eastern youth、真夏に燃え上がらせた“命の歌” kurayamisakaと名対バンを繰り広げた『極東最前線』

「生きていると本当に何があるかわからないもので……まさか『極東最前線』に出られる日が来るとは思わなかったです」

 ライブ開始直前、清水正太郎(Gt)が語り出した。改めて書くと『極東最前線』とは1994年にeastern youthが始めた自主企画で、共演者も含めて自分たちの納得ずくでやりたい、自分の場所は自分で作りたい、といった気持ちを込めて31年間続いてきた。第106回目となるこの日、渋谷CLUB QUATTRO公演に迎えられたのはkurayamisaka。2022年結成、20代〜30代前半の5人にしてみれば、これは快挙というか、夢でも見ている気持ちに近かったのではないか。

kurayamisaka、轟音で鳴らした“至福の青春”

 一夜限りの共演はどちらのファンにも特別なのだろう。eastern youthと共に長らく人生を歩んできた40〜50代と、kurayamisakaをきっかけにライブハウスに通い出した20代が集まったフロアは、さながら会話の乏しい親子状態だ。キッズと新米パパによるほのぼのムードはない。お互い大人だから何を話せばいいものか、そもそも接点はあるのかないのか、よくわからないまま同じ場所にいる。そのぎこちない緊張を一番感じていたのはkurayamisakaだと思う。だからこそ、スタートと共に響き渡る歌声の強さに驚かされた。

 1曲目「kurayamisaka yori ai wo komete」から内藤さち(Vo/Gt)の柔らかな歌声がスッと中央に君臨する。ピッチやロングトーンなど技術の確かさに加え、とにかく幸せそうに歌う人である。うっとり目を閉じ、少しはにかんでみせ、時には一瞬のブレスで周囲を黙らせる。その姿はaikoにも近く、つまりはポップシンガーとしての訴求力が抜群なのだ。ピアノ弾き語りでも、マイク1本のカラオケでも、魅力は十分に伝わるだろう。

内藤さち
清水正太郎

 逆に言えばkurayamisakaは「華のあるシンガー+バックバンド」になりかねない危険を常に孕んでいるわけだが、そうならないし絶対そうはさせない、という意志が相当に強い。歌のない間奏やアウトロ部分で炸裂するトリプルギターは、どの曲もとんでもない音量へと膨れ上がっていく。もしかすると歌唱はあくまで名脇役、この轟音こそが主役ではないか、と思うほどに。

阿左美倫平
フクダリュウジ
堀田庸輔

 また、バンド名の印象から俯きがちなシューゲイザーを想像していたのだが、実際のステージはもっとフィジカルだ。内藤が幸せそうに歌うのと同じくらい、堀田庸輔(Dr)は嬉しそうに叩き、阿左美倫平(Ba)、フクダリュウジ(Gt)、清水は嬉しそうにリフを弾く。特に弦楽器隊3人の動きは目に楽しいもので、「seasons」ではフクダと清水が同じタイミングで何度もギターを高く掲げ、「sunday driver」では3人が揃って跳ねながら回転していたりするから、バックバンドとは程遠い快活さである。さらには、コーラスを担う堀田はもちろん、阿左美と清水もしばしば内藤と一緒に歌っていたのが印象的。マイクを通さずとも、これは我が事、我が歌だと言い切る感じで同じ口の動きを見せている。全員が同じ熱量を共有し、代替の効かない共同体であろうとする。つまるところkurayamisakaが見せているのは、部活動に近い青春感、チーム感だ。これはもう、バンドが、ギターロックが好きなら嫌いになれるわけがない。

 時代も環境もまるで違うのに、なぜか同じような形質になる。途中のMCで、清水は自分たちとeastern youthを重ねて「収斂進化」の話をしていたが、まさにそのとおり。最初こそぎこちない親子ムードだったフロアは、既視感と新しさの両方を併せ持ったkurayamisakaの音にほぐされ、途中から割れんばかりの拍手喝采に包まれていく。ハイライトとなるのは「jitensha」。後半に溢れ出す狂おしいギターソロは、eastern youthの年配ファンにとって、かつて盟友ブッチャーズ(bloodthirsty butchers)が鳴らした「7月」にも近いものだったと思う。永遠と呼びたい至福の時が、再びここクアトロに響く日が来るのである。

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