デビュー10周年連続対談! majiko×ホリエアツシ、年々深さが増していく楽曲制作への好奇心
majikoがデビュー10周年を迎えた。
2010年から“まじ娘”として歌ってみた動画を投稿。ネットシーンで注目を集め、2015年に1stアルバム『Contrast』でデビューを果たした彼女は、ボカロ~邦楽ロック~ダンスミュージックなどを行き来する音楽性、類まれな表現力を備えたボーカルによって幅広い層のリスナーからの支持を獲得。今年も台北でワンマンライブを行うなど、アジア各国でも高い人気を得ている。
バンダイナムコミュージックライブの新規レーベル「UNIERA」とタッグを組み、10月に新作EP『GOLDEN JUNKIE』をリリースするmajiko。リアルサウンドでは、majikoと関りの深いアーティストとの対談シリーズを3カ月連続でお届けする。
第一弾はmajikoに「アマデウス」「彗星のパレード」「mirror」「AM」を提供しているホリエアツシ(ストレイテナー/ent)。10年前の出会いとお互いの印象、楽曲制作のエピソード、さらに『GOLDEN JUNKIE』から先行して7月25日にリリースされる新曲「NA TTE NAI」などについて語り合ってもらった。(森朋之)
「完全に未知の世界」ホリエアツシ、majikoとの出会いを振り返る
ーーmajikoさんとホリエさんの最初の接点は、「アマデウス」を提供したタイミングですか?
ホリエアツシ(以下、ホリエ):そうですね。「アマデウス」が入っているアルバム(『Contrast』)でデビューしてから10年でしょ?
majiko:はい。もう10年経ったんですね……2015年はちょうど物心がついた頃で。
ホリエ:その前の記憶がない(笑)。
majiko:ないです(笑)。右も左もわからなくて、ホリエさんをはじめ、周りの方々が導いてくださって。
ーーどうしてホリエさんが楽曲提供することになったんですか?
ホリエ:僕らのインディーズ時代からの知り合いの人がたまたまmajikoの活動に関わっていて。majikoは学生の頃にストレイテナーの曲をコピーしてたことがあったみたいで、「もしよかったら曲を作ってくれないか」と声をかけてもらったんです。自分としても楽曲提供自体が初めてだったし、ぜひやってみたいと思って。実際会ったときも面白いなと。
majiko:ハハハ(笑)。
ホリエ:ライブも観させてもらったんですけど、それがもう完全に未知の世界だったんですよ。さいたまスーパーアリーナだったんですけど(2014年8月3日に開催されたイベント『EXIT TUNES ACADEMY ーEXIT TUNES 11th ANNIVERSARY SPECIALー』)、お客さんがパンパンに入っていて。
majiko:ニコニコ動画界隈というか、歌い手やボカロPがたくさん出たイベントですね。
ホリエ:ボカロと歌い手の最初のブームの時期ですよね。僕も(歌い手のことを)まったく知らなかったし、楽曲も全然わからないんですけど、めちゃくちゃ盛り上がってたんですよ。majikoは「心做し」(蝶々P)を歌ったんだけど、アカペラで歌い出した瞬間に「キャー!」って悲鳴みたいな歓声が上がって。鳥肌が立ちましたね。
ーーこんな音楽シーンがあるのか? と。
ホリエ:そうですね。我々の音楽を聴いている層とはまったく違う人たちが集まって、アリーナがいっぱいになってるっていう。
majiko:体感的には当時のボカロPはバンド世代を通ってきてる人が多い印象で、「心做し」を作った蝶々Pもそう。『ETA』のときにホリエさんと会って、めっちゃ喜んでました。
ーーmajikoさんが歌うことを前提にした楽曲の制作はどうでした?
ホリエ:キーのこととかはあまり調べず、ざっくり作ったんですよ。けっこうメロディの高低差があったんですけど、しっかり乗りこなしてくれて。
majiko:だいぶ荒波でしたけど(笑)、歌っていてめちゃくちゃ気持ちよくて。もともとストレイテナーが好きだったので、すごくうれしかったです。それは今も同じですね。こうやってホリエさんとお話させてもらっているのも「人生いいことあるな」って。
ーーバンドの音楽もルーツなんですね。
majiko:はい。高校のときにバンドをやっていて、いろんな曲をコピーしていて。ドラムだったんですけどね。
ホリエ:歌いたい人がいたんだよね。
majiko:そうなんです。その後もmixiで「当方ドラム・ボーカルです」ってバンドメンバーを募集したり。“歌ってみた”を知ってからは「歌で勝負したい」と思うようになりました。
ホリエ:でも歌い手として活動した時期はそんなに長くないよね?
majiko:そうですね。“歌ってみた”を投稿し始めて、EXIT TUNESの方から「ライブに出てみませんか?」と誘ってもらって。何本かライブに出たあと、CDを出すことになって。ちょうど曲を作り始めた頃だったんですけど、そのタイミングでホリエさんに曲を作っていただいて。本当にありがたいです。
ホリエ:制作も面白かったんですよね。「アマデウス」と「惑星のパレード」(アルバム『Magic』/2016年)は同時に作っていて。「アマデウス」は(ボカロPの)みきとPにアレンジしてもらって、「惑星のパレード」はwooderd chiarie(ウッダード チアリ)というバンドに編曲してもらって、演奏もやってもらったんですよ。当時(ライブハウスの)下北沢ERAを中心に活動していて、僕らよりも下の世代なんですけど、その界隈のシーンにはすごいプレイヤーが集まっていて。今もmajikoといっしょに制作している木下哲さんもそこからのつながりだよね?
majiko:そうですね。私が作った拙い曲をすごいプレイヤーの方々が演奏してくれて、それがすごくうれしくて。
ホリエ:最初の頃はレコーディングにも立ち会ってたんですよ。プロデューサーみたいな立ち位置というか、見守ったり、majikoがやりたいことをミュージシャンに伝えたりしていて。syrup16gの中畑大樹さんがドラムを叩いてくれたり、僕より先輩のミュージシャンもいたんですよ。
majiko:やばかったです。
ホリエ:すごかったよね。majikoが作ったデモ音源も、自分では“拙い”って謙遜してますけど、すごくカッコよかったんですよ。音は悪かったけど(笑)。
majiko:めっちゃ音が割れてたんですよ(笑)。
ホリエ:哲ちゃん(木下哲)もすごく個性的な人なので、majikoのデモ音源をさらにイカれたアレンジにしようと企んでましたからね。デモのギターのバッキングのチューニングがズレてたんですけど、最終的に「あのズレた感じがよかったよね」ということになったことがあって。ズレたギターに近づける作業をやったんですけど、めちゃくちゃ大変でした(笑)。
majiko:ちゃんとチューニングしてなかったんですよ。耳を頼りに「このくらいかな」って適当に合わせたギターでデモを作ってたので(笑)。
ーー当時はどういう方法で曲を作ってたんですか?
majiko:LogicとかCubaseではなくて、MTRで作ってましたね。ローランドのE-X50に入ってるドラムの音とかを使って。
ホリエ:僕が中学生のときにやってた方法だ(笑)。
majiko:MTRでやればいいじゃんって言ったのは、両親なんですけどね(笑)。その後、DAWを使うようになって。どうやらプラグインというものがあるらしいと知って、ドラムとベースの音源を買ったら「うわ、可能性が!」ってなって。
ーー膨大な音色を選べるようになったと。
majiko:はい。最初はギターで作っていたんですけど、「ぜんぜんダメだな」と思って、今はピアノで作ることが多いです。ギターはコライトしてくれてる哲ちゃんが弾いてくれるので。