健やかなる子ら、“狭間で生きる姿”をありのまま捉えた美学 『ka3nari』に繋がる一貫したテーマ

 軋んだ爆音に、全員で前のめりになって叫ぶような猪突猛進なボーカル。パンクやオルタナをしっかりと昇華しながら、キャッチーなメロディでどこまでも遠くまで飛ばすのが「健やかなる子ら」というバンドである。ライブハウスで俄かに話題を呼ぶ彼らが、3rdミニアルバム『ka3nari』を8月20日にリリース。『aosag1』『u2semi』から連作にもなっているという今作について、ハヤシネオ(MAIN Vo/Gt)、ヨシダフミヤ(Vo/Gt)にインタビューを行い、リリックや音作りを通してバンドの美学に迫った。(編集部)

「格闘して、諦めずにどれだけ繰り返していけるか」(ヨシダ)

――中央線沿線の土地柄を感じさせるハードコアサウンド、ヨシダさんの書くキャッチーなメロディ、ハヤシさんの書く文学的な歌詞。これら3要素の掛け算が、バンドの個性になっているなと思いました。健やかなる子らは、大学の軽音サークルで結成されたんですよね。

ヨシダフミヤ(以下、ヨシダ):僕がハヤシと一緒に音楽をやりたくて、声を掛けたところから始まりました。

ハヤシネオ(以下、ハヤシ):2人で相談しながら、「あいつがいいよね」という感じで他のメンバーに声を掛けて。

ハヤシネオ

――音楽の趣味は5人とも近いんですか?

ヨシダ:いや、結構バラバラなのかな? でも嗅覚は近いというか、「カッコいい/カッコよくない」の判断は一致するので。自分たちが思う「カッコいいよね」という部分がバンドの幹になっているんだろうなと思います。

――ヨシダさんが作曲し、ハヤシさんが作詞するという分担は自然と?

ヨシダ:そうですね。最初からそのつもりでした。

ハヤシ:まあ、実際にバンドを組むまで、ヨシダがどんな曲を作るのか知りませんでしたけどね。自分自身がどういう歌詞を書くのかも全然分からなかったけど、やってみたら「こういう感じになるんだ」って分かって、何曲か作っていくうちに「じゃあこうしよう」というふうになって。

ヨシダフミヤ

――メインボーカルはハヤシさんですが、ギターのヨシダさんとスズキさん、ベースのキョウオカさんもボーカリストであると。みんなで歌ったり叫んだりする曲が多いのが印象的でした。

ヨシダ:悲しみだったり、悔しさだったり、いろいろな感情を踏まえた抒情的な叫びでしか得られない栄養があるなと思ってて。シンガロングではないんですけど、叫びチックな……そういう要素を絶対バンドに入れたいと結成した時から思っていました。

ハヤシ:そこはこだわりです。俺たちのルーツにはSUMMERMANというバンドがいるから、「トリプルギター」「ファイブピース」「全員で歌う」というのがめっちゃ根付いてて。そういうバックグラウンドも反映されているというか。全員で歌うのは、吉祥寺でバンドをやるうえでのポリシー、美学でもあります。

――生きていると自分ではどうしようもない物事にぶつかって「もういいや」と諦めてしまう瞬間もありますが、そこで投げ出さずに格闘している音楽だなと感じました。

ハヤシ:確かに格闘してますね。生きるってそういうことなんじゃないかと思ってます。僕が好きな太宰治の文章で、「日々の営みの努力は、ひんまがった釘を、まっすぐに撓め直そうとする努力に、全く似ています」というものがあって。「死にたい」と思いながらカップラーメンに注ぐためのお湯を準備している時間とか、相反する状況……現実と破滅願望との狭間にいる状態が、人としてニュートラル、かつリアルだと思うので。バンドなのでリアルからは目を背けないようにしたいです。過度にネガティブでもいけないし、過度にポジティブでもいけない。「川は流れるし、風は吹く」みたいな感じで、今自分があるがままにバンドをやりたいです。他所は知らないですけど、俺たちにとってはバンドをやるってそういうこと。

ヨシダ:本当に言ってもらった通り。格闘して、同じところに戻ってくることもあるけど、それでも諦めずにどれだけ繰り返していけるか、っていう。 僕はめっちゃ普通の人間だけど、音楽をやっていると、狂わないといけない瞬間がやっぱりあって。

――一つの物事に集中したり、追求したり、突き抜けた表現をしたり、みたいな?

