二宮和也、『独断と偏見』で赤裸々に語る等身大の言葉 嵐への心情、価値観から滲み出る人生経験の重み

 ラジオでは「ネタバレとかあまり気にしなくていい類だと思っている」と二宮が話していたので、少々内容について触れたい。この本の始まりは2024年3月に遡る。それは、二宮が独立して初めて迎えた春だ。まだ何も整っていない状態での個人事務所のスタート。仕事選びについて思うこと。働く理由。そして生活の変化……と、これまでもラジオで語られてきた話と重なる部分も少なくない。だが、ラジオで流れていく音の言葉に対して、こうして手元に残る活字の言葉になると、二宮が過ごす人生の時間を一部分をとどめておくことができるような感覚になった。

 また、本書のなかには、活動休止中の嵐について「冷たく聞こえたら申し訳ないんだけど、いまこの瞬間は嵐についてあまり考えていないかな」という率直な言葉にドキッとさせられる場面もあった。

 担当編集が書いた「あとがき」では、「多くの読者にとって慰めであり戒めであり、哲学であり劇薬」と表現されていた二宮の言葉。それは、ともすれば語られた言葉が悪意を持って切り取られることも珍しくない世の中において、二宮の強さの証に見える。逃れることのできない影響力も十分に理解しながら、“そのまんま”の言葉を発する勇気を持つ二宮に敬服するばかりだ。

 本人は思うまま言葉にしているだけと言うが、それがエンタメとして成立し、さらには誰かの心を動かすというのは、簡単なことではない。なぜそれができるのか。この『独断と偏見』を見れば、二宮が自分自身に対して「すごく面白い商材」「(野球のドラフトで言うと)二位指名を全球団からもらえる人間でありたい」と言い表しているように、どんな商品価値を持っているのかを俯瞰していることがわかる。「“全球団から”じゃないと意味がない」「あらゆる現場で『二宮がいたらな』と思ってもらえる瞬間が生まれてくることが夢」とも。

 そのタイミングで、何をどう語れば「二宮和也」として面白くなるのか。どれほど多くの角度から、自分自身を見つめているのだろうか。それだけ多角的な視点を常に意識してきたからこそ、まじりっけなしの言葉が核心的になるのだろう。

 この日の放送でも、冗談交じりにラジオ収録をエスケープ(サボる)する方法を考案しようとする二宮だったが、そこまで時事ネタを斬るような番組ではないにも関わらず「過去のオンエアを再利用するのは難しい」という結論になった。それも毎週その時間だからこそ成立する「二宮和也」らしい言葉が聴けるという鮮度の高さを維持し続けたからこそ。

 そのときどきに語られる、カジュアルに見えてズンと心を突く二宮の言葉。番組にはリスナーから「二宮さんの言葉が本になっていつでもどこでも持ち歩いて読めるようになってとても嬉しいです」という感想も届いていた。誰もが自分の思いをまっすぐに伝えることに躊躇してしまうこの時代に、二宮の言葉がお守りのように私たちを奮い立たせてくれる。

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