萩原健太、“職業作曲家の美学”から得られる新しいリスナー体験 先人を受け継ぎ、混ざり合ってきたポップス史
「良いパクリと悪いパクリをちゃんと聴き分けることが大事」
——『グレイト・ソングライター・ファイル 職業作曲家の黄金時代』のなかから、特に印象的だった文章について聞かせてください。まずは「ポップスは基本的に作り捨て/聞き捨てだと思う」。
萩原:流行歌ですからね。その時代を捉えているかどうかが大事で、商品としてはそれ以上のことは求められていないはずなんです。そのなかにたまたま時代を超えちゃうもの、「いつまで経っても聴けるな」という曲があるだけで、一発ヒットでも十分だと思うんです。英語でワン・ヒット・ワンダー(One-hit wonder)と言うけど、そういう曲も大好きなので。作り手の山っ気が感じられるのもいいし、本人たちも流行ると思ってなさそうな一発ヒットもいい(笑)。
——(笑)。“一発屋”というとネガティブな印象もありますが、それでいいじゃないかと。
萩原:そうそう(笑)。「時代を超えて生き残る曲を作ろう」と思っているとしたら、それは間違いだと思うんです。この本に筒美京平さんのインタビューを再掲載したんですけど、やりたいことは「ヒット曲を作ること」とおっしゃっていて。「音楽を作るっていうのとヒット曲を作るっていうのはちょっと違うような気がする」ともおっしゃってるんですけど、それは正しいなと思います。その上で時代を超えているのが筒美さんのすごさですけれど、最初から「時代を超えさせよう」と狙うのは違うし、そんな曲、うざいじゃないですか(笑)。そういう音楽もあっていいけど、僕が聴きたいポップミュージックはそうではなくて、後のことなんか考えてないという感じが好きなので。
——なるほど。「パクリが文化を前に進めている」という一文については?
萩原:パクリも大好物なんです(笑)。ただ、良いパクリと悪いパクリがあるので、それをちゃんと聴き分けることが大事なのかなと。良いパクリというのは、まず「俺、これが好きなんだけど、どう?」という感じが伝わってくる。気づかれないように隠そうとするのは良くないパクリなので、そこもちゃんと聴いてもらえたらなと。
——なぜかアーティストによっても違いますよね。ある人は“オマージュ”と好意的に捉えられ、ある人は“パクってる”と批判的に言われたり。
萩原:それもありますね。大瀧詠一さんの曲にもいろいろ入ってますけど、こちらが「この曲のパクリですよね」と指摘したところで、「いや、それだけじゃない。もっといろいろある」と言われると思います(笑)。もとの曲も何かのパクリだったりするし、重層的なんです。それがわかるかどうかでも聴き方が変わってくるし、そもそもアレンジと作曲のパクリでは意味が全然違います。アレンジに著作権はないから、真似してもいいわけで。
——そのあたりを理解した上でパクリを語りたいですね(笑)。
萩原:そのためにもたくさん曲を聴いたほうがいいです。ちなみにボブ・ディランは「メロディは万人のもの」「ただし歌詞はその人のもの」という考え方があるみたいで。メロディが別の曲の丸パクリでも、歌詞が自分のオリジナルだったら、歌詞を書いた人の曲だという。そのあたりはソングライターによって違いますけど、考えてみたらベートーヴェンだってモーツァルトをパクってますからね。チャック・ベリーはルイ・ジョーダンをパクッてるし、The Beatlesも相当いろいろやっているし。
——Led Zeppelinもパクリまくりだとよく指摘されますよね。
萩原:まあ、カッコよければいいんですよ(笑)。権利の問題もあるから一概には言えないですけど、「それが音楽シーンを先に進めたかどうか」も重要なところだと思いますね。
音像や温度感の向こうにある良さを聴き取れないと“負け”
——日本のポップスの歴史も、基本的にはアメリカと似たような変化を辿ってきたイメージがあります。職業作曲家の曲を歌い手から歌うところから始まって、70年代のフォークあたりから自作自演が中心になって。