ヨシダ:そんな感じです。いろいろなバンドマンを見ていると「ああはなれないな」「一生かけても勝てないんじゃないか」と考えちゃいますし、僕みたいな人間がバンドマンの中に混ざっていることにコンプレックスを感じる時もあります。自信をなくすことも多いけど、やっぱりライブが好きだから、バンドを続けている。落ち込んだり前を向いたり……というのを繰り返しながら、前に進んでいっている。

先輩バンドに“代役”を頼んだMVから浮かび上がるもの

――「自分は普通である」「狂ってしまいたいと思っているけど狂えない」という感覚を持っている方々だからこそ、『ka3nari』のような作品を作れるんだろうなと感じました。感情的な衝動と理性的な諦観、破滅願望と現実受容の狭間でもがいているようなアルバムですよね。きっとみんなこうやって生きているし、だからこそ、このアルバムはいろいろな人に刺さると思う。お二人は、どんなアルバムになったと感じていますか?

ヨシダ:「アルバムごとに毎回違う印象を持ってもらえるように」と思いながらいつも曲を書いているんですけど、今回も、今までとは全然違った曲が書けたかなと思っています。僕にしては、ロー~ミドルテンポの曲が多くできたなという印象です。それはなぜかというと、この1年間悩んでいたから。自分の書く曲やライブパフォーマンスに自信を持てなくなり、バンドに関するいろいろなことから逃げてしまい……メンバーにもたくさん迷惑をかけてしまいました。僕はその時々のメンタルが曲に出ちゃうタイプなので、こうやってトラックリストとかを見ていると「この時期、だいぶ悩んでたな」って思います。

――でも、怪我の功名と言いますか。「僕らは花瓶のようなもので」、名曲じゃないですか。

ヨシダ:僕もこの曲は素直に好きと言うか。「いい曲だな」「よく書けてるな」と自分でも思えているし、悩んでも曲に昇華するのが僕の役割なので、それができてよかったなと思ってます。自分は速い曲を作るのが得意だと思っていたんですけど、以前からベースの(キョウオカ)タカノリくんに「お前はミドルテンポの曲を書く方が得意だよ」と言われてたんですよ。「だったら、思いきってテンポを落とした曲を書いてみようかな」という想いもあって、こういう曲調になったんですけど……この曲はあんまり経緯を思い出せないですね。人生で一番落ち込んでた時期に書いた曲なので。……あっ、みんなでああだこうだ言いながら作ったよね?

ハヤシ:そうかも。けっこうみんなでガッツリ揉んだ。

――普段はみんなで揉むことはあんまりないんですか?

ヨシダ:最近はそういうことも増えてきた、という感じですね。今回のアルバムの曲はほとんどそう。みんなで作る方が楽しいし、結果的にいろいろな曲調の曲ができますし。

――5人で同じ方向を見て、ビジョンを描けるようになってきたからこそ、曲作りのしかたが変化したんですかね。

ヨシダ:そうだと思います。もう4~5年一緒にいるから、言わなくても伝わることも増えてきているし、お互い素直に言うようにもなりました。例えば「ドラムはもっとこうした方がいいんじゃない?」とか。

――「僕らは花瓶のようなもので」は、歌詞も素敵だなと思いました。

ハヤシ:この曲は、僕らのバンドソングだと思ってて。俺たちはカリスマ系じゃないので、花そのものにはなれないし、正直なろうと思っていません。所詮、古道具屋で売ってる200円くらいの花瓶……だけど俺たちの存在意義ってこういうことだよね、ということをこの曲の歌詞で書けたんじゃないかと。歌詞はいつもけっこう揉むんですけど、この曲の根幹にある、自分たちを花瓶に喩えるというアイデアは不意にパーンと出てきて。「じゃあ本当のことなんでしょう」と思いながら書いていきましたね。

――MVには、「メンバーver.」と「代役ver.」の2種類が制作されました。

ヨシダ:いつもお世話になっている先輩や友達が力を貸してくれて。すごく嬉しかったですね。

健やかなる子ら「僕らは花瓶のようなもので」Official Music Video

ハヤシ:みんなけっこう乗り気で、撮影を楽しみにしてくれていたみたいで。(ammoの岡本)優星くんの動きを見て、ヨシダフミヤを意識してやってくれているんだろうなと思いました。

ヨシダ:めっちゃカッコよかったよね。

ハヤシ:カッコよかった。(TETORAの上野)羽有音さんは素敵すぎて、うちのドラムの役とは思えない(笑)。

ヨシダ:しかも天才だから、どんどんドラムが上手くなっていく。

ハヤシ:さっき俺たちは花瓶だって言いましたけど、出てくれた人たちはみんな華があって、僕らにとって、いわゆる“花”側の人だなと思いました。歌詞はどう受け取ってもらっても構わないんですけど、このMVが公開されたことで、俺たちが花瓶だとしたら花は何なのか、あえて明記しなかった〈大切なもの〉は何なのか、一つの解釈が示されたなと思っていて。俺たちが今までやってきたライブや作ってきた曲、それらがもたらしてくれた繋がりが〈大切なもの〉として描かれているような。そんな捉え方を感じてもらえたら嬉しいですね。

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