木村カエラ、デビュー20周年で繋いだ“縁” 奥田民生~ME:Iまで巡り巡る人生の出会いを振り返る

木村カエラ、20周年で繋いだ縁

奥田民生、加藤和彦、石野卓球…木村カエラを導いたひと言

木村カエラ

ーーミュージシャンで一番長く深い付き合いとなっているのは、デビューから現在までライブのステージを共にしてるアイゴン(會田茂一)さんでしょうか。

木村:そうですね。デビュー前、制服姿でリハーサルしてました。高校生のときから知ってるし、アイゴンさんは大事ですね。デビュー曲「Level 42」や「happiness!!!」は山沢大洋さんが作ってくれて。ポップでとてもいい曲だったんですけど、同時にアイゴンさんが、私がその当時バンド(animo)でやってた「You know you love me?」と「Because」をアレンジしてくれたんですよ。そのときに、私に必要なのはアンダーグラウンド感だと思って。アンダーグラウンドのことをやっても、私が歌ったり表現するとものすごくポップになる。だからこそ、アンダーグラウンド感が大事だと思っていたし、そこでアイゴンさんと出会ったときに、この人こそ、私に必要な人だと思ったんですよね。私がすごくポップな良い曲をそのまま歌ってもーーもちろんいい曲にはなるかもしれないけど、自分が楽しいと思えないかもしれない。そんな時に出会ったのがアイゴンさんだったので、そのままずっと一緒にいますね。安心するし、かわいいし。

ーーそんなかわいいアイゴンさんは(笑)、2ndアルバム『CIRCLE』では全13曲中9曲の編曲を担当していて、カエラさんが大ブレイクするきっかけにもなった「リルラ リルハ」の作曲・編曲者でもあります。当時のことは覚えてますか?

木村:はっきりと覚えてます。歌詞の中にどうしても〈リルラ リルハ〉っていう言葉を入れたかったんだけど、(Real Life Real Heartの)造語だし、絶対に「何言ってんの?」って言われると思いながら、レコーディングのときに、恐る恐る提案してみて。それが私の頭の中というか、自分の中にある不思議な世界みたいなものを初めて表に出したときでした。それがたまたま(vodafoneの)CMソングになって、たくさんの人に聴いてもらえたときに、すごく安心しました。自分だけしか持っていない世界を、いろんな人とやるときにも出していいんだって。それが楽しくて楽しくて仕方なくて、夢の中にいるみたいな体験でした。

ーー同作には奥田民生さんとコラボした「BEAT」のほか、岸田繁さん(くるり)、ミトさん(クラムボン)などが参加していて。その後も石野卓球さん(電気グルーブ)やスチャダラパーさん、サディスティック・ミカ・バンドなど、ジャンルの枠を超えた個性的なアーティストとのコラボが話題となってました。

木村:すごいですね。個性的な方たちとばっかりやってますね(笑)。本当に、一人ひとりに自分を導いてくれるひと言がありました。例えば、民生さんはレコーディング中に私が「BEAT」を頑張って歌っているときに、「お風呂で歌ってるみたいに歌って」と言ってくれたんです。その時の私は、「ロックなのに?」と疑問に思って。ロックを歌うときとは真逆のイメージだったから、「鼻歌風に?」「もうちょっと弱く歌えってことかな?」とか考えて。要は、リラックスしてってことなんだと思うんですけど、当時はその意味がわからなかったんです。今、振り返ってみると、あの時は緊張していたことがわかるし、今もレコーディングを始める時とか、うまく歌えないなと思った時に、その言葉を必ず思い出します。あと、サディスティック・ミカ・バンドの加藤(和彦)さんは、「カエラはおしゃれだし」とか、いろんなことを褒めてくれたんだけど、歌詞と歌について「カエラは正しい日本語で歌ってるからいいよね」って言われました。

木村カエラ

ーーどういう意味だったんですか?

