GRAPEVINE、30年以上続くバンドとしての矜持と自負 『あのみちから遠くはなれて』略称“アミーチー”の意図とは

「お前ら、来れるもんならここまで来てみろ」という自負

ーーこの2曲を前振りに、アルバム『あのみちから遠くはなれて』がリリースされました。リリース前からアルバムタイトルを“アミーチー”と省略形を発表していましたね。

田中:タイトル、長いじゃないですか。で、長いとリスナーは勝手に略すじゃないですか。でも、その略され方がつまらんと、いつも思うんですよ。だから僕は対バンしたバンドをあえて一番「ダサい」略し方で呼ぶようにしてるんです。たとえばマカロニえんぴつを“まんぴつ”とか、ACIDMANを“ドシマン”とか。そういうことです。“アミーチー”はイタリア語で友達とか仲間という意味で、これはいいじゃないかと。ただ、僕がイメージしてたのは“アヴィーチー”(Avicii/仏教用語で阿鼻地獄)。

ーーそっちですか。イタリア語の“アミーチー”の仲間という意味から、バンドへの想いとかが込められているのかと思いました。

田中:そういうことにしておきましょう(笑)。というのも、“アミーチー”が友達とか仲間って意味だというのは後から教えてもらったんですよ、FM802のDJ野村雅夫さんに。自分はAviciiしか頭になかった、阿鼻叫喚(笑)。

西川:野村さん、以前に『Ciao Amici!』(FM802)ってラジオ番組をやってたんですって。それで教えてもらったんです。

田中:でも、アルバムとしてはすごくバンドらしさが出ていると思うんですよ。ロックっぽいというか、ロックバンド然としたアルバムになったかなと思う。そういう意味では“アミーチー”でも合ってると思いますし、『あのみちから遠くはなれて』というタイトルにも長いことやってるという意味合いとか、バンドとしての矜持というか。「お前ら、来れるもんならここまで来てみろ」という自負みたいなものを表したかった。

ーー結成30年、長きにわたってブレのない活動をしてきた中で、さらに最近の作品は新たな境地に踏み出している感じがあります。

田中:おかげさまで楽しくやれています。プロデューサーであったりとか、何かしら新しいことをやれてるというのはすごく幸せだなと。続けてると同じことの焼き直しや繰り返しになってしまう人も多い中で、僕らは新鮮な気持ちで取り組めているのはありがたいことですね。

ーー30年も続くと大御所感も出てきそうですが、GRAPEVINEはむしろ親しみやすさが増しているというか。最近は「実はもう熟れ」で失笑も起きたりして、オーディエンスとの距離が縮まっているように感じます。

田中:皆さんの知見が広がったんじゃないですか(笑)。最近は自分たちも全力で楽しんでますし、ライブ1本1本を楽しまないともったいない気がしていて。解散するバンドや亡くなる方がいたりするのを見てると、自分たちにはどれぐらい時間が残ってて、どれだけやれるのかということを意識せざるを得ない。今までが楽しんでなかったわけではないけど、今はそれ以上にさらけ出して、楽しんでる感じです。楽曲がIQ高いぶん、パフォーマンスはプリミティブでもいいんじゃないかと思うんですよ。おっさんギャグと言ってしまえばそれまでですけど(笑)。

ーーそれが「ドスとF」みたいな曲になるわけですか。フョードル・ドストエフスキーといえば『罪と罰』ですが、重厚な小説をネタにしながらハードル下げつつ上げるような感じで。

田中:ドストエフスキーは引用しやすかったんですけど、今の世の中が“スベってるな”というのを表すのに、“ドスとFがスキーする”っていう発想がいいなと思って。話題になるものや情報が当たり障りのないものばかりになって、それを享受し続けるのって思考停止に陥りやすい気がする。だからこそ、考えることをやめないでほしいし、僕らが作ってる楽曲も聴く人に自分のものとして受け止めて、引き寄せて、変換して楽しんでほしい。昔から言ってるんですけど、そこにちょっと“ネタ”や“物議”というか、そういうものがあるほうがいいんじゃないかなと思ってる。

ーーこの曲はニューウェイブ・ファンクのような不思議な手触りですが、亀井さんはどんなイメージで曲を書かれたんですか。

亀井:もっとテンポが遅くて、シューゲイザー的な“ゴーッ”って感じの曲を持ってったんですけど、高野さんから返ってきたアレンジがこれで、「ちょっとやりすぎかなあ」って(笑)。

