小山田壮平、音楽との関係性を信じる気持ち andymori時代から変化した聴き手への意識

 小山田壮平の約3年ぶりとなる2ndアルバムのタイトルは『時をかけるメロディー』。小山田にとって、良い曲=良いメロディであることを考えると、自分の音楽が時をかけて存在するということ自体が1枚のアルバムになったような印象を受ける。特別な感覚や感情を呼び起こすかけがえのないメロディ、そして、音楽で人と人が繋がることの楽しさや喜びが詰まった作品が生まれたことは、とても大きい。小山田は、新作への手応え、音楽への思い、andymoriの楽曲からの変化など、様々なことを話してくれた。(小松香里)

小山田壮平 - 恋はマーブルの海へ (Official Music Video)

沈んでも上がってこられるためのロープの役割を果たす曲になる

――小山田さんは日常的に曲作りをしていると思いますが、2ndアルバムを意識したのはいつ頃だったんでしょう?

小山田壮平(以下、小山田):2021年10月頃に「時をかけるメロディー」という曲のかけらが生まれて。自分はミュージシャンでもあるし、音楽に救われてきた人生だと思っているんですけど、「時をかけるメロディー」はいつでも自分を元気づけてくれるようなどこからともなく降ってくるメロディについての曲だと思ったんですよね。それで、「これはアルバムのテーマになるな」と思いました。自分の音楽愛をしっかり形にできた曲だと思います。

――まさに「時をかけるメロディー」では、メロディがどんな時でも遥か彼方からやってきて力になってくれているような描かれ方をしていますね。

小山田:5年ぐらい前、バンドをやっている先輩が「韓国でライブをしよう」って誘ってくれたんだけど、タイミング的に難しくて断ったんです。その時に、「様々なことに対して、『やりたい』っていう衝動をそのまま行動に出せたらいいんですが、なかなかそうもいかなくて」っていう話を先輩にしたら「大丈夫。音楽はなくならないし、いつでも壮平のそばにいるから」って言ってくれたんです。この曲を作ってる時に、「メロディはずっとそばにいるんだけど、自分がそれに気づけてないだけ。その存在に気づいたら、いつでも音楽はそこで輝いていて自分を目覚めさせてくれる」っていう気持ちになりました。自分にとって大事な曲ですね。

――キャッチできるかできないか、みたいな感覚もあるというか。

小山田:そうですね。年々「なるべく悔いのないものを作って残したい」という気持ちが強くなっていて、じっくり曲を作るようになったことで、3年ぶりのアルバムになりました。「これは曲になるな」という手応えがあった上で作り上げる作業に入るので、曲のかけらは常にあるんですけど。

――その手応えってどういうものなんですか?

小山田:何かしら、今までの自分の曲にない音像や歌詞があって、自分が今まで感じたことのないような気持ちに出会った時に、「これは新しい曲として完成させよう」っていうモードになります。

――「時をかけるメロディー」以外にも、〈メロディー〉という言葉が何度も出てきます。今作でいうと、例えば「彼女のジャズマスター」だったり。

小山田:そうですね。「彼女のジャズマスター」は〈目の覚めるようなメロディー〉っていう歌詞ですが、「時をかけるメロディー」と比べると、ロックサウンドの持つパワフルなメロディっていう印象です。いろいろな形で、時に優しく、時に激しく自分を目覚めさせてくれて、救ってくれて、楽しくさせてくれる。そんな曲やメロディが溢れたアルバムになったと思っています。今回はあまり考えすぎずに、自分の感覚に従って書いていった曲が多くて、メロディの不思議なパワーを感じる楽曲が多いんじゃないですかね。

――ソロ1作目の『THE TRAVELING LIFE』の取材(※1)では、「激しい情熱っていうよりは、俯瞰的に眺めているような曲が多い」と言っていましたが、そう考えると今作はまた違う方向性がありますか?

小山田:そうですね。確かに『THE TRAVELING LIFE』は、『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」っていう人生を俯瞰するような視点があったんですが、今回は自分の内側からガッと呼び覚まされるようなメロディとコネクトした瞬間の喜びがあると思います。「時をかけるメロディー」は実態のないものをひとつ形にできたような感覚がありました。

――だからこそアルバムのテーマになり得たわけですよね。自分にとって大切なメロディっていうものを象徴するような曲を書きたいという気持ちはずっとあったんでしょうか?

小山田:今となっては「ずっと書きたかったんだろうな」と思うんですが、特に意識したことはなかったんですよね。幼少期の頃から、何か音楽が鳴っていると楽しくて、歌を歌うのが好きで、そのまま大人になった感じがします。メロディというものは小さい時からそばにいてくれてる友達のようなもの。音楽って遥か昔からある、人間の最初の娯楽みたいなものでもあるじゃないですか。ダンスもそうですし。世の中には音楽を聴かない人もたくさんいますけど、自分はメロディというものに寄り添って、共に歩むような人生を送っています。

――今まで自分がずっとやってきたことをひとつ曲にできたっていうことですよね。そういうものをキャッチしやすい心境だったのか、それとも年を重ねたことも大きいのか、どうだったんでしょう?

小山田:音楽への愛を口にするような歳になったとも言えますね。6年前にさくらももこさんが亡くなりましたが、僕は小さい時から、『ちびまる子ちゃん』とかエッセイとか、さくらももこさんの作品をずっと読んできて、亡くなった時にすごく大きな喪失感を感じて、さくらももこさんの世界が自分の中で当たり前の日常だったことに気づきました。当たり前のようにそばにあるものって、なかなかその存在の大きさに気づかなくて。自分の気分次第で音楽を適当に扱ったりすることがあるんですよね。音楽が面白くなくて何も聴きたくなくなる時期も結構長くあるんです。そうすると、僕は音楽以外で残せるものはないから絶望的な気持ちになるんですね。「音楽が面白くない」って思ってしまったらもう終わりなのに。

――そういう状況になるのは要因はあるんですか?

小山田:なんでしょうね……。当然、曲はできないです。いろいろな要因があるとは思うんですけど、ギリギリの時は正直音楽どころじゃなくて。

――生きることで精一杯というか。

小山田:うん。だけど、ほんの少し心に余裕や生きる勇気が残っていると、途端に輝き出すのが自分にとっての音楽であり、時を超えて自分を目覚めさせてくれるのがメロディなんです。

――「時をかけるメロディー」が生まれてきたということは、心に余裕があって、音楽を輝かしいものとして認識できる時期だったというか。

小山田:そうですね、そういう現象を曲にできたのは大きいです。また音楽を聴きたくなる時期も必ず来ると思うんですが、この曲が生まれたことで、音楽は必ずそばにいて自分の元に戻ってきてくれるものだと信じられる。その気持ちを忘れないように名前をつけたということなので。沈んでも上がってこられるためのロープの役割を果たす曲になると思います。あと、聴いてくれる人たちのことを意識するようになったのもあると思います。誰かにとって、 どん底にいる時は無理でも、ちょっと余裕ができた時に、自分の音楽でふと幸せな気持ちになってもらいたいなって思います。

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