クラムボン ミト、音楽家としての原体験 TM NETWORK、大江千里ら輩出したEPIC・ソニーの革新性

 前から気になる存在だった音楽家 ミト。クラムボンを筆頭に独自スタイルのベースプレイで魅せる達人としてもリスペクトしているが、それにとどまらないマルチミュージシャン、コンポーザー、プロデューサーとしての活動にも目を見張る。TM NETWORK関連のイベントで嬉々として語る姿を初めて観たときには「あれ!? 意外と近い趣味の方なのかな!?」と意外に思ったものだ。

 僕らが愛するEPIC・ソニーはレーベル設立45周年を迎えて、2023年末には『EPIC 45 -The History Is Alive-』という3ディスクで代表曲が全45曲並ぶ、いわばオールタイムベスト盤が発売された。そもそもこうした企画が旧譜のみならず、近年の音源を含めて現在進行形のロックレーベルとして成立できるところがまさにEPICイズムだ。

 ところでこの『EPIC 45 -The History Is Alive-』、よくよく収録曲をみると面白い。定番のシャネルズ「ランナウェイ」、渡辺美里「My Revolution」を選曲から外したのは相当勇気が要ったはずだが……EPICフリークのミト氏とのマニアックEPIC談義を届けたい。(北村和孝)

日本の音楽シーンの中で異端だった

クラムボン ミト
クラムボン ミト

ーーミトさんが80年代のEPIC・ソニーを認識した経緯は?

ミト:僕、中学時代のプレイグラウンドが神保町だったので、中古レコード店などの方が多く、新譜を買う環境がほとんどなかったんです。なので、ラジオで聴いて育っていくみたいなイメージでした。と考えると、なんなら(音楽雑誌の)GBですね。極端な話、音では入ってなかったかもしれないっていうか(笑)。とにかくひっきりなしにTM NETWORKが表紙だったのでGBを買っていました。そもそも僕、小学校5年のときに従兄弟に連れられて、TMのよみうりランド オープンシアターEASTのライブをたまたま観に行ったんです!

ーーそれはすごい!

ミト:ほぼライブが初体験だったのですが、さすがにそのときはEPICというところまでは意識していなくて。でもラジオをどんどん聴いていくと、佐野元春さんや大江千里さん、渡辺美里さんなどの宣伝が流れるたびに感じるものがあったり、後々GBで読んでいくとみんなEPIC・ソニーであることが繋がってきたというか。

ーーよみうりランド オープンシアターEASTのTMということは……。 

ミト:『TM NETWORK FANKS "FANTASY" DYNA-MIX』です。やっていることがめちゃくちゃ早いと思いました。当時、そのインパクトがとにかく大きかったので、それで追いかけるようになりました。

ーーミトさんのような楽器に長けている方は一般のリスナーよりも、もっと深く音楽を理解できたところがあったと思うのですが。

ミト:両親がミュージシャンなので音楽への目覚めも早かったんですけど、僕は最初からベースが好きだったんですよ。でもTMを知ってから鍵盤にめちゃくちゃ興味が湧いて、中学のときにブラスバンド部に入った理由が、休み時間中に音楽室のピアノを弾きまくれるなと思って(笑)。で、当時のEPICは、あまりギターをフィーチャーしていない感じというか、どっちかと言うと打ち込みだったり、シンセが軸にあるみたいな、そういう聴こえ方でとらえていて。そういう部分に惹かれていました。

ーープレイリスト企画“EPIC 45th Anniversary PLAYLIST”にて、ミトさんのプレイリスト「我が“血肉”のEPIC TRACKS」”はTMの「YOUR SONG("D"MIX)」で始まり、松岡英明さんの「Study After School」、そしてFENCE OF DEFENSE「時の河」につながっていくという、非常にツボが押さえられた選曲でシンパシーを抱きました!

ミト:その選曲もやっぱりGBの影響です。この辺りの曲は音楽番組『eZ』で流れていたり、あの当時の一般的なMVではなく、アウトテイクっぽいMVがいっぱいあったんですよ。当時、僕がよく遊びに行っていたローラースケート場では『MTV』がずっと流れていたんですけど、そこで観るMVとはまた違ったストーリー性がEPICの作品にはあったし、展開の仕方がすごく画期的で……。当時はビジネスやエンタメ的なことは何もわかっていなかったけれど、とにかくすごくかっこいいなと思っていました。おそらく、セレクトした大江千里さんの「APOLLO」も映像ありで見ていた気がします。

ーー坂西伊作監督の映像の魅力にミトさんも魅せられていたと思うんです。あのライブ感のある撮影というか、なんなら1カメラに集約させるという大胆なアイデアも……。

ミト:そうですね。ああいった映像もやっぱり日本の音楽シーンの中で異端だったんですよ。そういうところからもEPIC=特殊というイメージを持っていました。

ーーアラフィフ世代は、EPICのムーブメントをビジュアルイメージでとらえているところは大きいでしょうね。例えばジャケットワークでもアーティストがいて、ゴシック系のフォント主体でデザインするパターンとか……。

ミト:あと大江さんとTM、渡辺美里さんのいわゆるデジパックですね。当時「CDが箱に入ってるよ!」みたいな、ワクワク感がありましたね。

ーー渡辺美里さんの『ribbon』のデジパック仕様はリリース当時、結構衝撃的でした。

ミト:劇的でしたよね! すごくビジュアルイメージが強いんですね、やっぱり。こうやって話すと妙に納得しちゃいます。

ーーミトさんのプレイリストを見ていて、小比類巻かほるさんや遊佐未森さんはもちろんわかるのですが、ここにQujilaの「SANSO」が入ってくるのか! っていう驚きがあって(笑)。

ミト:QujilaはリアルタイムでMVを観たときに「なんだ、このバンド!?」と思いました。何と言ったらいいかわからない世界観で。まだそんなに日本のニューウェーブ……例えばゲルニカとかを全然聴いてない頃でしたから、余計に打ち抜かれた感覚がありました。遊佐未森さんもいわゆる大陸系というか、ワールドミュージック的なもの、ケルティックなものを知る大きなきっかけでした。やっぱりベースが気になるので、遊佐さんから渡辺等さんを追うようになり、自然とZABADAKに行き着いて。そこからアニメにもリンクしていって、坂本真綾さんに行って、『ロードス島戦記』(※ライトノベル、RPGゲーム、オリジナルビデオアニメ~TVアニメとマルチメディア展開するファンタジー作品)などに繋がっていったのもEPICの恩恵がありますね。

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