Aqours、ドキュメンタリー映画に記されたものとは――使命の先にあるリアル、シリーズへと発展した軌跡
それぞれの認識にアップデートを加えてくれる足跡のひとつに
一方で、視聴するには覚悟がいる場面も随所に存在する。特に、2年生組を中心としたコロナ禍以降の葛藤は、観る者によってはこれまで築き上げた“Aqours像”が揺らぐかもしれない。だが、そうした葛藤やステージでは吐露できない不安があった上で、“ファンから愛されるAqours”がこれまで続いてきたことを忘れてはならない。Aqoursは多くの“使命”を背負った存在だった。μ'sの後を継ぎ、彼女たちの築き上げたものを壊さず、次に繋ぐ役割を持って始まったAqours。ゆえに、東京ドームや『NHK紅白歌合戦』(NHK総合)への出場は彼女たちにとって、目指す場所ではなく“たどり着かなければいけない場所”だったのだろう。だからこそ、『ラブライブ!フェス』で使命を果たし、役割から解放されてから、Aqoursは自身の存在そのものと改めて向き合う必要があったのかもしれない。
彼女たちの葛藤のすべてを理解することはできないが、それでもその一端を“語る”選択をしてくれたこと、そして――メンバーすべてがそうとは断言できないが――続ける難しさを感じながらも、Aqoursの存在を10年繋いできたことは事実だ。むしろ、今までおくびにも出さなかった想いを赤裸々に語れる場所にまで走り続けたことにこそ、筆者は誇らしさすら感じる。そこには知らない側面も多くあったが、それを含めてもなお、Aqoursは我々のよく知るAqoursだった。Aqoursは神話でも伝説でもなく、いつだって足がきながら進み続けた、どこまでも等身大のスクールアイドルだったと教えてくれる。そんな一作だと胸を張ってここに断言したい。
ただ留意しておきたいのは、本作は全メンバーの心理が網羅的に描写されているわけではなく、あくまでAqoursの一側面を描写しているに過ぎないということだ。そのため、「これがAqoursの真実」と決めつけるのではなく、それぞれの認識にアップデートを加えてくれる足跡のひとつだと捉えるべきだろう。それでも筆者は、Aqoursを、『ラブライブ!シリーズ』を少しでも好きなら、一歩勇気を持って観てほしいと願ってしまう。熱い想いを抱いた人間たちが、いかに『ラブライブ!』という看板を、Aqoursを、愛おしく、そして誇りに思い走ってきたのか、そのリアルがここには刻まれていると思うのだ。
『Aqours Documentary』は、あくまで“フィナーレまでの軌跡”だ。あのフィナーレを終えた今、彼女たちが何を思っているのかは当の本人たち以外に知る由はない。だが、ライブを終え、ステージ裏に集まった9人が自然と円陣を組んだ姿には、確かにひとつになった想いがあったように感じた。ファンと結んだ永遠の約束を超えて、Aqoursは何を想い、どんな足跡を残していくのか――。その続きを確かめるのは、これからの私たち自身なのだ。
※1:https://www.lovelive-anime.jp/news/01_5347.html