King Gnuが『ミステリと言う勿れ』の本質を描いた「硝子窓」 久能整の“役割”を説いた楽曲の妙
周囲の環境に合わせ自らの色を変え適応する、“未熟者”から見た“成熟者”を描く「カメレオン」。周囲の環境をそのまま映し出す/透過することしかできない、“成熟者”から見た“未熟者”を描く「硝子窓」。先述の解釈に考えが及ぶと、各楽曲タイトルに落とし込まれた比喩の的確さにも思わず舌を巻く。
楽曲単体では“未熟者”と“成熟者”の相互視点のみの解釈で留まってしまう可能性のあるなか、あいだにどちらでもない“中立者”を挟む構図である点を巧みに補完したのが両曲のMVだった。だからこそあの映像の物語は、“成熟者”を表す容姿端麗な人形と、“未熟者”を表す幼さの残る人形、そしてそのどちらでもない“中立者”を表す犬のによって構成されるのだ。
そのため、厳密に言えば“未熟者”の立場をとる“中立者”から見た“成熟者”を描く「カメレオン」、“成熟者”の立場をとる“中立者”から見た”未熟者”を描く「硝子窓」が、各楽曲に落とし込まれた正確な解釈なのだと思う。「カメレオン」では上の立場として“未熟者”を庇護し、諫める動きを見せるが、「硝子窓」では“成熟者”に従属し、終始下の立場として振る舞う。各曲のMVで“中立者”としての役目を果たす犬を見れば、その役割は一目瞭然である。
本稿では、最後にそんな“未熟者”を描く「硝子窓」が何よりも劇場版を彩る楽曲として相応しいということにも触れておきたい。原作でも「広島編」と呼ばれる劇場版の物語は、原作では序盤のエピソードであるにもかかわらず、非常にウェイトの置かれた話であり、多くの読者からも支持を得ている。本エピソードは、作品内の他エピソードと明確に毛色の異なる部分があり、それは「“未熟者”たちが最終的に難局を打破する」点だ。
ドラマ版では環境に適応しきれず、結果不幸な道を辿ることの多かった“未熟者”たち。彼らの成長物語が、今回フィーチャーされた映画版エピソードの最たる見どころともなる。そういった意味でも“未熟者”を描いた「硝子窓」は、まさにここへ収まるべくして収まった主題歌であるのかもしれない。
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