「デビュー日は絶望でした」 「ツバサ」ヒットから20年、アンダーグラフに聞く当時の秘話

「ツバサ」アンダーグラフに聞く制作秘話

絶望していたデビュー当日

――「ツバサ」がヒットしたな、と実感したのはどのタイミングだったんですか?

中原:だいぶあとですよね。バイトを辞めたとき。スケジュール的にシフトに入れなくなったので。“バンドマンあるある”で、籍だけ置いてもらってシフトに入れるときは入って、という形だったんですけど、現実的に考えて無理になってきたときに「やっと音楽でごはんが食べられる」と思いました。

谷口:私もバイトを辞めたときですね。大阪だと、バイトも時間の融通は難しかったんですけど、やっぱり東京は何かを目指している人が多いから、シフトを代わってもらえたりもしたんです。でも、いよいよ辞めなあかんねやな、というときに実感しました。

真戸原:リリースが2004年9月で、『ミュージックステーション』に出たのが翌年の2月だったので、その5カ月間は怒涛でした。僕は一人で1カ月の間に33都道府県をめぐるキャンペーンに出ていたりしたので、みんなよりも先にアルバイトに入れなくなったんです。当時は共同生活だったので、みんなにアルバイトに入ってもらって、家賃を払ってもらう、みたいな。そういう状況が続いていたので、当時の事務所に「このままだとみんな倒れるので何とかしてほしい」って交渉して認められたときに“売れた”と感じたかもしれないです。あとはテレビに出たあとは急に親や親せきが優しくなったなとか(笑)。

――売れた、ヒットしたという実感はだいぶ後だったんですね。

中原:リリース日にCDショップに行ってもCDがそもそも並んでなかったですし。

真戸原:デビュー日はもう、絶望でしたね。やっぱりデビューっていうとCDショップにCDが並ぶだとか華やかなイメージがありますけど、本当に何もない。友達から「どこに行ってもCDがない」という苦情の電話しか来ない状況で。要するに、その日にリリースしただけで、宣伝も何もなく。これが待ち望んだメジャーデビューか、という感じでしたね。

谷口奈穂子
谷口奈穂子

――当時はネットで買うということもないですもんね。

真戸原:そうそう。有線放送で、みんなが聴いてくれてCDを買いに行ってくれたり、Yahoo!で、「アンダーグラフ」とか、「ツバサ」の歌詞を調べてくれて。そうすると、ホームページがすぐパンクしちゃうんですよ。その辺りからみんな聴いてくれているのかな、とか、『CDTV』でランキングがだんだん上がっていくのを見たり。僕らはアルバイトしているだけで何もしてないけど、曲だけどんどん広まってるな、ぐらいでした。それでもトップ30に入ってきたあたりから事務所も、レコード会社もざわつき出しましたね。

中原:CDの増刷が来た、って言われて、ちょっとずつ実感が湧いていきました。

真戸原:本当にあの頃は、フォアボールでもいいから塁に出たいっていう気持ちがあったんですよね。「ツバサ」は上京した人の気持ちを狙って書こうと思っていたので、それがたまたまうまくいったんだな、と思います。

ーー下世話な話ですが、あれだけあちこちで流れていたら印税も相当入ってきたのでは?

真戸原:食費が月3000円しかなかった激貧乏時代の4年間を、1年で取り戻すぐらいですかね(笑)。

――なるほど(笑)。現在は独立して、皆さんで所属事務所の株式会社197を運営されているんですよね。自分たちで会社をやろうと思ったのにはどういった経緯があったんでしょうか。

真戸原:所属していた事務所からマネジメント部門がなくなったんですよ。それで他の事務所に所属しようかとも思ったんですけど、自分たちでやれるタイミングなんじゃないか、と当時の社長からも言われて。レーベルを作るのかとか、流通は出せるのか、とか細かいことも調べて、話をしているうちに僕らは本当に何も知らずに、変な話、ライセンスがないままにミュージシャンをやってたんだな、というぐらい衝撃的なことがたくさんありました。でも新しいことを知ってやっていくのはめちゃくちゃ面白いんじゃないか、ということで、続けている感じですかね。

中原:知らないことを知れるとやっぱり楽しいし、もっと知りたいってなるじゃないですか。その連続かもしれないですね。やっぱり知識は必要やなっていうのは、改めて思いました。

――今後は、どのようにバンド活動をしていこうと考えていらっしゃいますか。

真戸原:自分たちで会社を始めてから知ったことは まだまだ少ないので、どういう形が理想なのかはまだ探っているところがあります。でも一番は続けていくっていうことですね。社会貢献活動もしてきましたし、バンドマンやミュージシャン像がある意味で変わるような活動をしていけたらいいなって思ってるんで。後輩に対しても、自分たちで事務所をやりたいと思ったときに全部質問に答えてあげられるような、そういう大人のミュージシャンをやっていきたいですね。逆にアンダーグラフとしては、子ども心を忘れずにいられたらいいなと思っています。

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