ヨルシカ、“再演”という表現行為の真実――『盗作』で描いた“人間への肯定” 美しき総合芸術のすべて

 今年9月より兵庫、愛知、神奈川の3都市で開催された『ヨルシカ LIVE TOUR 2025「盗作 再演」』。その神奈川・Kアリーナ横浜公演が、9月30日、10月1日の2日間にわたって開催された。私は29日のツアーセミファイナルとなる公演を観た。

 今回のツアーは『再演』という言葉が示しているように、ヨルシカが2021年の夏から秋にかけて行った『LIVE TOUR 2021「盗作」』のリバイバルツアーとして開催された。“音楽の盗作をする男”を主人公に描いたコンセプトアルバムという作品性、そして初回盤では小説と音源を同梱したパッケージも話題となった3rdフルアルバム『盗作』(2020年7月リリース)と、EP『創作』(2021年1月リリース)に収録された楽曲をもとに構築されたツアー。その素顔を明かさない秘密めいた存在感と、美しさと激しさを兼ね備えた楽曲、コンセプチュアルな作品性によって、それ以前の時点ですでにヨルシカはセンセーショナルな存在として認知されていたが、『盗作』『創作』期のヨルシカは、そのオルタナティブな存在感を保ちながらも、楽曲はお茶の間レベルで浸透していった。そして、時代はコロナ禍とも重なっていた。

 そんななかで行われたツアー『盗作』。あの時、ヨルシカがたどり着いていた高みと深み、そしてその後も進化し続けるヨルシカの現在地のスケールの大きさを、今回の『盗作 再演』はあらためて実感させた。

 バンドの生演奏による豊かな音楽と、音楽ライブとは思えないくらいに静謐な時間を生み出す朗読。そして、アニメーションや実写など、さまざまなテイストによって彩られた映像演出に、演劇のセットのような舞台装置、アリーナクラスのポップアクトらしい盛大なレーザー照明や火柱のような特効演出――そのすべてが混ざり合うことで生まれる、受け手の全感覚を刺激するようなハイクオリティの総合芸術。それが『盗作 再演』だった。ステージに立つのはヨルシカのメンバーであるsuis(Vo)とn-buna(Gt/Composer)のふたりに加え、下鶴光康(Gt)、キタニタツヤ(Ba)、Masack(Dr)、平畑徹也(Pf)という、ヨルシカのライブにおいてはお馴染みのサポートメンバーたち。キタニは自身のホールツアーが始まっているにもかかわらず、今回の公演に参加しているのだから驚く。ライブは、ひとつの朗読のあとに3、4曲の楽曲が演奏され、それが数ブロック続いていくという構成。朗読パートで語られる物語は、言わばふたりの人間のひと夏の出来事だが、そのひと夏の出来事の背景には、その人がその人として生まれる以前から繋がる、歴史と記憶の物語がある。会場に入った時に手渡された冊子に掲載されていた、『生まれ変わり』と題された一編の短い小説は、ライブの背景にある物語へのガイドになった。

 朗読で語られる物語と、演奏される楽曲はリンクしているようでもあり、パラレルワールドの出来事のようでもある。音楽と物語が、接着しすぎることも、説明的になりすぎることもない絶妙な距離感であるがゆえに生まれる余白が、観る者のイマジネーションを刺激する。『追憶』『バスを降りて』『山の草原』『夏祭り』『前世』――それぞれにそう題された朗読は、観客たちを一気にある夏の日のふたりの姿と、そこに漂うたくさんの記憶や想い、連綿と続く歴史の気配に引きずり込む。

 そして、朗読の後に披露されるバンドの演奏。1曲目に演奏された「春ひさぎ」からバンドは重厚かつしなやかな演奏で会場を揺らし、続く「思想犯」では疾走する演奏にレーザー照明も会場を照らし、観客たちからは大きな歓声が沸き上がる。その物語世界に観る者を没入させながらも、ただ黙って鑑賞させるだけではない、観客たちが体を動かし熱狂できるロックライブとしての肉体的な解放感やカタルシスもある。言葉も、音も、主役。大きな音も、小さな音も、すべてが大切なものとして響いた。それぞれの楽器が奏でる音が解像度高く飛び込んでくるが、同時に気持ちのいい一体感もある、あのヨルシカのレコーディング作品で体感できる繊細で滑らかな響きが、生演奏の現場で見事に再解釈されている。

 性愛をイメージさせる背徳的な実写映像をバックに披露された「昼鳶」の冒頭で聴こえてくるパーカッシブなアコースティックギターの直接的な響きには、空気を切り裂くような迫力があった。「盗作」の導入で響くドラムは進みゆく時間そのもののようで、そんな「盗作」の演奏中にステージ上で輝いていたのは、一見ミラーボールのようだが、よく見れば、もっと歪で、まるでツギハギだらけの“何か”だった。でも、その歪な“何か”を愛おしく、美しく感じさせるのが、「盗作」という物語だった。

 シルエットしか見えないが、ステージの上を歩きながら歌うsuisの歌声も力強く、素晴らしかった。suisの歌声は、時に風に揺れる草花のようでもあり、時にしっかりと地面に根を張る木の幹のようでもある。もうずっと前からひとりの聴き手として、suisの歌声の美しさは知っているつもりだが、「こんなにたくましく、温かく、歌を歌う人なんだ!」と、ライブで観ると一層、感動的だ。

 『盗作』という作品は、そのタイトルにも“罪”の名を冠しているが、少なくともこの日私が『盗作 再演』を観て感じたのは、“人間への肯定”だった。ひとつの罪を掘り下げることで、ヨルシカは人間への肯定を描き出したのだと、そう思った。

 正論や道徳やどこかの誰かが偉そうに語る“正しい生き方”や……そんなものでは照らし出すことのできない“生”の姿を、ヨルシカの表現は、物語は、照らし出す。そうあらためて思ったのだ。バンドやアーティストは進化し、変化することが美徳とされる。私もそう思う。しかし、物語のいいところは、どれだけ時が経っても、受け取った人がそこに“帰る”ことができることである。これからどれだけ時間が経っても、私たちは、『盗作』という物語に帰ってくることができる。私たちがここに帰ってきさえすれば、あの夏の日に、バスの停留所に佇むふたりに出会うことができる。『再演』という表現行為が浮き彫りにしたのは、そんな物語の真髄だったのかもしれない。

■セットリスト
朗読「追憶」
01. 春ひさぎ
02. 思想犯
03. 強盗と花束

朗読「バスを降りて」
04. 昼鳶
05. レプリカント
06. 花人局

朗読「山の草原」
07. 逃亡
08. 風を食む
09. 夜行
10. 嘘月

朗読「夏祭り」
11. 盗作
12. 爆弾魔
13. 春泥棒
14. 花に亡霊

朗読「前世」

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