木村:それはね、今もまだちゃんとは理解できてない。その時も「え? リルラとか歌ってるのに?」と思ったんだけど、正しい日本語ってなんだろうってことは今も追求していて。そういう言葉が自分の心の中にずっと残ってる。だから、才能ある面白い人に会ったときに、自分がどんな人間なのかっていうのがすごくわかりやすくなるんですよね。

ーー他者によって自分を知る機会になるってことですよね。

木村:そう。卓球さんも「Jasper」のときに、「カエラちゃんってさ。何にもとらわれてないよ。歌詞もこうじゃないといけないとかないでしょ。それが面白い」って言われて。卓球さんに言われた言葉も、自分の中では無意識にやっていたことだった。こういう曲だからこうしなきゃいけないとか、こういう場面だからこうしなきゃいけないとか、型にはめるのはもったいないと思ってたから。他にも、スチャダラパーさんにはこんなに力を抜いていいんだっていうくらいのユルさを教えてもらったし、ミトさんと会った時はアーティストはこんなに“自由”でいいんだって感じたし。話しだしたらキリがないけど、そういう人たちの言葉から常に何かをもらって、自分では気づいていない自分を知っていった感覚がありました。

ーーかなりアクの強いアーティストたちとのコラボを経て、2011年10月にリリースした6枚目のアルバム『8EIGHT8』はしのっぴこと、渡邊忍(ASPARAGUS)さんが全曲のプロデュースを担当しました。これも大きな変化でしたよね。

木村:そう、私がいろんな人とやってきたのは、どんな人とやっても、どんなブランドの服を着ても、私でいるということの証明をしたかったからなんです。でも、出会った人によって、自分の出てくるものが変わるし、表現する方法も変わるっていう面白さも感じていて。卓球さんと出会ってなかったら〈Jasper〉という歌詞は出てきてないし、出会う人によって、自分が新しく出てくるっていうのがもう面白すぎて。だから、私が一体何者なのかということをずっと考えてた時期でもあったと思う。そういう曲をいざライブで表現するときに、例えばミトさんが作ってくれた「Circle」は本来打ち込みの音を同期で流すべきなんですけど、当時のバンドメンバーは尖っていたから「同期? は? 自力でやるけど」みたいに全て自力でやっていたんです。でも、ツアーを回るときに全部自力でちゃんとできる曲をやりたいという話になったのと、しのっぴが1つまとまった作品を作りたいと言って出来たのが『8EIGHT8』でした。

ーーその後の出会いで印象に残ってる方はどなたかいらっしゃいますか。

木村:またいろんな人とやるようになったんですけど、2014年の10周年を機に、ライブのバンドメンバーを変え始めたんです。なぜ変えたかというと、いろいろな理由はあったんですけど、一番大きかったのは、自分にとってのスキルアップのためでした。安心できる仲間たちとやっていくのもいいけど、木村カエラという1人のアーティストとして、もっと歌が上手くなりたいという思いがあって。それで、お馴染みのバンドメンバーと離れて、いろんなミュージシャンとやるようになりました。それこそレコーディングではいろいろな方が弾いてくれて。そうすると、自分の声も変わることにだんだん気づいてきて。それで、このバンドメンバーの中で歌ったらこの声になる、こういう歌い方になる。でも、他の人とやると違う歌い方になる。音の聞こえ方が変わると自分の声の音色も変わるから、それを追求したくて、10周年から15周年ぐらいの間は、歌に集中しました。アコースティックにもたくさん挑戦しましたし。今振り返ると、自分にとっては歌を成長させる時期でした。

ーー10周年のライブはヒイズミ(マサユ機)さんを迎えていました。

木村:NHKのテレビ番組をたまたま見て、この人誰? となって。探したら、ヒイズミさんで、林檎さんのバンドもやってることを知って。この人のピアノで歌ってみたいと言ったところから、ヒイズミさんとの出会いがありました。でも、その頃から人との出会いとか、自分の直感みたいなことをとにかく信じて進むしかないと思ってたかな。いろんなヒントが落ちてる気がして。なので、自分がいいなと思った人やコトに対しては、すぐに正直に動くように、その頃からしていました。

ーーいろんな編成でライブをやってましたよね。

木村:そうですね。ひなっち(日向秀和/元ZAZEN BOYS)、くるりの佐藤(征史)さん、SANABAGUN.、あと(OKAMOTO’Sの)ハマ(・オカモト)くんや(オカモト)レイジくんとも一緒にやれて楽しかったです。最近では、PAJAUMIのHarunaちゃんもすごく好きで、長い付き合いになりそうな感じがしてますね。

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