米津玄師、宇多田ヒカルと藤本タツキとの対談で見せた創作の現在地 共通するマンガとVOCALOIDというテーマ

 9月中旬の劇場公開から、1カ月を迎えた劇場版『チェンソーマン レゼ篇』。封切直後から急速に観客動員数の拡大を見せた本作だが、その人気の要因として米津玄師による「IRIS OUT」と「JANE DOE」の両主題歌の存在を欠かすことはできない。いまや各所タイアップに引っ張りだこの彼だが、楽曲リリース時にはもはやお馴染みとなってきたのが、作品に関連するアーティスト/著名人と米津の対談動画である。

“米津玄師”という人物の側面を垣間見ることができる対談動画

 これまでに、菅田将暉や常田大希、羽生結弦といった、各分野におけるプロフェッショナルと米津の貴重な対話の様子が映し出されてきた。今回の劇場版『チェンソーマン レゼ篇』両主題歌のリリースに際しても、本映像の展開を期待していたファンはきっと少なくないはず。蓋を開けてみれば、もとより大勢が期待していた「JANE DOE」の共作相手である宇多田ヒカルのみならず、『チェンソーマン』の原作者・藤本タツキとの対談動画も公開され、まったく毛色の違う二人とそれぞれ会話を交わす米津の様子を、興味深く視聴した人も多かっただろう。

米津玄師, 宇多田ヒカル Kenshi Yonezu, Hikaru Utada - JANE DOE

 世代に差はあれど、同じ日本の音楽シーンを代表するソロアーティストとして世界規模でキャリアを積んできた大先輩シンガー。そして、“音楽とマンガ”という異なるフィールドながら、年齢の近さも相まって共通の感覚/バックボーンを持つ同世代クリエイター。当然両者との対話ではまったく異なる“米津玄師”という人物の側面を垣間見ることができたが、一方で二人と繰り広げた会話の内容まで異なっていたかかと言えばそうでもない。共通のタイアップ先ゆえか、今回の両対談で触れられた話題にそれぞれ共通の内容があった点も、それぞれの対談におけるユニークなポイントのひとつだろう。

 宇多田ヒカルと藤本タツキ、両者との対談で共通して登場したテーマはふたつ。それは“VOCALOID”と“マンガ”だ。どちらも米津のパーソナリティを語る上で欠かせないものだが、それぞれの対話の中で本テーマがどのように展開されたのか。その点に注目し、今回改めて二人と米津の対談を紐解いてみたい。

 先行して公開された藤本との対談では、“マンガ”というテーマが両者の会話の下地に敷かれたことはあくまでも自然な流れと言えるだろう。冒頭では二人がともに幼少期に通った『NARUTO』からの影響を語っており、そこでマンガ家特有の大変さを知り、その道を断念した米津と、同じ茨の道を通る喜びを語った藤本、それぞれ真逆の選択肢を選んだその感覚が表出する点も興味深い。以降も目に見えない音楽を創る米津と、視覚情報が最優先のマンガを創る藤本のクリエイターとしての着眼点や苦労、制作環境の違いが語られる。その中で、創作者として共通の感性やスタンスが垣間見える部分も時折ありと、二人がそれぞれ確立する創作への価値観を“マンガ”というテーマから窺い知ることができた。

劇場版『チェンソーマン レゼ篇』原作者 藤本タツキ × 主題歌 米津玄師 対談/Chainsaw Man – The Movie: Reze Arc”

 一方、宇多田との対談に関しては、当初宇多田が米津に対して抱いていた“絵を描く人”という印象や宇多田自身が「過去にマンガ家を目指していた」という共通点の開示があったことで、マンガに関する話題がしばし両者の間で繰り広げられた。米津の「(マンガ家への諦めが)いまだに(喉元に)骨が引っかかっているような気持ちになる」という発言や、宇多田の「(マンガ賞への投稿は)今でも遅くないですよ」という茶目っ気ある返答など、動画のハイライトとなるやりとりも満載だが、そんな両者に共通する“物語を空想する職業”を志した幼少体験が、対談中の前段にある「身体性と想像力」で触れられた価値観と通ずる部分も多々あるのではないだろうか。

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