ヨルシカはなぜ“夏”を歌うのか? 季節を直接的に描かない、秀逸な表現
ヨルシカが、今年1月17日に新曲「へび」を配信リリース。この楽曲は、TVアニメ『チ。 ―地球の運動について―』(NHK総合)の新エンディングテーマとして、1月11日に放送された16話から起用されたものであり、本作もヨルシカならではのサウンドと筆致、そして唐代の詩人・元稹(ゲンシン)『離思』の一節をモチーフに、「へびが春に眠りから目覚め、外に這い出して世界を知る」という知への欲求を描いた楽曲になっている(※1)。
そんな彼らの楽曲を聴き進めていくと、ひとつ気になったことがある。それはヨルシカの楽曲と季節との親和性の高さである。
過去の作品を遡ると、彼らは数多くの季節を題材にした楽曲を多くリリースしていることに気づく。最新曲である「へび」も、冒頭から春の季語である〈よもぎ〉を歌詞に内包し、曲が展開するなかで〈冬(あなた)の寝息を聞く〉、〈ブルーベルのベッドを滑った 春みたいだ〉、そして夏の季語である〈カタバミ〉も用いるなど、春夏秋冬の情景を繊細な筆致で表現していることが理解できる。というわけで、本稿ではヨルシカはなぜ季節を歌うのかについて、解釈を深めていこうと思う。
まず、彼らはどの季節を好み、歌い奏でているのか。それは、きっと“夏”ではないだろうか。インターネットの検索でも「ヨルシカ」と検索すると、「ヨルシカ 夏」とサジェストされる。これは、多くのリスナーが彼らと夏を脳内で紐づけて考えている証拠でもあると思うが、ヨルシカにとって、夏という季節が特別なものであるということは、「冬眠」(『負け犬にアンコールはいらない』収録/2018年)で表現されていると個人的には感じている。
冒頭から〈あの時の君のぼうとした顔、風にまだ夏の匂いがする〉と切なさを孕んだ夏の情景、そして歌詞を読み進めていくと感じる、夏への特別な思い。〈春になって 夏を待って〉〈君を待って 夏が去って〉、〈秋になって 冬になって〉。単純な言葉にも見えるが、こうしてみると、夏にだけ感情や情景を持たせているのが理解できるのではないだろうか。もちろん「冬眠」は夏の歌ではないが、ヨルシカが音楽を表現するうえで夏は重要な鍵となる季節と言っても過言ではないだろう。
とはいえ、多くの人は“夏”と聞いてどんな情景を想起するだろう。海ではしゃぐ人の姿? 花火を見る恋人の姿? はたまた、祭りでかき氷を頬張る小さな子どもの姿? 夏といえば、どこかキラキラしていて、日差しも眩しく、色で喩えるなら原色の青や赤や黄、派手なイメージを抱いているかもしれない。しかし、ヨルシカの夏は、少しそのイメージとは異なる。彼らはどのように夏を捉えているのか、n-bunaは過去のインタビューでこう答えている。
「夏の情景が大好きなんです。夏の空の青さとか、草原や木陰、川、海、蒸し暑い感じ……全部が好きなんです」
「夏のちょっと切なくて透明感がある雰囲気が好きだから、いつもそのイメージが出てくるんですよね、たぶん」
そして、ボーカルであるsuisも夏についてこんなことを答えている。
「私も夏は大好きです。でもn-bunaくんの夏みたいなキレイな情景というよりは、『人、住んでるのかな?』『でも洗濯物は干してあるな……』みたいなコンクリート壁の古い団地のイメージ」(※2)
これらの言葉からも理解できるように、ふたりは世間一般が抱く、夏のイメージとは異なる点に魅力や想像力を駆り立てられている。ここからは実際に、ヨルシカの代表曲を例に取りながら、彼らの表現する夏がどのようなものなのか、紐解いていこうと思う。