールアンドレスポンスから「絶対彼女」へ。この楽曲には、さまざまな属性を指定してファンに歌わせるパートがあるのだが、大森が「10代」と言ったときの声の多さには驚いた。「平成」も負けておらず、「昭和」では中高年男性の声が響いた。「最後のTATTOO」には祝祭感があり、大森やバンドメンバーの名をファンが一斉に呼ぶ趣向も。そして、大森が「美しい人生を手作りしていこうね!」とファンに呼びかけていたのが「ハンドメイドホーム」。そのサウンドは完全にカントリーロックで、設楽のギターが冴えわたっていた。
「TOBUTORI」は、途方もない努力と鍛錬を重ねてきた大森の凄味を表現する一曲だ。そして「TOBUTORI」が終わると、大森はこう言ったのだ。「私たちは日本の宝だと思いました!」と。
最後の最後は、sugarbeansによる伴奏とともに「オリオン座」をファンが合唱した。そして、大森は「きれいな『オリオン座』、ありがとうございます!」と感謝し、「あなたの人生を大事にさせてください、また会いましょう、超歌手・大森靖子でした!」と挨拶して、ステージを去っていった。
現在の日本の女性シンガーソングライターのなかでも、大森靖子はもっとも優れた存在のひとりであることは間違いない。このライブでも、若い世代にさまざまな音楽の要素を惜しみなく体験させていた。ロック、ソウル、ジャズ、カントリーなどなど、アメリカ音楽の歴史を見ているようでもあるし、それを実現できるメンバーが四天王バンドには集められている。
なにより、喜怒哀楽という次元を超えて、多くの人の生と死を受けとめて、それに絶望することなく表現を続け、深化を続けている姿勢には畏敬の念を抱かずにはいられない。大森はこれまでも、あらゆる人の人生を描きたいと述べてきた。そして、それを実行している。それゆえに大森のライブでは、ポップな楽曲を聴いていたかと思えば、いつのまにかディープな楽曲へと展開していることもある。当たり前なのだ、大森にとってそれらは同じ地平にあるものなのだから。
楽曲の抱える真の意味での多様性と深さと強度、そしてサウンドの豊かさは、大森の言葉を借りるなら、まさに“日本の宝”である。しかも、大森は47都道府県ツアーへと旅立つのだ。現状に一切慢心することのない大森の確固たる姿勢を感じさせたのが『音羽楽園TOUR 2025』のツアーファイナル公演だった。正直に言うならば、心を激しく揺さぶられ、今も治まらないのだ。