The Orchardの発展を支えた理念 創業者リチャード・ゴッテラーに聞く、日本の音楽シーンの可能性

The Orchard創業者インタビュー

 1997年に設立され、世界中のインディペンデントアーティストへ音楽配信ツール、マーケティングやデータ分析などのサービスを提供してきたディストリビューター「The Orchard(ジ・オーチャード)」。その共同創業者であるリチャード・ゴッテラー氏が来日、リアルサウンドのインタビューに応えた。

 1970年代からBlondie、the Go-Go’s、Dr.Feelgoodなどのプロデュースを手掛けてきたリチャード氏。90年代後半に世界に先駆けインターネット配信に注目し、音楽業界のグローバル化に大きな役割を果たしてきた彼に、The Orchardの理念、日本のアーティストの可能性などについて語ってもらった。(森朋之)

テクノロジーの変化に賭けた

——リチャードさんは1970年代からBlondie、the Go-Go’sなどニューウェイブ、パンク系のバンドをプロデュースしてきました。個人的にもthe Go-Go’sのファンで、「We Got The Beat」が大好きでした。

リチャード・ゴッテラー:「We Got The Beat」、いい曲ですよね! the Go-Go’sはもともとStiff Records(The Damned、エルヴィス・コステロなどの作品をリリースしていたUKのインディーレーベル)から1枚シングルを出していたんです。アルバムを作ることになったとき、シングルの別バージョンを録り直そうと提案したら、メンバーが「嫌だ。そのままでいい」と言い出して。そのシングルは4万枚売れていて、インディーとしてはかなり良いセールスだったんですよ。私としてはもっとたくさんのリスナーに届けたかったので、「世界の人口は45億人だぞ!」と説得しました。

——そのおかげで日本でもヒットしました。

リチャード・ゴッテラー:Blondieもそうですよね。私は最初の2枚のアルバムをプロデュースしました。初期のパンキッシュな作品です。

——どちらも素晴らしいレコードです。では、The Orchardについて聞かせてください。設立は1997年ですが、当時はどんな理念、目的があったのでしょうか?

リチャード・ゴッテラー:共同創設者のスコット・コーエンも私もインディーレーベルを経営していたんですが、いち早くインターネットに目をつけました。インターネットはまだ始まったばかりで、何ができるかもわからない未開の地だった。コンピューター自体も大きく、ブロードバンドもなかったから通信のスピードもすごく遅かったのですが、私たちは「ここでレコードストアを開いたらいいんじゃないか」と思いついたのです。世界中のインディペンデントのアーティストの作品を多くの国に行き渡らせるために、新しいテクノロジーに注目したというわけですね。実際いろいろなアーティストと契約(もしくは“サイン”)することができたのですが、レコードを売るための契約を交わす際に、ダウンロード販売の権利を我々に預けてもらうことも含めていたのです。当時のインターネットはまだまだ未開発でしたが、いずれは通信も早くなるだろうし、データのやり取りも可能になる。音楽をダウンロードして聴く時代が来るんじゃないかと思ったんですよね。その5〜6年後にiTunesのサービスが始まり、本当にダウンロードして聴くのが当たり前になった。テクノロジーの進化によって、インディペンデントのアーティストを世界中に届けられるようになったわけです。

——90年代後半にリチャードさんたちが思い描いていた世界が本当に実現された、と。当時、どれくらい勝算があったんですか?

リチャード・ゴッテラー:日本のパチンコのようなものと言いますか(笑)、つまり賭けに出たんですよ。メジャーのレコード会社は長い間、レコード、CDなどのフィジカルプロダクトを販売していて。レコードストアとも強い関係性がありましたし、我々がデジタルを介してやろうとしていたことになかなか乗ってきてくれなかったんです。しかしiTunesがスタートし、「CDを売るのと同じだけのマージンを受け取ることが可能」という状況になったことで、メジャーレーベルにも理解されるようになりました。最初は大変でしたが、「これが我々の未来だ」と信じ、テクノロジーの変化に賭けたということですね。

今も昔も変わらず貫く“インディー的な姿勢”

——現在はストリーミングで音楽を聴くリスナーが大多数になりました。日本の音楽業界はかなり特殊で、今現在もCDを売るというビジネスにこだわっている部分があります。この状況についてどう思われますか?

リチャード・ゴッテラー:1週間前に日本に来て、まずタワーレコードに行ったんですよ。店には若い人たちがたくさんいて、バンドがCDにサインをするイベントが行われていました。もっと年上の方はアナログやカセット、アセテート盤を購入していた。その様子を目の当たりにして非常に驚きましたし、素晴らしいなと思いました。確かに日本独自の状況だとは思いますが、すごく活気のある音楽シーンが成立しているなと感じたんですね。これだけ多くの人が熱心に音楽を欲している土壌があれば、ここで素晴らしい音楽が生まれるはずだと。高野山にお参りにも行きましたし、京都も観光したので、今は日本文化にどっぷり浸かっています(笑)。

——渋谷のタワーレコードは海外からの観光客のスポットになってますからね。

リチャード・ゴッテラー:The Orchardを立ち上げたときのニューヨークの事務所のすぐ近くにもタワーレコードがありましたが、もちろん今は存在しません。日本のタワーレコードのスローガン「NO MUSIC, NO LIFE.」も素晴らしいですね。写真を撮って、アメリカのスタッフにも「これを見ろ!」と送りました。日本の若い人たちと音楽の関係はまさに「NO MUSIC, NO LIFE.」ですね。日本の音楽シーンに話を戻すと、今回、日本のソニーミュージックのスタッフにも会い、ミーティングの雰囲気もすごく良くて、とても感じるものがありました。(※現在The Orchardはソニー・ミュージックエンタテインメント(米国)の傘下)

 みんなが力を合わせていろいろな活動をしているし、いい音楽をいかに作っていくか、それをどう発信し、人に届けるかをしっかり考えているなと。日本の音楽シーンから生まれた作品は、世界的に見たらインディペンデントだと思うんです。世界の大きな歯車とは違うところから発信し、広めていこうとする姿勢には、私自身もとても共鳴しています。

——リチャードさんはキャリアを通して、インディペンデントなアーティストをプロデュースし、世界に広めてきました。それはリチャードさんの基本的なスタンスと言えるのでしょうか?

リチャード・ゴッテラー:それはとても良い視点ですね。たとえば先ほど話に出ていたthe Go-Go’sのことで言うと、ディストリビュートは大手のA&Mでしたが、アルバムの制作や活動はインディペンデントなスタイルでした。そうやって若い才能を発掘して、次のステップに上がる手伝いをするのは私が得意とするところだと思っています。Blondieもそう。彼らはマイク・チャップマンのプロデュースによってさらに花開きましたが、1枚目、2枚目を私が担当したからこそ、そこまでたどり着けたという自負もあるんですよね。今でも昔とまったく変わらず、インディーの姿勢を貫いています。テクノロジーが進化し、配信が一般的になり、Apple MusicやSpotifyなどのサービスが出てきたことで、メジャーレーベルとの契約を持っていないアーティストも自分の音楽を世界に発信できる手段を手に入れた。ただ、本当に成功するためにそれをサポートするシステムやガイダンスが必要で、そのサポートをするのは我々の役割だと思っています。誰かが「これをヒットさせるぞ」と決めるのではなく、才能のあるアーティストを見出し、みんなで力を合わせて発信していく。それはやはりインディー的な姿勢なのかなと。

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