田中:まさかの変わりようで(笑)。なかなか体に入らなくて大変でしたけど。譜割を理解はできても体がついていかないという状態がしばらくあって、演奏が難しかった。

ーー前作「雀の子」の時も、体に入らなくて大変とおっしゃってましたよね。ライブでも最初はすごい緊張感がありました。

田中:あれも大変でしたけど、今ではヘラヘラできる。もはやあれが大変とは思わへん(笑)。きっとこの曲もいずれそうなるでしょう。

「どあほう」で参考にしたのは都はるみ「浪花恋しぐれ」

ーー「どあほう」は「雀の子」に続き歌詞が関西弁で、男女の諍いが生々しく描かれてます。関西弁を使うことで描きたいことも変わってくるのかなと思いましたが、どうなんでしょう。

田中:お笑いのおかげで関西弁も浸透して日常的になっているし、“大阪=お笑い”みたいなイメージも減ったと思うんですよ。だから関西弁を含む上方文化を、色眼鏡なしに面白く使えるようになったのではないかと。ネイティブ関西弁スピーカーとして、それをもっと活かしてもいいんじゃないかと思ったんですよ。

ーーそう伺うと、古い観念の男性としたたかな女性という構図も含め、この曲は大河ドラマ『べらぼう』(NHK総合)への、大坂から江戸への、あるいはGRAPEVINEからのアンサーではと思ったりするんですが。

田中:アンサーのつもりはありませんが、タイトルはまさに“大河ドラマっぽさ”を狙いました(笑)。コンプライアンスが突っ込まれる現在の風潮に、『べらぼう』の演出や脚本はそこに真正面から挑んでいて素晴らしいと感じています。ほとんどのメディアはそういった“障り”を避ける一方ですが、ただ避けていても男性優位な社会や考え方が変わるわけではない。ただ、そういったものを一方的に“悪”だと吊るし上げる風潮にも危険なものを感じます。恣意的な“切り取り”や“決めつけ”によるものが多いので。「どあほう」で参考にしたのは都はるみさんの「浪花恋しぐれ」ですけど、上方落語や浪花節のようなものも含め、過去のカルチャーは現代に置き換えても充分に耐え得るエンターテインメントでありますし、むしろ現代にはない含蓄もたくさん詰まってる。常に考えるきっかけやメッセージを投げかけてくれるものだと思っています。

GRAPEVINE – どあほう [Official Music Video]

ーー過去からのメッセージとなると、気になるのが「my love, my guys」。西川さんの作曲は『愚かな者の語ること』(2013年)収録の「太陽と銃声」以来でしょうか。

西川:ツアー中の打ち上げで、朝の3時ぐらいに高野さんから詰め寄られたんですよ。曲順の話をしていて、「ここでAmの曲があったらいいと思うんだよね」ってカマをかけられて、それが「ニール・ヤングなんだよ」ってニール・ヤングはこんなにスカしたイントロやらないけど、うちのバンドに寄せたコード進行にしました。

ーー曲のタイトルも寄せてるんでしょうか。

田中:意識はしましたよ、もちろん。一番最後に歌っている〈希望の国のふりは やばいぜ〉はニール・ヤングの「Rockin' in the Free World」の一節と同じ音で日本語をのせましたからね。

ーーなるほど。「カラヴィンカ」は仏教に登場する人頭鳥身の神のことですが、楽曲はエスニックでファンク的な不思議なグルーヴがあります。イントロはディジリドゥみたいな音で、最後は〈おれとおまえのRock'n roll〉と、田中さんらしからぬフレーズが出てきますね。

田中:昔から言ってますけど、ロックの“ロックっぽいところ”が好きじゃないんですよ。でもたぶん、誰よりもロック好きだとも思う。

ーーカラヴィンカは美しい声で鳴くらしいので、自らになぞらえていたりするんでしょうか。

田中:その歌詞でいうと〈おれとおまえのRock'n roll〉は、自分を指すというより「一緒に歌おうぜ」という感じで。でも俺はロックのそういうところが嫌いなんで、あまり言わないようにはしてる。

西川:この曲は、演奏的には難しくないと思うんですけど、コンパクトな印象にならないようにするのが難しい。ダイナミックな感じにしたくて、アタマを伸ばすか、間奏を伸ばすか、と色々試しました。

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