萩原:そうですね。それに加えて日本の場合は、海外の最先端の音楽をどうやって日本の土壌に定着させるかというテーマで動いていて。日本のポップスの元祖と言われている作曲家では、古賀政男さんと服部良一さんもそう。古賀政男さんは日本の情緒を曲にして、服部良一さんはブギウギなどの海外の音楽を取り込んだと言われていますが、例えば古賀さんの代表曲「酒は涙が溜息か」はご本人が「都都逸(どどいつ)とジャズを融合した」と発言してらっしゃるんですよ。つまり洋楽の影響を受けているわけで、結局はお二人とも海外の音楽との距離感のなかで流行歌を作ってこられた。そこから始まって、この本のなかでも取り上げさせてもらった村井邦彦さん、筒美京平さんなどがThe Beatles以降に出てきた世代のソングライターとして自分たちのやり方を押し進めて。70年代になると自作自演をする人たちが増えますが、80年代になるとロックシーンにいた松本隆さんが歌謡曲で仕事をし始め、彼を介して大瀧詠一さん、細野晴臣さん、佐野元春さんらが松田聖子さんに曲を書くということも起きた。一方でニューミュージック寄りに見えていた稲垣潤一さんが筒美京平さん、林哲司さんなどの職業作曲家の曲を歌ったり、いろいろと混ざってきたんですよね。
——なるほど。海外の音楽との距離をどう取るか? は、今も大きなテーマだと思います。
萩原:そうですよね。ただ、今はサブスクの時代だし、若い世代の人たちは柔軟にいろんなものを聴いて、自分のものにしているじゃないですか。プロの作曲家も増えてますよね。アイドルグループなど楽曲コンペに参加して、そのなかで争って。60年代のアメリカの曲の作られ方と構造は一緒だなと思います。
——現代の音楽シーンで、萩原さんが「この人はいいな」と思うアーティストは?
萩原:フィニアス(ビリー・アイリッシュの実兄で、アーティストのフィニアス・オコネル)のソングラインティングは、昔のものを受け継いでいるなと思いますね。ただ最近の流行りなのか、同じメロディを続けてコードを変えていく曲が多い気がして。テイラー・スウィフトなんかもそうなんだけど、悪くないなと思いつつも、スマホっぽいメロディラインというのかな。ボイスメモに入っていたメロディを使いましたという感じがあるんだよね。
ブルーノ・マーズも、昔の曲をよく知ってると思います。彼は研究するタイプではなさそうだけど、父親の影響もあって、小さい頃からいろんな音楽を歌ってますからね。そういえば90年代にハワイに遊びに行ったときに“そっくりさんショー”を観たら、子どもが出演していて。あれはおそらくブルーノだったと思うんだけど、マイケル・ジャクソンやエルヴィス・プレスリー、ジャッキー・ウィルソンなんかの真似をしてたんです。単純に“オールディーズ”と言ってもいいですけど、その時代の音楽が持っていた良さを受け継いでいるし、それが身体のなかに入ってるんでしょうね。
あとはThe Lemon Twigsもいいですね。ダダリオ兄弟はよく音楽を知ってると思うし、特にブライアン・ダダリオのメロディセンスはすごい。ちょっと僕らの世代の音楽に寄りすぎてるかもしれないけど(笑)。
——日本のアーティストはどうでしょう?
萩原:そこまでしっかり聴けてないんですが、冨田恵一さん、ceroの高城晶平さんはいい曲を書くなと思います。昔のソングライターではありえないコードの使い方、リスナーを落ち着かせないようなやり方を取り入れながらも、僕らの世代がグッとくるようなフレーズがスッと入ってきたり。シンガーソングライターの優河さんの曲もいいですね。
——『グレイト・ソングライター・ファイル』を読んでもらえれば、今のポップミュージックも歴史の流れのなかにあることがわかると思います。
萩原:そうなってくれたらいいですけどね。どうしても古い曲が多いから、音像とか温度感だけで受けつけないって人もいるかもしれないけど、その向こうにある曲の良さ、伝えようとしている思いを聴き取ってくれると嬉しい。聴き取れないとしたら、リスナーとして負けというか(笑)。
——負けですか(笑)。
萩原:もちろん勝ち負けではないんですけど、僕もそうだったんですよ。1920年代、30年代の音楽を聴くと「古いな」と感じていたし、何のワクワク感もなかったんですけど、ずっと聴いているうちに、そのなかにある豊かなグルーヴが感じられるようになって。それはリスナーとして楽しい体験なので、ぜひみなさんにも感じてほしいです。ハイファイな音が好きな人が50年代の曲を聴くと「物足りない」と思うかもしれないけど、接し続けていると新しい世界が広がるかもしれない。そこからは沼が深いので、注意が必要ですけどね(笑)。