『蓮ノ空』が描いた“卒業”は終着点か、通過点か? “実在性”を示したリアルタイム型コンテンツの可能性
このように、『蓮ノ空』はエンドロールのような区切りが用意されていない。どんなに大きな出来事があったとしても、日々は巡り、間髪入れずに次のライフイベントがやってくる。そんな我々にとっての“当たり前”を、ごく自然に描ける点が、『蓮ノ空』の揺るぎない魅力と言えるだろう。
また、卒業を実感する瞬間も、アニメ媒体とは大きく異なるだろう。アニメにおいて、視聴者がキャラクターの卒業を最も実感する瞬間は、卒業式やラストと謳われたイベントなどに設定されていることが多い。だが、『蓮ノ空』における卒業は、まるでスリップダメージのように、時が経ってもジワジワと効いてくる。その最たるものが、お披露目配信同日の4月10日に行われた『リンクラ』のアップデートだ。
『リンクラ』では105期の始動とともに、新部員を迎え入れつつ、102期生を正式に“卒業生”として扱うアップデートが行われた。その際、102期生のメンバーアイコンは、在校生から卒業生の枠へと移動し、プロフィールの立ち絵が一覧から削除されるなど、細かい変更まで徹底して「102期生は卒業した」とファンに突きつけたのだ。
『蓮ノ空』が提供する卒業の実感は、卒業の瞬間だけでなく、その後もグラデーションをもって襲ってくる。これからも『リンクラ』を開く度に、ファンは「3人がいなくなった」と実感することになるだろう。同時に、「いなくなった」という実感は、102期生が「どこかへ旅立った」という存在の証明にほかならない。ファンが継続的に感じる寂しさは、そのまま『蓮ノ空』がキャラクターを賭して描く、実在性をより強固に補強しているのだ。
繰り返すが、卒業は終着点ではなく、人生における通過点だ。それはスクールアイドルであっても例外ではない。
乙宗が『ラブライブ!』を超えるステージをこれからも築いていくように、夕霧が誰かを支え、寄り添い続けるために教師を目指すように、藤島が世界中を夢中にするために海外へ羽ばたいたように。同じ空の下で限られた時間を過ごした少女たちは、今日も次の夢へ向かって邁進している。
しかし、そんな当たり前を当たり前に実感させるのは、従来のメディアでは極めて困難だった。だが、『蓮ノ空』がアプリを中心に展開してきたリアルタイム性は、“真の卒業”を提示することに見事に成功したといっていいだろう。
現在『蓮ノ空』は105期へ突入し、新体制のもと新しい夢へと向かって進んでいる。それは、日野下花帆ら103期生の卒業が刻一刻と近づいてきていることも意味している。『蓮ノ空』の中心人物とも言える少女たちの卒業すら、このコンテンツは通過点として進んでいけるのか? 『蓮ノ空』が見せる次の一歩に期待したい。